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上海っ子AZUが早朝に見る夢の跡。


by azu-sh
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上海の病院から届いたカルテ

 三ヶ月ほど待っていた、「上海でのカルテ」がついに手元に届いた。今後再び中国語圏に移るかもしれないことを予想して、以前の主治医にお願いしていたものである。16ページにわたるカルテには、わたしの上海での治療歴が詳しく記録されている。自分には全く覚えがないけれど、当時の記憶力・計算力・理解力・判断力・認知力などのテスト結果もあり、読んでいて失笑…。全部中国語で問答していたので、わたしにとっては中国語の会話能力テストみたいなもの。

医師 「742650、はい、この数字を覚えて」
あづ 「742650」
医師 「100引く7は?」
あづ 「93」
医師 「さらに7を引くと?」
あづ 「86」
医師 「日本の首相は誰?」
あづ 「安倍さんです」
医師 「500gの鉄と500gの綿はどちらが重い?」
あづ 「同じです」  (→引っかからなかった!)
医師 「ニワトリとアヒルはどこが違う?」
あづ 「アヒルは泳げます」

 このようなやりとりが延々と一字一句、残されている。医師の書いた記録の中には当時のわたしの気持ちが如実に現れている箇所もあり、ハッとさせられた。

「中国語で話すことができ、視線も正常、笑顔を浮かべながら低い声で話す。“先週の木曜日から調子が悪くて、たくさん薬を飲んだ。でも死にたかったんじゃない。少しでいいから苦痛から逃れたかった”と言う」

「三歳の時に両親が別れ、姉と引き離された。子供の頃、父親は子供たちが互いに会うことを禁じており、大きくなってから再会した。今日母親が自分の元からいなくなる夢を見て、とても悲しくなったと話す」

「一週間何も食べていない。スイカを少しと水を少し。たまに牛乳を飲む。昨晩、無感覚になりたくて50度の酒を一瓶飲んだ。今日の午前中、刃物で自分を傷つけ、左手に生々しいたくさんの傷を作る」

「情緒が不安定で強烈な抑うつ状態にある。“薬をたくさん飲んで運転すれば死ねると思った”と話す。“今でもそう思う?”と尋ねると、“わたしは27歳になったら死ななきゃいけないと決めている”と話す」

……わたしは日本でうつ病を発病し、上海で再発した。上海では数え切れない自傷行為や自殺未遂を繰り返し、二ヶ月入院した。記録によると、ECT(当時のいわゆる電気ショック治療)を10回受けている。病院の食事がまずかったから、お見舞いで持ってきてくれるお菓子しか口にせず、みるみる痩せていった。

 海外で病院にかかったこと、それも精神科に入院したなんて、何の自慢にもならない。それどころか、会社にも友人にもルームメートにも家族にも多大な迷惑をかけてしまった。でも、あれから数年たった今、当時のカルテを手にしたわたしは、あの時の痛みの記憶と世話してくれた先生や仲間たちの心配そうな笑顔をこうして思い起こすことになった。

 「うつ」はとても、とても苦しく、数々の原因不明な体の不調と、経験した者にしかわからない悶えるような抑うつ感情につきまとわれる。生きていることが、息を吸うことが、こんなに認めがたく許しがたい。明日が来ることなんて考えられない、今この瞬間にでも命が尽きてくれたら…と呪いのように念じ続ける。わたしもまた、そんな日々を繰り返していた。数年おきに大爆発が起きる。そんな時、何が、誰が、救いになるのか。

 李医師、龍看護師、入院仲間だった中国人の友人たちに言いたい。わたしは、生きてるよ。それも惰性ではなく目的を持って。投げやりではなく、喜びを持って。病気は治ったわけじゃない。これからも一生病院のお世話にならなくちゃならない。でもね、あづは「明日のために生きたい」って思えるようになったの。だから。あきらめないで、あなたも。大丈夫だから、苦しくても死なないで。わたしは、絶対に打ち負かされないから!
上海の病院から届いたカルテ_b0074017_17421615.jpg

by azu-sh | 2011-08-19 17:46 | 「あづ」の「うつ」