★2012年8月、およそ6年ぶりに中国上海に帰ってきました!このブログは「AZU」が綴る、上海(サンヘー)滞在記録。ワクワクの上海生活、まるごとお届けします。ほらね、生きてるってこんなに可笑しい★


by azu-sh
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カテゴリ:「あづ」の中国アルバイト( 5 )

 それは、わたしが上海のデザイン会社で雑用係をやっていた時のこと。社内の日本人はみんな中国語が片言だったため、面倒な手続きや通訳は全部わたしにくる。一度、ものすごく熾烈なけんかの通訳をした。

 先攻・日本人の女社長…「家賃を払ってる間はこの事務所はうちのものよ、期限が来たからってどきませんからね!」
 後攻・上海人の不動産屋…「一ヶ月単位で部屋を借りることはできません、退去期限が来たのだから出て行ってください!」
 日本人の女社長はとても勝気な人で、しかもこの時精神状態がおかしかった。ヒステリックで強引で、筋の通らないことを早口の日本語でまくしたてる。「ほら、あづさん、今わたしが言ったこと彼に伝えてよ」
 でも「そのまま」通訳したら、相手は怒り出すに決まってる。わたしは少し抑え目に通訳した。すると、中国語が少しわかる彼女は満足しない。「あづさん。ちゃんと言ってないでしょ、わたしの言ったまま通訳してよ!」
 上海人の不動産屋は四、五人体制で臨んできた。「いいですか、この契約書を見てください。今日で契約日が満了です。どうしてまだここに住んでいるんですか?うちは実力行使もできるんですよ!」
 わたしは間に割って入って丁寧な中国語で言った。「不動産屋さん、契約書は確かにそう書いてあります。でも家賃をその分お払いするからもう少し待ってほしいんです、引っ越し先もまだ見つかっていませんし引っ越しも一日や二日では終わりません」すると、女社長はわたしに電話の子機を渡してきた。「不動産屋じゃラチあかない、頭固くてケチなんだから。大家さんと直接交渉して」
 大家さんは台湾人で、台北にいた。わたしは会ったこともない人に国際電話をかけた。当然のことながら、大家さんの言い分は「不動産屋が正しい。わたしはすべてを不動産屋に一任してある」…女社長はヒステリックに「大家さんがいいというまで電話かけ続けなさい!」とわたしに命令した。わたしは仕方なく二回、三回…と電話をかけ続けた。三回目、着信拒否された。
 女社長は「出て行ってください」と繰り返す不動産屋に猛烈に腹を立て、「警察呼ぶわよ!」と叫んだ。不動産会社はしめたもの。「あぁ、どうぞ呼んでください」そこで女社長はわたしに警察を呼ばせようとした。わたしは彼女の神経を逆なでしないように、小さい声で言った。「今、警察を呼べば日本人のわたしたちが圧倒的に不利です。たとえこちらに非がなくても、警察は上海人の肩を持ちます。警察を呼んだらおしまいです」
 逆上した彼女は不動産屋の大柄な男性を力ずくでベランダに押し出し、内側から鍵をかけようとした。「あんたなんか、外にいなさいよ!入ってこないで!」わたしは反射的に(まずい!)と思い、走って彼女の手を押さえ、鍵をかけるのを阻止して彼が入ってこられるようにベランダの戸を大きく開けた。「あづさん、何するの!」と言われたが、これは絶対にいけない。日本人の女なんかに、大勢の見ている前でベランダに締め出されるなんてメンツ丸つぶれもいいところ。中国人はメンツを何より大切にする、そしてそれを潰された時は…執念深い。
 そんなことも知らない女社長は言い訳にもならない理由を並べ立てて、「家賃は払ってある。まだうちのものだ!」と言い張り、わたしに通訳させる。しかし、どう見てもこっちが劣勢なけんかに本気で通訳するのもバカらしくなってきた。だいたい、うちの女社長は常識はずれだ。わたしはもう通訳をやめて交渉に入った。
 「わかりました、引っ越しの準備が出来次第、ここを明け渡します。でもそれには少し時間が必要です。家賃を払いますからもうしばらくいさせてください」
 不動産屋はこちらが低姿勢になったのを見て満足し、少し態度を和らげた。日本企業なんて上海ではよそ者、時には低姿勢に出ることも日本の中小企業が中国で生き抜くためのしたたかな知恵だ。中国で正式に商売をしていても自分たちは決して中国人と対等ではないこと、本気でけんかするとここでは逆に不利だということ。知らないと怖い目に遭う。

 わたしが台湾に何度も電話したり、ベランダの戸を押さえたり、警察呼ぶのを阻止したり、双方の言い分を言葉を選んで必死に通訳している間、うちの男性社員四人は何もせず、何も話さなかった!キミたち、なんとか言えよ!
 不動産屋が退散した後、新入社員の男の子(日本人)がひそひそ声でわたしに話しかけてきた。「さっきのあづさん、すごかったですよ、言ったことを直接通訳しないで相手を怒らせないようにしてた、何とか丸く収まったのはあづさんのおかげです。でもぼく…」

 「この会社辞めていいですか?」

 この大げんかで、この会社は新入社員と事務所を失い、残った社員の社長に対する信頼と尊敬もがた落ちになったのでした。もちろん売り上げも大幅下落。
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 信用は築くのは大変、でも崩すのは一瞬ですね。
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by azu-sh | 2011-07-31 01:51 | 「あづ」の中国アルバイト
 かなり期待薄でしたけど、職業訓練校は無事合格し、入学できることになりました。来週から三ヶ月、土日祝をのぞく毎日9:30~16:30までみっちり授業…というハードスケジュールですが、「授業中起きてる」…いや「ちゃんと資格をモノにする!」のを目標に、はりきって行ってきたいと思います。四月は楽しい予感のする新学期だもん、がんばるぞ!
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 今回、Webデザインや画像編集、ホームページ作成などを学ぶコースに入学するのですが、わたしがこれを勉強したかったのは、上海でアルバイトしていたのが日系の広告デザイン会社だったからです。日本人のデザイナーさん二人、中国人のデザイナーさんが一人、総務担当が一人、その他バイトがわたしを含めてチラホラ…という小さな会社でした。「上海で音楽教室を開くからロゴをデザインしてほしい」「上海で広告代理店を出すから会社のホームページを作ってほしい」「上海の無料情報誌に日本料理店の広告を載せたいからデザインしてほしい」…そういう注文が次々入り、デザイナーさんたちがそれぞれパソコンに向かって作品を仕上げていく、出来上がったものを持って先方に伺い、決まることもあれば流れてしまうこともある。そんな、パソコンを使ったデザインの世界。あづのあこがれでした。

 その会社では本来は「日本人のデザイナーさん」が欲しかったのですが、わたしは「中国語の出来る日本人の雑用係」として働かないか、と声をかけていただきました。お金がなくてバイトを探していたわたしは、二つ返事で引き受けました。「雑用係」とはまさにこのこと、台所の掃除から資料のネット検索、街中への取材からちょっとした市場調査、銀行へのおつかい、デザイナー間の通訳から事務所の引っ越し先探し…なんでもやりましたとも。でも、わたしが「世紀のミッション」と呼ぶ(→言い過ぎ)、あの日の仕事は忘れられません。

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 うちの会社が日本の出版社と組んで、漫画あり詩ありイラストありの文芸雑誌を創刊することになった。そこで「まだ日本に紹介されていない中国人絵本作家を日本デビューさせよう!」という企画が持ち上がり、わたしたちはその“発掘”に追われることに。上海市内の本屋という本屋を歩き回り、個性的で中国チックな作風をもつ“掘り出し物”がいないか、絵本コーナーや漫画コーナーをつぶさに見て回ること一週間。そこで白羽の矢が当たったのが「YANGZI」さんという中国人絵本作家だった。その日、わたしが出勤するともうミッションが待っていた。
「あづさん、この人を日本デビューさせることにしたから。あづさんは今日中にこの人にアポを取って、協力の了承を得ること!今日中にね!」

 (ありえない…なんて強引なんだ…)と一瞬引きましたが、わたしも今はこっちのニンゲン。何としてもアポを取らなくちゃ。そこでその作家の作品を手にすると…あれ?作者紹介に書いてあるのは「ペンネーム」「北京出身」「○×大学で客員教授をしている」ということだけ。男か、女か、はたまたいつの時代の人か、中国在住か、海外在住か、これでは何もわからない!!出版社に問い合わせてもなしのつぶて。ネットでヒットしたすべての連絡先に片っ端から電話をかけても「わかりません」「知りません」…それもそうだろう、この13億もいる中国でたった三つのヒントで一人の人を探し出せ、というほうがおかしい。今日中に本人を捜し当てて、しかもこの企画に協力させろだって?無茶だ!!

 でもあづはあきらめなかった。客員教授をしているという○×大学に電話したが、さすがにペンネームでは誰のことかわからない。でもわたしは目的の作家が北京にいることに賭けて、電話をかけまくった。午後七時頃、○×大学のある美術の教授と電話がつながった。わたしが自分は上海の日系企業の者で「YANGZI」さんを探している、と訴えたら「あー、知ってますよ。わたしが特に親しくしている先生です。女性で小さい子供さんがいらっしゃいますよ、本名は☆☆です、携帯番号教えましょうか?」…なんと、携帯番号ゲット!!!そこから粘ること一時間、彼女に電話をかけ続けた。ついに出た!!

 「はじめまして、突然のお電話恐縮です。わたしは…こういう者です。実はあなたの作品を拝見して、中国の伝統も失わずそれでいて現代風な個性あふれる作品に感動し、今回日本に発表したいと思っているんです。先生に書き下ろしの絵を描いていただいて日本人の詩人とコラボするという企画なんですが、協力していただけないでしょうか?」…たじたじの中国語で、捜し求めていた人と話す。相手の返事は「OK」。やったーーーっ!!ミッション成功!!午後八時過ぎ、たった三つのキーワードから始めた壮大な尋ね人がようやく見つかった!!しかも本人の声で企画に快諾!!あづの仕事、完了!!

 「おつかれ~あづさん。帰っていいよ。」そう言われた時には放心状態だったあづ。この仕事で必殺依頼人…いや、「雑用係」は辞めたいな~と思ってしまいました。わたしもいつかデザイナーになって、アポ取りじゃなくて、自分の作品で中国人とコラボしたい♪帰り道、そんなことを思いました。

 …長くなりましたが、だからパソコンでデザインを学びたかったんです。
 ミラクルな予感のする四月、あづも夢に近づけるかな?!
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◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
もうひとつの「サンへーブログ」もよろしく!

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by azu-sh | 2011-04-13 20:26 | 「あづ」の中国アルバイト
 今、わたしの住む街ではユニークなお祭りの真っ最中。毎年この時期になると思い出すのですが、わたしはイベント会場で単発のバイトをしたことが何回かあります。そういえば日本でも上海でも…。
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 それは上海在住中のこと。運転免許の更新のために日本に一時帰国をしなければならなかったわたしは「せっかく日本に帰るんだからバイトしたいな」と考えていました。でも何しろわたしの実家は小さな地方都市、何か盛大なイベントでも重ならない限り、短期バイトの募集なんてありません。そこでわたしは街でお祭りをやっている時期に合わせて帰国することにしました。実家に着くとすぐに求人誌で仕事を探し、お祭り会場での五日間のバイトに応募しました。わたしがありついたのは的屋(てきや)でのバイト。もしかしてそっち系のヒトがやってるのかな…と一瞬思いましたが、上海暮らしで度胸が据わっていたわたしは何の不安もなく、お祭り会場に行きました。最初はお面やおもちゃを売る出店の店番をしていたのですが、これが全然おもしろくない。「焼き鳥のほうやらせてください」と、初日から焼き鳥屋に移動しました。
 「らっしゃい、らっしゃい、おいしい焼き鳥どう?」大きな声を張り上げて、行き交う人を呼びとめ、売り込みをしていたら、「ねえちゃん!日本語上手だねぇ!どこから来た?」とお客さん。「上海です!」とわたし。「そうかい、いやぁ、日本語上手いねぇ!がんばれよ!」「はい!ありがとうございます!」
 しばらくしてから気づきました。確かにわたしは上海から来たけど、この街で生まれた日本人じゃないのか?何を勘違いしてしまったんだ?いや、その前になんで「日本語が上手」ってほめられたんだ、わたし?
 すごく楽しいバイトだったけど、だいぶ中国人化してる自分に気づいて複雑になったあづでした。


 そして上海でやった単発のバイトとは…。上海・南京西路の角に大きなビルが建ち、そのオープン記念のイベントでのこと。中国人グラフィックデザイナー、高(ガオ)さんから電話がありました。 
 「あづにお願いがあるんだけど、今度南京路で若者をターゲットにしたイベントをやるの。集まった人たちに真っ白いスニーカーを渡して、自由にペインティングしてもらうのね。優秀作品を表彰するんだけどその審査員をやってほしいの。」
 美術方面は疎いんですけど…と断ろうとしたら、「あづは日系の広告デザイン会社で働いてるじゃない。大丈夫、実際に審査をするのはうちのイベントスタッフだし、あづはハクをつけるために呼んだ来賓みたいなものだから何にもしなくていいのよ」
 そして当日。南京路の一角がストリート系の若者や美大生?たちで埋め尽くされ、イベントが始まりました。いろんなプログラムがあったらしいのですが、何も聞かされていないわたしはロックのリズムに乗ってはしゃぎまわる中国の若者たちをきょろきょろ観察するので精一杯。よく見ると、スニーカーに一生懸命色を塗っている人たちも。出来上がった作品から一斉に展示され、審査が始まったようです。わたしは自分が何をしたらよいのかわからず、ステージの隅でぼーっと立っていました。すると突然のアナウンス。
 「スニーカーアートの受賞者が決まりました!第三位はエントリーナンバーXX番、○○さん!…」
 審査員やってくれって呼ばれたのに、いつのまにか順位決まってるじゃん。わたしがむくれていたその時!
 「この栄えある受賞者に賞状と記念品を渡してくださるのが、なんとこのためにわざわざ日本からお越しいただいたデザイナーのあづ先生です!どうぞ皆さん盛大な拍手を!」
 (ナニィ?!) 頭が真っ白になったハッタリデザイナーのあづは、集まった群衆の熱いまなざしと拍手の中、おずおずとステージの中央へ進み出、一位から三位までの人たちに無言で賞状を渡したのでした。
 イベントが終了すると、高さんがのんきな顔でやってきて「あづ、いい感じだったわ。はい、コレ今日の出演料ね~」手渡されたのは200元(約2500円)でした。日本からわざわざやって来たのに?!(笑)

 以上、秋になると思い出すお祭りバイトの思い出でした。
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by azu-sh | 2010-11-05 01:44 | 「あづ」の中国アルバイト
 わたしのブログのアクセス解析では、「中国語 バイト」というキーワードがいつも上位のようです。「せっかく身に着けた中国語を仕事に生かしたい!」「あこがれの中国でバイトをしたい!」という方、やっぱり多いんでしょうね。わたしは上海にいた三年間(2004~2007年)にほんっとにいろ~んな仕事をしましたので、ここでちょっと振り返って「あづの中国バイト歴」を公開したいと思います!

①上海航空の機内誌広告総代理店でのバイト

 わたしが最初に上海に行くきっかけになった仕事。母の知り合いからの紹介で、日本で見つけた仕事です。「上海航空の機内誌にお宅の広告を載せませんか?」と企業に営業する仕事なのですが、当時上海航空が就航していたのが関西と北陸だけだったため、成績悪し。わたしは営業ではなく、上海航空広告部との連絡係や資料の翻訳係に使われていました。

②和服店の店長としてのバイト

 これが一番長く続いた仕事で、就労ビザ(Zビザ)もここから発給してもらっていました。日本人女性が上海に開いた和服のお店での接客販売の仕事です。社長は日本在住だったため、わたしがお店の一切の管理を任されていました。店は上海市内に二店舗、着物の販売からレンタル、出張着付けなどをしていました。日本人の結婚式、日本語幼稚園の卒園式、日本語学校での文化紹介、日本企業の展示会などに呼ばれることが多かったです。

③法律事務所での翻訳のバイト

 日本語の話せる中国人が和服店に来た時、「わたしの知り合いの弁護士が翻訳のできる日本人を探しているからやってみませんか?」と紹介してくれた仕事です。上海は日本企業が多く、日本人の関係した訴訟も数多くあります。わたしはそのような訴訟に関連した中日翻訳を引き受けていました。法律用語・法廷用語が多く内容は非常に専門的でしたが、割と安定して副収入を得ることができました。一週間で5000元(約七万円)稼いだこともあります。

④デザイン会社でのホームページ更新のバイト

 これも和服店で働いていた時、来店した日本人起業家から「中国語の話せる日本人にバイトに来てほしいのですが」と誘われて始めた仕事です。上海で広告デザインをしていた会社で独自のホームページを持っていたのですが、スタッフが足りず長い間更新されずじまい。わたしが頼まれたのは、上海の最新の暮らし情報・観光情報・食の情報を取材してホームページにアップしていくバイトでした。観光名所や動物病院、スポーツ用品店などいろいろなところに取材に行っては写真を撮って文章を書く、趣味の延長のようなバイトでした。

⑤日本企業での日本語教師のバイト

 通信教育で日本語教師の勉強をしたことがあったので、自分で「日本語教えます」という広告を作って営業しました。ある日本企業(ウェディング会社)が中国人従業員に簡単な接客会話を教えてほしい、と仕事をくれました。その会社で働いていた十数人の女の子たちを集めて、基本的な挨拶から日本人客が来た時の対応の仕方、日本語での電話応対などを教えました。

⑥日本人向けの中国語教材を作るバイト

 「ジャピオン」という上海の無料日本語新聞の求人広告欄に載っていたのを見つけて、面接を受けに行きました。日本人のバイトを一人だけ募集していたのですが応募者が多かったらしく、選考のためにテストがありました。選考に受かったわたしが頼まれたのは、日本人向けの中国語教材コンピューターソフトの開発。日本語のナレーションを担当したり、中国語文法を日本語で解説したりする仕事でした。わたしが上海で働いた唯一の中国企業です。時給は60元(約840円)でした。

⑦日系翻訳会社での電話営業のバイト

 名古屋に本社があり、北京に支店を持つ日系翻訳会社が新しく上海支店を作ることになり、わたしの知り合いが支店長として台湾から上海に赴任してきました。営業を手伝ってほしいと言われ、ちょうど和服の仕事が少なくなっていたのでOKしました。上海に拠点を置く日本企業や国際企業に片っ端から営業の電話をかけたり、メールを送ったりしました。少しずつ仕事が入るようになると、翻訳スタッフとして使ってもらえるようになりました。それまで自己流だったわたしですが、この会社に入って初めてプロから翻訳のノウハウを教えてもらいました。

⑧上海に来た日本人のアテンドのバイト

 市場調査や商品の仕入れのため上海を訪れた日本人をガイドする仕事です。まずは仕事を紹介してくれた会社や個人からお客様がいつどんな目的で上海に来るかを詳しく聞いて、どこに案内するか問屋街などを回って下準備をします。「中国で起業したい日本の洋菓子屋さん」「上海のエステの市場調査に来た日本人女性実業家」「展示会に出展するためにペット関連の商品を仕入れに来た日本の企業」など、単発で何度かやりましたが、一日付き合って500元(約7000円)くらいの収入になりました。


 以上、わたしの中国バイト歴です。(もっとあったかもしれませんが忘れました…笑)これだけ仕事をしていると、さぞかし収入が多かったのではないかという感じですが、実際はその逆。わたしは毎月その日暮らしのような生活をしていたので、生活費を得るのに必死でした。本当にビンボーだったので、食費も交通費も一日10元(約140円)程度で抑えていました。日本に一時帰国するお金もなく、ふと気づいたら丸二年間一度も帰国していなかった(笑)。でも大好きな上海でさまざまなバイトを体験して、たくさんの人と関わり、とても実りの多いすばらしい中国生活を送ることができました。ありがとう、上海!!
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by azu-sh | 2010-01-16 15:04 | 「あづ」の中国アルバイト
 日本にやって来た中国人留学生は、皆アルバイトに精を出しています。学費を稼ぐため、実家に仕送りするため、将来の夢のため。目的は様々だけど、忙しい学業の合間を縫ってバイトをはしごする留学生。彼らが職場でどんな苦労に耐えているか知らなかったわたしは「すごいよね、三つもバイトかけもちなんてさ。中国人ってタフなんだねー」と感心していました。
 しかし、日本語の不慣れな留学生が日本でバイトをする…というのは、たぶん多くの日本人が想像する以上に厳しく冷たい現実が待っているもの。店長の指示が聞き取れない、正しい敬語が使えず誤解を受ける、日本式サービスができずクレームを受ける。自分では最善を尽くしたつもりでも、それが日本人の要求に合わないことも多々あるのでしょう。
 わたしがコンビニで働いていた時、バイトの求人を募ったことがありました。早朝の短時間バイトで、時給はかなり高め。案の定、近所の大学に通う中国人留学生が次々と応募の電話をかけてきました。しかし店長は事前にこう言ったのです。「いいね、もし留学生が応募してきたら全部それとなく断ってくれ」。店長のこの言葉に、わたしはどれほどガッカリしたことか…。明らかに中国人とわかる声で「アルバイトしたいんですが」と電話がかかってくるたびに、心の中で(真对不起…)とつぶやきながら断り続けました。ほんと、今でも心が痛みます。ごめんなさいっ(> <)

 電話で断りながらわたしの頭に浮かんでいたのは、数年前に自分が中華料理屋でアルバイトしていた時の苦い経験でした。知り合いの紹介で、あづは実家から近い繁華街にある中華料理屋で週二日だけアルバイトすることになったのです。ホールスタッフの女の子で日本人はわたしだけ。店長(老板)も奥さん(老板娘)も台湾の人、アルバイトは全員中国からの留学生でした。お客さんのいるホールでは当然日本語を使いますが、従業員同士の共通語は百パーセント中国語。接客もちょうどこんな感じです。
あづ 「いらっしゃいませ。ご注文お決まりでしょうか」
客  「えーと、五目あんかけご飯、海老餃子ふたつ、
    …それから食後にタピオカミルクね!」
あづ 「はい、五目あんかけご飯、海老餃子おふたつにタピオカですね」
    (コックさんに向かって)
あづ 「什锦烩饭,虾饺两,西米露!」
コック「好的!」

 店内に日本人スタッフはあづ一人きり。中国人のコックさんが混乱するから、オーダーの復唱もわたしだけ日本語で通すわけにはいきません。最初はもの珍しかった「中国語漬けのバイト先」も、現実はちっとも甘くありませんでした。コックさんに「ほらスプーンちょうだい、早く!」と中国語で言われても聞き取れず、反応できません。“中国の烏龍茶は先にお湯で茶葉を洗う”ということを知らなかったせいで、奥さんに「何してるの!」と中国語でどなられます。中国語の指示を聞いてキビキビと動く留学生たちの中で、あづだけ何を指示されているのか聞き取れずペースを乱してしまう。
 (ここは日本で、わたしは日本人なのに、どうしてこんな目に遭っているんだろう。まるで外国にいるみたい)。あまりに理不尽で、帰宅途中に涙がこぼれました。一人だけ言葉が通じなくて反応が遅いと舌打ちされ、厨房ではわたしの陰口が中国語でこそこそと交わされる。「やっぱり中国語のわからない人が入るとテンポが狂う」「ただでさえ忙しいのに中国語を聞き返されるとイライラする」…バイト仲間たちはあづに親切にしてくれたのですが、わたしはとうとう“老板娘からの完全無視”に遭いました。わたしが全くそこにいないかのように振る舞う彼女の行為には、心底傷つきました。そしてそのすぐ後、老板からクビを言い渡されたのです。
 仕事ぶりがどうというのではなく、中国語が話せないばかりにバイトをクビになってしまった。あまりに自分が情けなくて、一時は中国語を耳にすることさえ怖くなりました。日本人が、日本で、言葉の壁でクビになる。本当に落ち込みました。心の落ち着きを取り戻すまで、次のバイトを探す気にもなれませんでした。けれど、この珍しい体験のおかげで、後にわたしは多くの留学生と共通の話題を持つことができるようになったのです。「日本語ができなくてバイトがつらい」と泣く留学生の気持ちが痛いほどわかったからです。

 ひとつの体験はひとつの理解を生みます。あづが中国語を学び始めた当時、日本で体験したこの小さな“外国人体験”。母国にいながら「外国人として異国で働く難しさ」を初めて肌で感じました。
 日本では外国人就労に関連した社会問題が後を絶たないのもまた事実。でも、あづは日本で誠実に働く外国人たちをいつも心の中で応援しているんです。店長にどなられても同僚に誤解されても「めげるなよ」って。そしていつか、海を渡ったみんなの夢が叶うといいね♪わたしも異国でがんばりまーす。
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by azu-sh | 2006-07-27 09:09 | 「あづ」の中国アルバイト