★2012年8月、およそ6年ぶりに中国上海に帰ってきました!このブログは「AZU」が綴る、上海(サンヘー)滞在記録。ワクワクの上海生活、まるごとお届けします。ほらね、生きてるってこんなに可笑しい★


by azu-sh
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カテゴリ:「あづ」の「うつ」( 35 )

自分の存在に自信を持つ

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 ずっと、課題なんです。
 「自分の存在に自信を持つこと」。
 自分は生きていても迷惑じゃない。確かに少しも役に立っていないかもしれないけど、少なくとも害も及ぼしていない。って思いたいんです。でも、その「自信」は簡単に崩れます。そもそも自分を納得させるだけの材料を持っていないから、どんなにがむしゃらになっても「自信」につながらない。

 どうしてこうも、気が小さいのだろう。

 物事がうまくいっている時に気分が落ち込むのは「感謝が足りないからだ」と本で読みました。ひとつのことに長く悩んでいてなかなか答えが出せないのは「自分の知恵に頼りすぎているからだ」と人に言われました。権威ある人がそう言うんだから、きっとその通りなんでしょう。

 でも今日もまた、頓服の抗不安剤を飲んで、やり過ごす。薬が効いてくるのがわかる。それを確認して、次の仕事に臨む。人からの批判が怖いんじゃない、自分の内から湧いてくるあの無力感、やり場のない自責の念と闘っているだけ。それがまた人の反感を買う。

 そんな時はじっと座って、心の再起動を待つ。

 人並みに働きたいだけ、当たり前の予定をこなしたいだけ。でもそうするためには「薬が必要」って事実が、実は今でも受け入れがたい。
 慣れないね、何年経っても。変わらないね、あれ以来。

 ……

 今日、新しいコートを買った。半額以下になってた、珍しいデザインのコート。わたしの大好きな茶色のツイード柄で、内側は全体がファーになっている。出会えてうれしい、と思えた久しぶりのヒット作。来週から、出かけるときはいつもこのコートに埋もれよう。すごくあったかくて、心地よいコートだから。なんだか、春が来るのが惜しくなっちゃう。

 ……そうだ、こんな気持ちで冬をしのごう!



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by azu-sh | 2012-02-04 20:52 | 「あづ」の「うつ」
 三ヶ月ほど待っていた、「上海でのカルテ」がついに手元に届いた。今後再び中国語圏に移るかもしれないことを予想して、以前の主治医にお願いしていたものである。16ページにわたるカルテには、わたしの上海での治療歴が詳しく記録されている。自分には全く覚えがないけれど、当時の記憶力・計算力・理解力・判断力・認知力などのテスト結果もあり、読んでいて失笑…。全部中国語で問答していたので、わたしにとっては中国語の会話能力テストみたいなもの。

医師 「742650、はい、この数字を覚えて」
あづ 「742650」
医師 「100引く7は?」
あづ 「93」
医師 「さらに7を引くと?」
あづ 「86」
医師 「日本の首相は誰?」
あづ 「安倍さんです」
医師 「500gの鉄と500gの綿はどちらが重い?」
あづ 「同じです」  (→引っかからなかった!)
医師 「ニワトリとアヒルはどこが違う?」
あづ 「アヒルは泳げます」

 このようなやりとりが延々と一字一句、残されている。医師の書いた記録の中には当時のわたしの気持ちが如実に現れている箇所もあり、ハッとさせられた。

「中国語で話すことができ、視線も正常、笑顔を浮かべながら低い声で話す。“先週の木曜日から調子が悪くて、たくさん薬を飲んだ。でも死にたかったんじゃない。少しでいいから苦痛から逃れたかった”と言う」

「三歳の時に両親が別れ、姉と引き離された。子供の頃、父親は子供たちが互いに会うことを禁じており、大きくなってから再会した。今日母親が自分の元からいなくなる夢を見て、とても悲しくなったと話す」

「一週間何も食べていない。スイカを少しと水を少し。たまに牛乳を飲む。昨晩、無感覚になりたくて50度の酒を一瓶飲んだ。今日の午前中、刃物で自分を傷つけ、左手に生々しいたくさんの傷を作る」

「情緒が不安定で強烈な抑うつ状態にある。“薬をたくさん飲んで運転すれば死ねると思った”と話す。“今でもそう思う?”と尋ねると、“わたしは27歳になったら死ななきゃいけないと決めている”と話す」

……わたしは日本でうつ病を発病し、上海で再発した。上海では数え切れない自傷行為や自殺未遂を繰り返し、二ヶ月入院した。記録によると、ECT(当時のいわゆる電気ショック治療)を10回受けている。病院の食事がまずかったから、お見舞いで持ってきてくれるお菓子しか口にせず、みるみる痩せていった。

 海外で病院にかかったこと、それも精神科に入院したなんて、何の自慢にもならない。それどころか、会社にも友人にもルームメートにも家族にも多大な迷惑をかけてしまった。でも、あれから数年たった今、当時のカルテを手にしたわたしは、あの時の痛みの記憶と世話してくれた先生や仲間たちの心配そうな笑顔をこうして思い起こすことになった。

 「うつ」はとても、とても苦しく、数々の原因不明な体の不調と、経験した者にしかわからない悶えるような抑うつ感情につきまとわれる。生きていることが、息を吸うことが、こんなに認めがたく許しがたい。明日が来ることなんて考えられない、今この瞬間にでも命が尽きてくれたら…と呪いのように念じ続ける。わたしもまた、そんな日々を繰り返していた。数年おきに大爆発が起きる。そんな時、何が、誰が、救いになるのか。

 李医師、龍看護師、入院仲間だった中国人の友人たちに言いたい。わたしは、生きてるよ。それも惰性ではなく目的を持って。投げやりではなく、喜びを持って。病気は治ったわけじゃない。これからも一生病院のお世話にならなくちゃならない。でもね、あづは「明日のために生きたい」って思えるようになったの。だから。あきらめないで、あなたも。大丈夫だから、苦しくても死なないで。わたしは、絶対に打ち負かされないから!
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by azu-sh | 2011-08-19 17:46 | 「あづ」の「うつ」
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 今まで精神科で延べ十人ほどの医師に診てもらったわたしですが、最も強く印象に残っているのが上海市心理カウンセリングセンターの李医師です。日本風に『李先生』と呼びたいところですが、男性のように聞こえてしまうので『李医師』と呼びます。(“先生は”中国語では男性につける尊称)李医師はわたしより少し年上の女性で、理性的で落ち着いたプロフェッショナルなカウンセラー、若いのに威厳と存在感のあるカッコイイ女医さんでした。
 他の医師が、診断中わたしの顔も見ずにずっとカルテに経過を書き込みながら話を聞くのに対し、李医師はいつも手ぶらでカウンセリングを行いました。唯一手にしているのは小さなMP3。録音モードにし、「さぁ、始めるわよ」と60分間のカウンセリングが始まります。話すのは90%以上わたし。彼女は時々「そう、あなたはそれでどう思ったの?」「どうすればよかったと思う?」と話を誘導してくれるだけ。メモも取らずにまっすぐわたしの顔を見ながら話を聞いて、うなずき、笑い、わたしの中国語力が追いつかない時は助け舟を出してくれます。「あなたが言いたいのは、○○かしら?××かしら?」と単語を並べてくれるから、語彙の少ないわたしでも話がつながるんです。MP3に録音されたわたしの話を、後で自分の診療室に戻ってからカルテに書き起こすようです。「はい、今日はここまでね」と録音ボタンを切ると、ちょっと肩の力を抜いて一言二言、優しい声をかけてくれてカウンセリングが終わります。胸の奥につかえていたものをすべて吐き出せる貴重な時間で、李医師と話した後は毎回充実した穏やかな気持ちになったのを覚えています。

 李医師は時々宿題を出しました。わたしの聖書の裏表紙にまだ貼られたままの付箋には、「1.自分を描くこと 2.家と木と人を描くこと 3.旅行の計画を立てること」という李医師からの課題が書かれています。宿題が出されると、わたしはいつも喜び勇んで取り組んでいました。李医師の人柄がとても好きだったから、他の看護師さんたちには反抗していたけど、李医師にだけは尊敬とあこがれを感じていました。
 わたしが退院して帰国した後、李医師はメールをくれました。
『あづが新しい先生の治療を受けて元気になってくれるよう、期待しています。信じているからね。そしてあなたがいつ上海に帰ってきても李医師の診察室はいつでもここにあるから、忘れないで。』

 李医師とはそのまま四年半も音信不通でしたが、先週どうしても李医師と連絡が取りたくなり、わたしが上海で行っていた精神病院のホームページで探したら、よかった!まだ在籍している!急いで昔もらったアドレスにメールを送ると、即返事が返ってきました。
『何日か前に持ち物を整理してたら、以前あづからもらった雑誌を見つけたの。その後すぐにあづ本人からメールが来たからびっくり!結婚おめでとう!もしかしてお相手はカウンセリングの時よく話題にしてた、あの男の子かしら?』
 確かに、わたしはだんなのことよく話してたかも。(笑)
『実はわたしはあの翌年出産して、今は入院棟の担当ではなく薬の臨床研究室にいるのよ』
 えっ、李医師がママ?!…数ある患者さんの中からわたしのことをよく覚えていて、まるで、昔に戻ったかのように近況を話してくれる李医師にますます親しみを感じました。うれしかった!

 上海にいた時に受けた傷、負わせた傷を四年経った今、修復しつつあります。記憶もないままひどいことを言い放ち、意識のないまま悪いことを繰り返し、周りの人の気持ちも顧みず操られているかのように行動していたあの時期。その中で、わたしがネット上で傷つけてしまった女の子がいました。ずっと許しを乞いたい、関係を修復したいと思いながらも、彼女をさらに傷つけてしまうのが怖くて何もできなくて…。
 でもこのGWに、なんと彼女がはるばる300キロ(?)の道のりを電車でわたしの住む町まで会いに来てくれて!わたしの失言を「過去のこと」と笑い、今でもわたしを「友達」として受け入れてくれた彼女の心の豊かさに感謝しました。何年も絡まっていた糸をひとつほどくことができた気がしたよ。わたしのために選んでくれた、リラックマのおみやげもありがとう!(笑)

 求めてきた許し。探していた癒し。忘れがたい恩。心から湧く感謝。
 あづは一人でここまで歩いてきたんじゃない。
 李医師と心友のあなたが教えてくれた、本当の安らぎに浸っています。
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by azu-sh | 2011-04-30 13:02 | 「あづ」の「うつ」
 心の病を癒す効果のある美術的療法として「コラージュ療法」というのを聞いたことがあります。ずっと前、わたしが愛読していた本の著者である精神科医が積極的に活用していた療法で、方法は至って簡単。患者に雑誌の切り抜き写真や色紙、新聞紙など材料になるものを渡し、はさみとのりで自由に切ったり貼ったりして、患者がデザインしたコラージュ作品を作ってもらう、というもの。自分の今の心を映し出す、有効な治療材料にもなり得る美術作品です。
 わたしはうつで仕事を休んでいた時、布団の上に読まなくなった雑誌を広げ、夢中になってコラージュを作りました。ファイルに二冊、160枚作りました。一冊目はこんなページで始まります。
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 それからこのようにページが続きます。具合がひどく悪かった時なので、デザインもセンスもあったもんじゃないですが、何かを叫んでるようなページがあるかと思えば静かにいとおしんだり、祈ったりしているページもあり…回らない頭でどんなことを考えていたか、よくわかります。
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 ↑ 写真の間に自分で書いたことばが並びます。

「 愛想笑いもつくり笑いもやめて
 お金が人目がそんなに大切なの
 食べるものがない人もいるのに

 なんでももってる金持ちだって
 こんな世界じゃ幸せになれない
 なんでもそろって遊園地だって
 悲しみと憎しみは消せっこない

 一人の力はあまりにも小さく
 世界の問題はあまりにも多い
 一人の力はあまりにも小さい
 だけどこのままじゃいけない 」

 当時のわたしの、生きてた証です。

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by azu-sh | 2010-12-11 11:48 | 「あづ」の「うつ」
 「あなたは自分の病気についてよく調べるほうですか?じゃあ、インターネットで氾濫している情報ではなく、ぜひこの本を読んでみてください。ここに書名と著者名を書いておきます。」
と、主治医の先生が言ったので早速取り寄せてみたのが、「精神科医からのメッセージ うつ病新時代 双極Ⅱ型障害という病」(内海健著 勉誠出版)という本でした。
 内容は非常に専門的で、書評にもあったように「これは“精神科医からのメッセージ”というよりは“精神科医へのメッセージ”ではないのか」と思ったほど。専門家ならともかく、一介の患者に過ぎないわたしには理解できない部分が多く、興味深いけれども熟読できるほどではありませんでした。でも考えさせられた点や心当たりのある点には付箋を貼りながら読みました。

 「高い活動性や心気妄想的なエピソード」を持つ男性。抑うつのさなかに退職を決断し、そればかりでなく、転職まで図っている。普通なら、現状に不満を抱きつつも仕事を替えるまでのエネルギーがない健康人がほとんどなのに、うつ状態にあって病院に通っている人が転職・再就職を決めてしまう。こういう例は枚挙にいとまがないようで、例えば本に書かれていたのが、あるうつ病患者さんが「“気晴らしに”山登りに出かけた」と言った、話を聞いてみるとなんと3000メートル級の冬山だったとか。わたしがどきっとしたのは、「双極Ⅱ型の患者が抑うつで療養中にアジア諸国への海外旅行の計画を立てるくらいは茶飯事」と書いてあって、(ああ~、むっちゃ心当たりがある~)と思ったのでした。わたしはひどい抑うつになってから四ヶ月後、(まだ強い薬を飲んでいて抑うつ状態が続いていたにも関わらず)、手作りの履歴書を持ってある起業家を訪ね、「雇ってください」と言った覚えが…。しかもその二ヵ月後には北京に行き、一旦帰国して翌週には上海に飛び、仕事と家を決めて翌月海を越えて引っ越してしまった。
 当時のわたしに「双極性うつ」という診断が下っていれば、あるいは当時からそのための薬が処方されていたり、自分自身にそういう知識があったなら、その後の対応も生き方も変わったかもしれない。今まで国内・海外で少なくとも9人ほどの医師に診てもらったけれど、今年四月の初診でわたしが「双極性うつ」だと断定した主治医の先生はなんて鋭いんだろう、と驚いてしまう。

 うつ病の人は「対他配慮」に富む、とよく言われるが、双極性の人にも他者配慮性が見られる、と本に書いてあった。本をそのまま引用すると、つまり…「大づかみに言うと、他者配慮性は、次の二つのフレーズに集約されることが多い。それは“いい子でいようとした”と“期待に応えようとがんばってきた”である。あるいは“親の顔色をいつもうかがっていた”と表現されるかもしれない。そして程なく、甘えることをどこかで断念し、甘えさせることで代償してきたことに気づかれる。」
 これも心当たりがあって、字を追う目が止まった。わたしは三歳から母一人子一人の片親家庭で育ち、いつも特別いい子でいよう、一番出来のいい子になろう、としていた。その動機は、治療を始めたばかりの頃に言葉にしたことがある。「“わたしは夫もいなくてお金もなかったけど、子育てには成功しました”と母に自信を持ってもらいたかった」からである。母には甘えられなかったから、甘えることを断念してきた。保育園でも学校でも職場でも、好き嫌いを言わず誰とでも仲良くし、嫌われている人や内気な人には自分から近づいて優しく接し、平和で親切な空気を作るタイプだった。それ自体は悪いことではない。でも、その代償を払ってきたことに気づくまでこんなにかかってしまった…。

 まだこの本は読み途中ですが、英語や専門用語、略語や図表が多く、なかなか読み込めません。この本のすべてが自分に当てはまるわけではないし、自己憐憫の材料にもしたくないと思っています。でも今後の治療に役立つ情報が得られたことは収穫です。
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by azu-sh | 2010-11-17 17:51 | 「あづ」の「うつ」

「双極性障害」のわけ

 先日、また通院の日でした。四月から担当医が変わり、はっきりした性格をした頭の切れる女医さんになりました。その先生になってからすぐに薬も大幅に変更になり、今までと全く違うアプローチをするようになったところ、状態が幾らか好転してきた、と前にブログにも書きました。初めは苦手に感じていた新しい先生も、何ヶ月か付き合っていくうちに、とても知識の豊富な優秀な医師であることがわかってきて、最近では何でも話せるようになってきました。今の先生といると、わたしの上海での担当医「李医生」を思い出します。すごくプロフェッショナルな仕事をする人で、わたしが慕い、尊敬していた李医師。中国人の若い女医さんでしたが、人間的にとても深い人でした。
 躁うつ病に効く「リーマス」という薬を処方されているので、先生に「わたしは躁うつだと言われたことは一回もないんですがなぜ?」と尋ねました。すると先生が「あなたは双極性障害Ⅱ型です。うつと軽躁を繰り返す病気です。なぜわかるかというとわたし自身も自分はこの病気だと思っているからです」と言われたので内心びっくり。「あなたにリーマスが効いた、というのが何よりの証拠です」と。それぞれの症状の時の過ごし方も教えてくれました。軽躁の時は仕事もよくできるし人当たりもいい、そういう時は薬と専門家のアドバイスで上手に過ごすことができる。うつの時は薬と専門家への相談に加えて「嵐が過ぎ去るのを待つこと」が大事だと言われました。「考え方を変えるとか気持ちの持ちようで暗い気分はどうにでもなる、と人から言われてもそれは大きな間違いです。“病気”としての理解・治療・対応をしていかなければ」という冷静な言葉を聞いて納得。「薬を飲むのは弱さですか?」というわたしの問いに対し、「飲もうとしないのが弱さです」と断言してくれました。自分の病気について知識を深めるのは大切、でもインターネットの情報は九割方間違っているし、精神衛生について読む本も選ばなきゃだめ、読むならこの本を探してみなさい…ともアドバイスしてくれました。

 これなら信頼できるかな、と思ってウィキペディアで病気について検索したところ、症状や対処法、投薬についていろいろなことがわかりました。中でも参考になったのは、この二つのアドバイス。

  ・うつ状態の場合、病気の症状の一つとして、あらゆることが悲観的に感じられ、過去の行動が後悔となって思い出される。この悲観的な思考によって、さらに気分が落ち込むという悪循環に陥ることが多い。そのため、うつ状態の時は努めて物事を深く考えない方がよい。適切な時間の睡眠をとる、脳と体を休ませることに集中し、新しいことには無理をして取り組もうとしないほうがよい。
  ・また、うつ状態の場合、完全に良くなろうと思わず、うつ状態なりに生活できていれば、良くやっていると自分を評価するべきである。

 自分の現状についてここまで客観的に意見を言ってもらえたのは、帰国してから初めて。改めて自分と向かい合い、治療を続ける意志を確認できました。わたしなりに、小さな前進です。
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by azu-sh | 2010-07-26 12:03 | 「あづ」の「うつ」
 中国語の翻訳がやっと一段落し、解放感に浸っていたのもつかのま、今度は通訳を頼まれました。「一字一句訳さなくていいから。要点だけかいつまんで伝わればいいから」と念を押されましたが、中国語の同時通訳なんて未知の世界。十代の頃、ボランティアで手話通訳をしていましたが、話し言葉とほぼ同じスピードで訳すことのできる手話とはわけが違いそうです。通訳する前の下準備、単語の予習に力を入れて頑張らないとなりません。でも通訳の経験を通してわたしの弱点である「書けるけど話せない」「語彙が偏っている」を幾らか克服できるんじゃないかと内心うっすら期待しています。「当たって砕けろ」精神で挑戦してみたいと思っています。

 ところで、四月から精神科の担当医が変わり、毎回の通院で少しずつ薬の内容が変わっています。今まで三年間薬が全く変わらなかったのに、今度の先生はやっぱり違う。「あなたは今の薬のままでは変化がないと思います。この気分安定剤を試してみて下さい」と言われて追加されたのがリーマスという薬。本来なら躁うつ病に使う薬です。今まで精神科の薬といえばつらい副作用で苦しんだ以外、効果を感じたことのないわたしは、新しい薬にも何の期待もしていませんでした。ところが…。
 飲み始めて二週間近く経った頃、今まで経験したことのない気持ちの軽さを感じてびっくり。それまでのわたしは平均して二日に一日はどうしようもない悲しみに襲われて涙がぼろぼろ止まらない状態でした。それがぴたっとなくなったのです。良くも悪くも常に平常心でいられて、感情がこみ上げてきたり暴走したりすることがなくなりました。あんなにつきまとわれていた悲しみや無力感、絶望感も影を潜め、涙も出なくなりました。呼吸することがこんなに楽だなんて!人と話すことがこんなに楽だなんて!病気になる前ってこうだったの?!
 周りの反応も「断然付き合いやすくなった」と好評。だんなは「一緒にいるのが楽しくなったよ。今までの姿は単純に病気のせいだったんだね、知らなくてごめんね」と納得のご様子。同僚も「なんか前と違う。明るくていい表情してるよ」と言ってくれました。先日の通院では、先生が「あなたにはこの薬が合っていたということですよ」と喜んでくれました。

 精神科では、自分に合う薬さえ見つかれば、病状って突然好転するものなのでしょうか…。今までこんな経験したことがないので、喜びつつも驚いています。これからも今のいい状態が持続するといいのですが。客観的に様子を見守りたいと思います。
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by azu-sh | 2010-06-27 10:53 | 「あづ」の「うつ」

楽しいことが正しいこと

 心が自然に望むこと。心地よいこと。楽しいこと。
「いいかい?そういうものはみんな“正しい”んだよ(^^)b」
と、だんなに言われました。人はみな、生まれながらに神様から与えられた良心がある。その良心を裏切ったりしない限り、自分の心の望みに耳を傾けてあげていい。楽しいことは正しいこと。
「もっと自由に、気楽に生きてごらん。ほら、あづのブログのテーマは“生きるって可笑しい”だろう?本当はあづはそのことが誰よりもよくわかってるんだ。」

 そうだね、泣いてばかりでごめんね。わたしだって生きることがおもしろくてたまらない時期があったんだ…。明日の来ることが待ちきれない時期があったんだ…。だからわかるよ、楽しく生きられたらどれほど愉快か。そうなれたら、一番いいよね。…わかった、腰を上げてみるよ。楽しいことを見つけてみる。自分の意思で自分の思考を変えてみる。今なら、できそうな気がする。

 ↓ “一步一步来,一定做得到” (一歩ずつやってごらん、きっとできるから)
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by azu-sh | 2010-05-13 16:39 | 「あづ」の「うつ」

水に流せない過去

 悔しい。上海で過ごした最後の三ヶ月、わたしはまともに記憶がない。
 上海で思いきり遊んで働いて、親が世話を必要とするまで日本には帰らないと思っていた。上海からさらに次の外国へ引っ越すことも考えていて、行く町も決めて飛行機のチケットを探し始めていた。それなのに。意識のないまま自傷行為を繰り返し、強制入院になった。起きていて少しでも余力があるとすぐ死のうとする。だから全身麻酔を受け、ベッドに縛り付けられた。

 たぶんわたしが未だに上海に執着しているのは、帰り方が自分の意思ではなかったからだ。あんなに大好きだった街から、追い出されるようにして帰国して。帰国便の手配だって誰かがしてくれた。わたしは周囲で起きていることが何もわからないまま、いつのまにか日本にいた。

 大好きだったルームメイトに癒えない心の傷を残して。尊敬していた上司に「これ以上迷惑をかけないでくれ」と言われて。担当の看護婦さんから「お願いだから病院で死なないで」と泣きつかれて。でもわたしは頭と心が麻痺していて、目の前の人がなぜ困惑しているのかまったくわからなかった。どうしてこうなっちゃったんだろう。なぜわたしだけ、こんな惨めな姿で上海を離れなきゃならなかったんだろう。

 今、十分罰を受けている。こんなに、こんなに苦しい。
 三年たった今でも、水に流せない。


 ↓ 上海・南京路のホテルで。
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by azu-sh | 2010-05-08 13:11 | 「あづ」の「うつ」
 変なタイトルだ、とお思いでしょう。理解してもらわない努力、だなんて。でも無理やり理解してもらうより、いっそ理解してもらうのをあきらめたほうが楽なこともあるのです。うつは気力で治るんだとか、再発したのは失敗だとか、強靭な精神は強靭な肉体に宿るのだとか。うつ病の症状は頭痛であるとか、挫折のたびに毎回うつを出していたらきりがないとか。病院で頓服薬をもらうのは一種の後退だとか、わたしの病気の原因は誰々にあるだとか、自分だってうつを切り抜けてきた一人だとか。……
 もういい。気の持ちようでなんとかなる病気だったらこんなに苦労しない。何を言っても無駄なのなら、理解してもらわないほうがずっと楽だ。
 ごめんなさい、ちょっと愚痴ってしまいました。

 図書館でチェブラーシカの本を借りてきました。しばし浸りました。わたしのベッドの上にチェブのぬいぐるみがかけてあります。
 チェブ、一緒に上海に帰りたいね。こんなところに長居したくないね。みんな親切なのに。親切なのに理解がないって苦しいね。
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by azu-sh | 2007-03-10 16:56 | 「あづ」の「うつ」