★2012年8月、およそ6年ぶりに中国上海に帰ってきました!このブログは「AZU」が綴る、上海(サンヘー)滞在記録。ワクワクの上海生活、まるごとお届けします。ほらね、生きてるってこんなに可笑しい★


by azu-sh
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カテゴリ:「あづ」の中国ホームステイ( 28 )

 もう何年も前の話になりますが、このブログ、そもそも…が、エンジェルちゃんなんです。わたしに上海家族ができたのも、サンへーブログを始めたのも、そもそもエンジェル(Angel=中国語では安琪儿)がきっかけなんです。
 これがそのエンジェル、安琪ちゃん。生後六ヶ月頃。
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 あの広くて大きな上海という宇宙で、言葉の違う家族と一緒に暮らすことになったあづ。不動産屋さんの紹介で出会った、質素で素朴で控えめで愛情だけはたっぷりのサンへーパパとサンへーママ。それに息子さんとお嫁さんのジエジエ、その夫婦に生まれた天使が「安琪(アンチー)」ちゃん。
 中国で外国人がホームステイできるというのは比較的珍しい経験らしい。それも十ヶ月という長期に渡ってわたしを受け入れてくれたサンへー家族とは、思い出がありすぎて切ない。
 
 「秋」 中秋の名月の日に家族全員で中国の伝統的な食卓を囲んだ。上海語で鴨子(あひる)のことを「あづ」と言う。サンへーパパは「そうか、そうか、あづって変な名前だと思ってたけど、あひるっていう意味だったのか」と納得。…だから違うって!
 「冬」 わたしは40度の高熱を五日間出し、サンへーママに連れられて地元の病院に行った。上海語しか通じないような病院で、サンへーママは「この子は親戚の子よ、今のどが腫れてしゃべれないだけなの!」と言ってくれた。…うれしいウソでした!
 「春」 妊娠中に転んで入院になったジエジエに会いに、家族みんなで産婦人科病棟に行った。日本人のわたしを見て妊婦さんたちが口々に「サヨナラ~」と挨拶してくる。ジエジエが得意げにわたしのことを妹だと紹介する。わたしにとってもジエジエは最高の姉だよ。
 「夏」 安琪が生まれて部屋が必要になったのでわたしが引っ越す日になった。サンへーパパ、一言だけ言わせて。敷金はチャラかい?(笑)あの家を出る時、わたしがどれほど悲しかったか、知ってる?新しいアパートに引っ越してから、わたしはブログを始めたの。サンへー家族との思い出を残すために。

 この間の日曜日、久しぶりに上海の「実家」に電話をかけた。第一声目は、
ジエジエ 「もしもし~?きゃ~あづ、赤ちゃんできたの??」
 次にサンへーママにも受話器が渡る。
サンへーママ 「もしもし、あづ?子供は生まれた?」
 どうして中国人の頭にはそれしかないのだ?
 うれしかったのは初めて安琪が電話に出てくれたことだった。
安琪 「あたしは小安琪(シャオアンチー)だよ、まいにちドラえもんみてるよ。らいねん、しょうがっこういちねんせいになるよ。上海にきたらあたしのおうちにあそびにきてね」
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 なんだかとってもうれしくて、みんなの声を聴いてると泣きたくなるよ。いつまでも忘れない。あづの上海の父、母、兄、姉、そしてすっかりおしゃべりも上手になった賢い姪っ子、エンジェル。この家族に出会えて本当によかった。今は海を隔てているけれど、いつもみんなのことを想っているよ…。
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by azu-sh | 2010-11-10 02:24 | 「あづ」の中国ホームステイ
 これは今から11年も昔、まだぴちぴちに若かったあづの最初の中国ホームステイ記録です。行き先は冬の中国黒龍江省ハルピン市。吐く息さえ凍る、極寒の地。当時は新潟からしか直行便がなかったので、出発は新潟空港。ウラジオストクの上空を通り、ハルピンに向かいます。中国よりロシアの方が日本に近いなんて意外ですよね?!時差も不思議。日本が7時の時、ウラジオストクは8時、ハルピンは6時。西に移動してるのになぜ?!
 わたしが語学留学した黒龍江大学↓
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 雪はあまり積もっていませんが、気温が低いためかほとんど水分を含んでいないさらさらの粉雪でした。男たちの後姿に哀愁が…。↓
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 時代を感じさせるスローガンですね。「一組の夫婦に子供は一人」。一人っ子政策の宣伝です。今の中国はこんなこと言わなくなったかな??↓
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 これも人口抑制のスローガンです。「人口の数を抑え質を高めよう」。↓
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 マイナス20~30℃、外に出しておくだけで冷凍食品。↓
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 わたしがホームステイした谭(タン)さんの家で。ホストファミリーのお母さんと桐(トン)くんが台所で水餃子を作っています。しかしさすが北方、主食は小麦粉系が多い。水餃子もよく食卓に上りました。↓
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 冬のハルピンに来たら北国を満喫しなければ!早速、市内を流れる松花江(しょうかこう)という川に遊びに行きました。夏に来た時はみんなが泳いでいたこの幅の広い川も見事に凍りつき、上をトラックが通っても大丈夫だという。この川の中瀬に太陽島というリゾート地があります。船ではなく、ロバの引くそりに乗って川を渡ります。氷の上でそり引きのおじさんにお金を払う卉(ホイ)ちゃん。氷、分厚いでしょう?!↓
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 ハルピンのメインストリート、中央大街。ロシア語で「中国の」を意味する「キタイスカヤ通り」とも呼ばれています。ロシア建築が多く、まるでヨーロッパのような町並み。通り沿いに氷の彫刻がたくさん置かれていました。↓
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 ハルピンの冬の風物詩といえば「冰灯(氷祭り)」。松花江から切り出した氷で巨大な彫刻を作り、中に色とりどりの電飾が。夜になると、さながら氷でできたネオン街のように美しく光りだします。お土産を売る屋台や風船配り、サンザシ飴売りもいてとってもにぎやか。氷祭りの会場は、彫刻だけでなく、門や通路から手すりまで全部氷でできています。何度もつるっと滑ってしまいました。↓
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 こちらは中国のどこにでもある文廟(孔子廟)。黒龍江省民族博物館も併設。↓
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 ガイド気取りの卉(ホイ)ちゃん。桐(トン)くんのお姉さんです。↓
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 ホームステイ先ではなぜかよく桐(トン)くんの子守をさせられました。小学校一年生の彼は冬休みの宿題に追われていました。「あづ、しっかり勉強するよう見張ってて!」がんばれ、桐くん。↓
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 だって寒假作业(冬休みの宿題)がこんなにある!↓
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 ちょっと目を離すと、遊び始める桐(トン)くん。中国将棋の相手をしろ、とわたしにだだをこねる。↓
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 ハーモニカも吹いてくれるのですが…「やめてくれー!!」
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 冬のハルピンはカラー写真を撮ったつもりなのにセピア色。↓
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 ハルピンは留学もしてホームステイもして、夏も冬も経験して、本当に思い出深い街です。もう11年もご無沙汰していますが、今はどう変わったのかしら??冬季オリンピックに立候補するほど大きく成長した北の都ハルピン。ぜひまた訪れてみたい場所です。
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by azu-sh | 2010-02-03 12:37 | 「あづ」の中国ホームステイ
 超!久しぶりにホームステイ時代の話です。最近インフルエンザの治療薬のことがさんざんニュースになっていますよね。それで思い出しました、上海でインフルエンザになった冬。あの頃はまだサンヘー家族と同居していました。

 原因は会社の上司でした。二月に日本に短期出張をしていた彼女、当時日本で大流行していたインフルエンザを持って上海に帰ってきたのです。そして会社で40度の発熱。わたしが同じ部屋にこもって看病していたせいで、出張みやげのウイルスをばっちりもらってしまいました。
 二日後、わたしも突然の高熱に倒れてしまいました。ちょうど週末で友人の結婚式に行く予定にしていたのにとても無理。ベッドから動けません。サンヘーパパ(わたしのホームステイ先のお父さん)が心配げにわたしのほうをチラチラ。「あづ、体温計持っているのか」「持ってない」「じゃあ、これで計ってみなさい」。
 見づらい体温計で計ると40度。あわてたサンヘーママが「もう夜だけど今から病院に行くわよ、ほらコート着て」「病院って近いの?」「すぐそこだから」。わたしは高熱でまっすぐ歩けない状態なのでタクシーに乗りたかったのですが、サンヘーママはとっとこ早足で先を歩いていきます。「ま、待って…」40度の熱を出したまま寒い冬の夜道を二十分ほど歩かされてようやく「新華医院」に到着。熱も上がってもうふらふらでした。
 診察を受けるとただの風邪。中国では流行っていないインフルエンザだったのだから仕方ないとはいえ(誤診だ!)と思いました。正真正銘のインフルエンザだってば…。点滴や薬代、注射代全部含めて480元も請求されました。わたしがあえぎながら「わたし…300元しか持ってない…これじゃ高すぎる」と言うと「不服ならもう一度診察室に行って処方を書き換えてもらって」と処方箋をつき返されました。二回目、診察室に行くと処方が変わり、お会計280元に。それでも高いと感じたわたしが文句を言うと、「それならもう一度処方を書き換えてもらって」。三回目、診察室に行くと今度はなんと処方が注射一本に変わり、お会計1.4元に。480元から1.4元に下がったのがどうにも可笑しくて、ぜーぜー咳き込みながら苦笑しました。

 でも風邪用の注射一本でインフルエンザが治るはずもなく、40度の熱が五日間も続きました。サンヘーパパもサンヘーママもおろおろ。ついにサンヘーママが一番近所の「地段医院」に連れて行ってくれました。ここは本当にローカルな病院で診察も上海語オンリーです。日本人だとばれたら診てもらえないかもしれない。サンヘーママはわたしの中国名で受付を済ませ、医師に聞かれると「親戚のコです」と言ってごまかしてくれました。(笑)それから三日間、五十人ほどのお年寄りに混じってわたしも点滴をする羽目に。風邪を引いたら点滴、というのは中国では常識のようです。だからインフルエンザだってば…。

 結局適切な治療ができなかったせいで思いきりこじらせてしまい、動けるようになるまで三週間、声が元通りになるまで二ヶ月もかかってしまいました。日本産のインフルエンザ、中国で発病するととんでもないことになります。くれぐれも気をつけましょう。
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by azu-sh | 2007-04-05 15:29 | 「あづ」の中国ホームステイ
b0074017_16352092.jpg 「アバウト・ラブ(关于爱)」という映画をご存知でしょうか。東京・台北・上海という三つの大都会を舞台に、日本人と中国人が恋につながる“出会い”をするオムニバス映画です。言葉のつながらない不自由さの中、体当たりで何かを伝えようとする若者たち。両方の言語が聞き取れるわたしとしてはとても興味深くておもしろく、印象深い作品でした。




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 中でも「上海編」はどこでロケしたのか言い当てられるほど見慣れた町並みが出てきて、とても好き。この中で主人公の日本人「修平」は留学先の寮ではなく、“庶民の生活を知りたい”とばかり雑貨屋を営む一般家庭の上の階に滞在します。映画の一番最後に出てくる間借りしていた部屋、これがなんとあづがサンへーパパの家で間借りしていた部屋となかなかよく似ているのです。    
              こんな感じのお部屋でした。↓
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           ちなみに気になるバストイレはこんな…。↑
 これを見て「あたしはちょっと無理…」と言った日本人、多し。でも庶民の暮らしを丸ごと体験できたのはわたしにとってたいへん意義深い“出会い”でした。
ありがとう、わたしのサンへー家族。
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by azu-sh | 2006-12-22 16:51 | 「あづ」の中国ホームステイ
 半年間も更新していなかった(ゴメンなさいっ)、上海ホームステイの記録。
「あづ」の中国ホームステイというカテゴリをクリックして最初から読んでいただけるとおわかりになると思いますが、わたしは以前、上海で子育てを終えたある老夫婦のお宅に間借りして共同生活をしていました。あづのホストファミリーとなってくれたサンヘーパパサンヘーママ、そして結婚して実家を離れ、今は一児の父ともなったサンヘー息子とそのお嫁さんであるジエジエ。二人の間に生まれた赤ちゃんのエンジェル(安琪)ちゃん。あづにとって中国の家族ともいえるそんなサンヘー一家の思い出ですが、今となってはホームステイも過去の話となってしまいました。

 安琪が予定日より二ヶ月も早く生まれた時、わたしはひとつの決心をしていました。(わたしがこの家を去る日が近づいた)ということです。上海に限らず、中国の大半の家庭では子育てに“おじいちゃん”“おばあちゃん”の存在は欠かせません。サンヘーパパの家は築二十年ほどになる古い集合住宅で、間取りは2DK。つまり、わたしが下宿している部屋がひとつとサンヘーパパとママの寝室がひとつあるだけ。それに小さなダイニングキッチンとバスルーム、塀で囲まれた狭い庭だけという簡素な住まいです。今は上海人の老夫婦と日本人ステイ客とで静かに暮らしているけれど、ここに孫娘が出現となったら話は別。共働きで稼ぐ若い息子夫婦に代わって昼間は子守りをしなければなりません。どうしても赤ちゃんのための部屋がひとつ必要です。半年程度のつもりで間借りしていたのに、居心地の良さに魅かれて十ヶ月も居座ってしまった日本人あづ。そろそろ潮時です。

 「サンへーパパ、わたし来月の十日前後に引越しします。安琪が生まれたからもうひとつ部屋が必要になるでしょうし、わたしも仕事の関係で、自分でアパートを借りることにしたので。」
 わたしがそう切り出すと、パパはちょっとホッとしたようなちょっと寂しそうな顔をして「そうかい」と言った。サンへーママは明らかにホッとしていた。今後、初孫の子守りのためにどうしてもわたしに部屋を明け渡してもらいたいことを実際なかなか言い出せないでいたのだと思う。
 さぁ、そうとなったらまたアパート探しをしなければならない。経済的なことも考えると、ルームシェアできるルームメイトも探す必要がある。少し慌ただしくなるけれど、サンへー一家と共に過ごせる残りの日々を存分に味わいながらこの家を記憶にとどめていこう。そんな思いであづは安琪ちゃんのぷくぷくほっぺをつついていた。
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(写真は生後六ヶ月に近づいたエンジェル(安琪)ちゃん。あづが移転後、里帰りに…いや顔を見せにサンへーパパの家を訪れた時にいただいた写真。安琪のいたずらっぽい笑顔がたまらない!)

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by azu-sh | 2006-12-20 14:03 | 「あづ」の中国ホームステイ
 お見舞いから戻ってきたサンヘーママが言った。
 「週明けの月曜日に帝王切開で赤ちゃんを取り出すことになったわよ。まだ肺の発育が十分じゃないからこんなに早く産んでしまうのは心配なんだけど…このまま胎内にいるともっと危険らしいの」。
 しかし、時間はそんなに待ってはくれなかった。金曜日の朝早く、ジエジエからあづの携帯にメールが届いた。メールの文字が震えていた。
 『あづ、いきなり今日手術することになったの。月曜日だって聞いていたのに。土日は専門の先生が不在だから今日やるんだって…。週末におなかの中で出血があったらもう手遅れになる、やっぱり急ぎましょうって。どうしよう、あたしすごく恐いよ…。』
 あづは携帯を握り締めたまま祈るしかなかった。きっとサンヘーパパもサンヘーママもサンヘー息子も、みんな心の中で祈っていたと思う。お願い、無事に生まれますように!

 その日の午後、ジエジエの赤ちゃんが生まれた。予定より二ヶ月も早く。サンヘー家族の祈りが届いたのか、ジエジエも赤ちゃんも無事だった。けれど、本来ならまだまだおなかの中で誕生準備をしていなくてはならない時期。帝王切開で生まれた女の赤ちゃんはすぐさま保育器に移され、お母さんとは別部屋で医師がつくことになった。
 ジエジエが自分の赤ちゃんに会えたのは、なんと出産後一週間たってからのことだった。ほんの少しだけ、触れることが許されたという。見たこともないくらい小さくてあちこち管のつながれた赤ちゃんを見て、ジエジエは泣き崩れてしまったそうだ。
 『無理して早く生まれてきた子を見て、かわいそうで涙が止まらなかった。あの瞬間、母親になったんだという実感が初めて湧いてきたの。子供をこの目で見るまでは全然感じなかったんだけどね、今は赤ちゃんのそばにいたくてたまらない。離れていると涙が止まらないの。自分でも不思議なくらい。』
 そうメールをくれた。産んでから一週間も子供を見せてもらえなかったなんて、驚いた。その間も心の中で呼び合っていた親子の絆、家族の輪。この時期をみんなと一緒に過ごせて本当によかったと思う。サンヘー家族と過ごしたこの日々の間に、あづは初めて「家族」と共にいることに言い知れぬ安堵感を感じた。サンヘー家族が教えてくれた、この裏切られない安心感。
 たぶん一生忘れない。

 あづの大切なサンヘー家族がひとり増えた。
 いろいろハプニングはあったけれど、みんなの祈りに応えて無事この世に生まれてきてくれた。みんなで考えた名前はAngel(安琪)。あづの心にぬくもりを運んでくれた、小さな天使。思えば上海の不動産屋でこの下宿先を見つけたあの日も、天使があづを導いてくれていたのかもしれない。

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 おめでとう、ジエジエ。
 おめでとう、サンヘー家族のみんな!
 そして…はじめまして、Angelちゃん!
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by azu-sh | 2006-06-08 23:54 | 「あづ」の中国ホームステイ
 幼い頃から「家族」という存在の意義がわからなかった。それは物心つくころに片親家庭になり、仲良しだった姉がどこに住んでいるかも知らないまま育ち、父とはほとんど会話したことがなく、新しい奥さんの名前も知らない…そんな背景に由来するのかもしれない。けれど、幸いわたしは友達に恵まれていたのでちっとも孤独ではなかった。あづの子供時代は友達と過ごした楽しい思い出ばかり。ただ、家族との思い出が欠けている。「なぜ人は家族と暮らすって決まっているんだろう。家族制度って余計な責任が多くて面倒なだけなのに」とさえ考えていた。「将来結婚するなら家族や親戚のいない人!」という変わった条件を挙げていたくらいだから、我ながら可笑しい。
 だから上海に引っ越してきて、不動産屋の紹介で上海人家庭に下宿することになり、そこで見た「家族」の光景はあづに大きな衝撃を残した。サンヘーママの帰りが遅いと団地の外まで出てキョロキョロしてるサンへーパパ。干してあったあづの洗濯物を取り込んできれいにたたんでおいてくれるサンヘーママ。「妹ができてうれしい」と言っては何かと世話を焼いてくれる息子夫婦。入院中の嫁と生まれてくる孫のために食事を準備する親夫婦。あづが高熱で倒れた時、病院の先生に「どういうご関係ですか?」と聞かれ「親戚です」と即答していたサンヘーママ。…この人たちの人生は「家族」と重なり合っている。ここにいると、どうしてこんなに安心感があるんだろう。誰かとひとつ屋根の下で共同生活をすることが嫌いだったから、三ヶ月くらいでさっさと次のアパートに移ろうと思っていたはずなのに。意外にもこんなに居座ってしまった。

 ある日、あづが出かけようとしたらサンヘー息子が来た。午前中に来るなんて珍しい。サンヘーママはもう仕事に出かけている。サンヘー息子は遅めの朝ごはんを食べ終わると、何やら真剣な雰囲気でサンヘーパパと話を始めた。何を話しているかはわからないが、いつまでも二人だけで語り合う父と息子の姿があまりに印象的だった。この家で見る光景はどれも、あづの今までの人生にはなかったシーンばかりだった。

 ジエジエが入院してひと月が過ぎた頃。突然、また緊張する出来事が起きた。転んだ時の後遺症がまた傷口を開いたのだ。体内で出血しているのだという。このままでは赤ちゃんが危ない。ジエジエから携帯にメールが来た。
 『どうしよう、あづ。おなかの中で死んじゃう前に赤ちゃんを出さなきゃならないかもしれない。全部あたしが悪いんだ。不注意で転んだりなんかするから…』
 ジエジエがかわいそうで涙が出そうになった。出産予定日はまだ二ヶ月以上先だ。初めての妊娠でこんなことになって、きっとすごく心細いに違いない。
 『ジエジエ、気を落とさないで。ママが恐がったらおなかの赤ちゃんも不安になるよ。ママになる人間には神様が特別な力をくれるから、きっと大丈夫!』
 そう返信はしたものの、実はあづも不安で仕方がない。こんなに生まれてくることを望まれている赤ちゃん。サンヘー家族みんなが待ちわびている赤ちゃん。絶対無事に生まれてきてほしい。世の中にはいろんな事情で生まれてこられなかった子供もたくさんいるという。お願いだから、そんな悲しみがこの家に起きないでほしい!あづはそう祈らずにいられなかった。
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by azu-sh | 2006-06-07 13:56 | 「あづ」の中国ホームステイ
 不正出血で入院したジエジエは、総合病院の婦人科病棟にいる。とはいってもまだ出産まで三ヶ月もあるし、特に体調が悪いわけでもないのでジエジエはひまをもてあましているようだ。
 『することがなくてヒマだよー。あづも遊びに来てよ』
 病院からわたしの携帯電話にしょっちゅうメールが届く。そういえば中国の病院ではみんな普通に携帯を使っている。以前中国人の友達が入院したので日本人仲間と一緒にお見舞いに行ったことがあったが、病院に入る前に一斉に携帯の電源を切っているわたしたちを見た中国人から「何してるの?」と聞かれた。驚いたのは日本人のほう。見ると、みんな待合室でも診察室でも入院病棟でもかまわず自由に携帯を使っていたのだ。(えー、それで大丈夫なの?)思わず苦笑してしまった。

 ある晩、いつもより早く帰宅できたので病院に行くサンヘーパパとサンヘーママについていくことにした。病院までの道のりを三人で歩きながらいろんな話をする。サンヘーママが懐かしそうに話してくれた。
 「うちの息子、生まれた時へその緒が首に巻き付いていてね、下手したら窒息死するところだったの。でもたまたまあの総合病院に入院していたから、専門のお医者さんもいたし最新機器も揃っていて無事に出産できたのよ。小さな病院だったらダメだったかもしれないわ。だからあの病院には恩を感じていてね、そして今は息子の嫁もお世話になってるのかと思うと不思議な縁を感じるわね」

 「お邪魔しまーす」
 あづが病室に入ると、ジエジエは「やっほー♪」と大喜び。元気そうでひと安心。食事を終えたばかりらしく、仕事を終えてから毎日来ているというサンヘー息子が食器を片付けている。それをサンヘーパパがふきんで拭いて持ってきた袋にしまう。二人ともなんとも甲斐甲斐しい姿だ。
 病室は八人部屋で、おなかの大きい人が四人、出産したばかりの人が三人、そして相変わらずスリムなジエジエというメンバー。ベッドとベッドの間にカーテンがあるわけでもなく、まるでドミトリーのように開放的である。そして新生児の泣き声に負けじとママさんたちがお互い大声でおしゃべりしている。温泉旅館じゃあるまいし…こんなににぎやかな入院部屋を見たのは初めてで、あづはぽかんとしてしまった。
 出産したばかりの人たちはみな、数日前に生まれた赤ちゃんを抱っこしている。中には小さな病院用シングルベッドに親子三人で窮屈そうにいびきをかいてる一家もおり、微笑ましい。だんなさんも泊り込みなのだろうか。「あなたも抱っこしてみる?」と言われたが、残念ながらあづは赤ちゃんを抱っこするのがものすごく恐いので(壊れちゃいそうな気がしてならないのだ)、せっせと首を振る。ママさんたちに笑われてしまった。
 入院仲間とすっかり仲良くなったらしいジエジエがみんなにあづのことを紹介してくれた。「この子日本人なんだよ~今ダンナの両親のところに居候してるの」。他の妊婦さんたちが口々に「サヨナラ」と挨拶してくれた。会ったばかりで「サヨナラ」もないが、きっと知っている日本語で挨拶したつもりなのだろう。当然だけど食欲旺盛なグループである。バナナやらライチやらケーキやらがベッドの下から次々出てきて「あづも食べろ」と言われるが、さすがにちょっと限界がある。この病室、食糧倉庫みたいだ。

 サンヘーパパ・サンヘーママ・サンヘー息子そしてあづでジエジエを囲む。もりもりバナナをほおばるジエジエを真ん中に、サンヘー家族大集合。おなかの赤ちゃんに会える日が今からとても楽しみだ。
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by azu-sh | 2006-06-06 06:45 | 「あづ」の中国ホームステイ
『ジエジエ、入院したって聞いたよ。大丈夫?』
 いてもたってもいられなくて、ジエジエの携帯にメールを送ってみた。しばらくして返信が来た。
『ありがとう、大丈夫だよ。もうあたしってばドジだよね』
 妊娠六ヶ月に入ったジエジエは、不注意で転んでしまったのが原因でひどい出血があった。幸い本人もおなかの赤ちゃんも大事には至らなかったが、出産予定日まであと三ヶ月あるというのに「もう一度何かあったら次は保証できないので出産当日まで入院していること!」と医師に言い渡されてしまった。病院の中にいれば、たとえ何か起きても二十四時間いつでも対応できる。費用はかかるけれど、安全のためにはやむをえない。
『予定日はまだまだ先なのに、仕事も全部休んで病院に缶詰になっちゃった。ひまだからあづも会いに来てね』

 ジエジエが入院して急に忙しくなったのは、ほかでもないサンヘーパパだった。ジエジエは今一番栄養を取らなければならない時期だというのに、病院の食事がまずくて食べられないのだ。数日間の入院とか、せめて妊娠中でなければテイクアウトの弁当などでガマンしてもらうこともできる。でもこの時期に偏った食事を三ヶ月も続けたら、赤ちゃんの発育にも影響する。しかし「誰が毎日食事を作って届けるの?」…サンヘー息子→仕事。サンヘーママ→仕事。ジエジエのお母さん→仕事。あづ→問題外。こうなったら、ジエジエの苦境を救えるスーパーマンはただひとり。我らがサンヘーパパの出番だ!
 既に定年退職したサンヘーパパは、毎朝家族で一番早く起きて野菜市場に行き、朝食から夕食まで完璧に用意する「上海的模範亭主」の鏡である。でっぷり太ったおなかに可愛いエプロンをしめ、鼻歌を歌いながら台所に立つサンヘーパパは、なんだか漫画に出てくるキャラクターのようでとっても可笑しい。たまに超スピードで台所仕事を片付けたかと思うとこっそりテレビゲームをしている姿など、とても六十過ぎた退役軍人には見えない。これは内緒だけど、あづは日本の実家に送る手紙の中でサンヘーパパのことを「トトロ」と呼んでいる。サンヘーパパを見ると“寝起きのトトロ”を思い出してしまうのだ。

 ジエジエが入院してから、トトロはますます早起きになった。サンヘーママを送り出したらすぐ今度は食事の宅配に行かなければならないからだ。栄養バランスを考え、味付けも工夫して毎日三種類ほどのおかずとスープを作る。おかずをタッパーに入れ、スープは小さな鍋に入れたまま蓋をして持っていく。ジエジエが入院している病院まで、家から徒歩約十五分。パパは毎朝両手に袋を下げて食事を届け、夜にはサンヘーママと一緒にもう一度病院に行きカラになった容器を持って戻ってくる。
 あづは心底感心した。入院したお嫁さんのために食事を作って宅配し続ける義父なんて、日本のどこにいるだろう。あづは思わずねぎらいの言葉をかけずにいられなかった。いつもそうだけど、サンヘーパパはわたしにほめられるととたんに目がなくなってしまう。
「おお、あづ。上海男は頼りになるだろう、え?こんなにたくさん作ってもオレの口には入らない。全部嫁と孫が食うんだ
 …あのー、まだ“孫”は生まれてませんから…(笑)でも「孫が食ってる」と言ってしまうあたり、サンヘーパパの人柄がうかがえてあづはまた可笑しくなった。
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by azu-sh | 2006-06-05 10:01 | 「あづ」の中国ホームステイ
 サンヘーママたちの寝室には、年代物の足踏みミシンがある。オークションにでも出せそうな、年季の入ったアンティークミシン。中国では、ミシンに限らず掛け時計や衣装ダンス、食器から自転車まで、日本だったら既に博物館行きでは?と思うほどの骨董品が今も現役として活躍している。あまりに旧式で、あづには使い方がわからないものさえある。日本人留学生の中には「二層式洗濯機」を見て途方に暮れた人もいたそうだが、うちのサンヘーママは普段「洗濯板」で手洗いしている。最新式は高価で手が届かないから、というわけではない。今のやり方で十分間に合っているから特にほしいとも思っていないのだ。
 「日本人は“使い捨て商品”が好きだよね。中国人はひとつの物を何年も何年も大切に使うから“一回きりでポイ”という考え方はどうもなじめないな」ある中国人がそう話していたのを思い出す。確かに日本人は次々と新しいものに買い換えては、まだ使えるものを容易に捨ててしまう。サンヘーママが見たら顔をしかめそうだ。

 日曜日、サンヘーママはミシンを部屋の真ん中まで引っ張り出してきて、一日中せっせと動かしていた。何を作っているのか気になってあづがのぞきに行くと、既に縫い上がった赤ちゃん用の服が何枚も並んでいた。数ヵ月後に生まれてくる初孫のために作った、おばあちゃん特製の手作りベビー服。
「わぁ器用だね、ママ!いつのまにこんなにたくさん作ったの?」
 あづがそう言うと、サンヘーママはミシンを止めて出来上がったものを見せてくれた。よく見ると、どれも同じデザインだが少しずつサイズが違う。
「これは生まれてすぐに着る産着よ。そして六ヶ月くらいになったらこっちを着るの。もう少し体が大きくなったら今度はこれね」
 古い衣服をほどいて使ったのでは?と思うような地味な生地ばかり。でも清潔で丈夫で、着心地よさそう。すぐに着れなくなってしまうベビー服を何枚も買い揃えるより、ずっと経済的でずっと愛情がこもっている。(生まれる前から愛されているんだね…♪)あづは小さな服を手にとり、思わずにっこり微笑んでしまった。

 そんなある日の朝早く。物音がして目覚めると、サンヘーママが緊張した表情で出かける支度をしていた。まだ仕事に行く時間でもないのにどうしたんだろう。サンヘーパパと早口の上海語で何か言い合っている。パパの表情もいつになく険しい。あづはただならぬものを感じて声をかけた。
「何かあったの?」
 サンヘーママはわたしをチラッと見、悲しそうにため息をついた。
「嫁がね、ひどく転んでしまってゆうべから不正出血が止まらないの。今から病院に行ってくるわ」
 えっ、ジエジエが?あづはドキッとした。実はこのひと月前、日本にいるわたしの実の姉が流産を経験していたのだ。不安にさせたくなかったからジエジエには内緒にしていたけど、つい姉のことが思い出されていやな予感がした。
「あの…ジエジエは大丈夫なの?」
「まだわからないわ。大丈夫だと思うんだけど…」
 そう言うとサンヘーママはあたふたと出かけていった。
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by azu-sh | 2006-06-04 01:41 | 「あづ」の中国ホームステイ