★2012年8月、およそ6年ぶりに中国上海に帰ってきました!このブログは「AZU」が綴る、上海(サンヘー)滞在記録。ワクワクの上海生活、まるごとお届けします。ほらね、生きてるってこんなに可笑しい★


by azu-sh
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31

<   2006年 05月 ( 12 )   > この月の画像一覧

*中国シットコム「家有儿女」ってどんな家族構成なの?*
b0074017_10113923.jpg

 パパの夏東海は妻と共にアメリカ留学に旅立ちますが、数年後離婚。7歳の息子夏雨を連れて中国に戻り、中国で祖母に預けられていた長女の夏雪を呼び寄せ、劉梅と再婚します。劉梅には前夫との間にひとり息子の劉星がいました。こうして五人のステップファミリーが誕生。いろんな感情や葛藤が渦巻く中、再婚したパパとママは力を合わせて子育てに取り組みます。
夏東海(43) 夏雪と夏雨の実父。児童演劇の脚本や演出を手がけている。
劉梅(38) 劉星の実母で看護師。中国で非常に有名な個性派女優、宋丹丹が演じている。
夏雪(17) 高校二年生の女の子。8歳の時両親がアメリカに留学、その間中国で祖母に育てられる。
劉星(14) 中学二年生の男の子。口が達者なお調子者。
夏雨(7) 小学生の男の子。年少時はアメリカ育ち。口癖は「My God!!」

*どこで見られるの?*
b0074017_10141467.jpg

 実はコレ、非常に答えにくい質問…。なぜなら中国のチャンネルは数知れず、あちこちの局で様々な時間帯に同じ番組が放映されており、その番組放送予定を正確に把握することはかなり困難だからです。
 「家有儿女」を放送しているのは上海教育台、山西衛視、瀋陽総合頻道、河北農民頻道、吉視公共、黒龍江少儿…などなど。それぞれの局により放送時間も放送予定のエピソードもバラバラです。わたしは山西衛視で午後二時台、三時台に見ることが多いですね。しかし番組表がないゆえに「やみくもにいろんなチャンネルをつけてみてたまたまやってたらラッキー」という感じなので、一概に言えません…。(答えになってなくてごめんなさい)
 VCDもネット販売されているので、これを購入すれば日本でも見ることができますね。中国語のヒアリング力がなかなか伸びない、自然なスピードの口語をたくさん聞きたい、という学習者にはもってこいの教材ですよ。ただし標準的な普通話というより北京方言が強いという点はお断わりしておきます。巻き舌(r 化)音が多く、上海など南方に住む日本人には少々聞き慣れないかもしれません。でも簡体字の字幕がついていますし、たとえセリフが聞き取れなくても生き生きとした映像を見て十分楽しめると思いますョ。

*あづのコメント*
b0074017_10153392.jpg

 初めてこのシットコムを見た時、場面の切り替えや笑いの取り方、教訓の残し方など全体の構成がまさにアメリカン子育てシットコムそのままで(うーん、もしかしてパクリ?)と思わず苦笑いしたものです。けれど「家有儿女」の誕生秘話や《Growing Pains》が中国人家庭に与えた好影響を知り、生まれるべくして生まれた中国シットコムなのだなぁ…とにわかに注目するようになりました。今ではおすすめ中国語番組のナンバーワンです。なんとシットコムの本場アメリカでも放送されるようになった「家有儿女」、さてさて、現地での評判はいかがなものでしょうか。
 個性豊かな登場人物の中で、あづのお気に入りは「劉星」クン(↑写真左)。けっこう好きなタイプの男の子ですね(笑)。根っからのお調子者で、動機はいいんだけど結局ドジを踏んでしまうパターン、かなり共感。損な役回りが多く、問題発言も多し。しかしいい味出してます、彼。あづにもこんな弟がいたらいいなぁ。ちなみに中国では結婚・再婚しても姓は変わりませんから、「夏」さんの実子は「夏」姓、「劉」さんの実子は「劉」姓を名乗っています。
 このドラマでもう一つの見どころはポップでカラフルなインテリア。なんと最近スウェーデンから日本上陸を果たしたIKEAのアイテムがふんだんに使われているのです。上海の日本人家庭には少なからず「IKEA商品」が鎮座していますから、親子でこの番組を見ながら「あっ、これうちにもあるよね!」という声が上がること間違いなし(笑)。ちなみにあづは食器たてがおそろいでした。(写真奥に写っていますよ↑わかるかな?)他にも子供部屋に貼ってあるスラムダンクのポスター、お姉ちゃんの部屋に置かれた変な顔のトトロ人形など…中国における日本アニメの人気のほどを感じさせてくれます。
 このような中国製シットコムが日本で放送されたら、中国語学習者にとってこれまでになかった最高のヒアリング教材になるはず!万国共通の子育てハプニングが視聴者の共感を呼び、「反日」「嫌中」の黒雲なんか一気に吹き飛ばせそうなのに…。中国人家庭にしてはアメリカンナイズし過ぎな描写がちょっと気になりますが、中国ならではの生活習慣や価値観、子供を取り巻く環境もよく反映されています。中国でテレビを見る機会があれば、ぜひチェックしてみてくださいね。愛情あふれる中国のホームドラマを見てほのぼのとしたひと時を過ごしてみませんか。
[PR]
by azu-sh | 2006-05-29 10:25 | 「あづ」の中華芸能コーナー
*アメリカ製シットコム、中国に上陸*
b0074017_9215425.jpg
 シットコム(sitcom)とは少し聞き慣れない名称ですが、Situation comedy(シチュエーション・コメディ)の略です。家庭や職場など特定されたシチュエーションで繰り広げられるほんわかコメディですね。テンポのよい展開が特徴で観客の笑い声が聞こえてくる、あのタイプの番組です。中国語では「情景喜剧」あるいは「情境喜剧」と訳されています。あづの大好きなシットコムといえばNHK教育で今も放送中の「フルハウス」、そしてチャイニーズシットコムでは「家有儿女」!このシットコム、日本ではなかなか製作されませんが、お隣の中国では既に何本ものヒットを放っています。それもこれも新しいスタイルを自国に取り入れる中国のハングリー精神が芽を出したもの。中国では1982年からアメリカ製シットコムが放映されていますが、実際に高視聴率を獲得し社会的フィーバーを巻き起こしたのは1992年に放映されたあるアメリカンホームドラマ。その番組とは…。

*中国のお茶の間に「笑い」と「会話」を*
b0074017_9225142.jpg
 そう、日本人にもおなじみのアメリカンシットコム《Growing Pains》(日本語題名は「愉快なシーバー家」・中国語題名は「成长的烦恼」)なんですね。ブラット・ピットやレオナルド・ディカプリオがゲスト出演したことでも知られています。1992年、この名作シットコムが中国で放映されるやいなや、中国の視聴者はあっという間にこのドラマのとりこになってしまいました。中国に紹介されたアメリカのシットコムは決してこれが最初ではありません。けれど子育てをテーマにした《Growing Pains》はそれまでになかった大反響を呼び、中国の伝統的な家庭のあり方に新鮮な風を送りました。当時の視聴者が残したコメントからもそれがうかがえます。
「家庭教育方式还能如此民主、平等。没有打骂,父母能主动承认自己的错误。」(家庭での教育がこうも民主的かつ平等にできるとは。子供を叱ったりたたいたりせず、親が進んで自らの非を認めている。)
「父母对子女的关心不仅仅在物质上,还有更重要的交流与沟通。」
(子供にモノを与えることだけが親の愛情ではない、もっと大切なのはコミュニケーションなんですね。)
 子供とはいえ個人を重んじるアメリカ式子育て。話し合うことで理解を深めようとする親子の姿。生活に彩りを添えるユーモアとハイセンスな暮らしぶり。…アメリカ生まれのシットコムは、厳しくお堅いイメージが拭えない東洋の多くの家庭に「笑い」と「会話」の大切さを教えてくれました。そして、このシーバー家の成功こそが中国産シットコムの誕生につながる鍵となったのです。

*中国製シットコムが生まれるまで*
b0074017_9234898.jpg
 シーバー家が中国上陸を果たす数年前、演劇を学ぶある中国人男性が留学先のアメリカでシットコムに出会いました。名前は英達、後に「中国シットコムの父」とも呼ばれるようになった人物です。シットコムの本場アメリカでその撮影現場に出くわした英達は大きな衝撃を受けました。そのコミカルでいて教育的なコメディを見て彼は「中国早该搞这一套了。」(中国にもこれがあっていいはずだ…)とつぶやき、観客の笑い声を取り入れたこの新しいスタイルの番組を中国に持ち込む決心をしました。彼の情熱は形となり、1993年中国初の本格シットコム「我愛我家」が放映スタート。しかし最初は視聴者がついてこなかったといいます。1994年のある調査では「最もおもしろくないテレビドラマ」に名前が挙がる始末。しかし英達をはじめとする中国スタッフはシットコムの底力を信じて製作を続けました。時が経つにつれ、「我愛我家」はお茶の間の人気番組となり、毎年のように再放送される「中国シットコムの古典」として愛されるようになったのです。その後も中国の一般家庭を舞台にした名作シットコムが次々と生まれました。(最近は上海語で作られたコミカルなシットコムも多数あり、上海で高い視聴率を誇っています。)
 しかしなんといっても中国人にダントツ人気のシットコムといえば、本場アメリカの「愉快なシーバー家」。この《Growing Pains》の中国版を作ろう!というアイディアで製作されたのが2004年にスタートした「家有儿女」シリーズです。子連れ再婚をしたステップファミリーの日常を舞台に、個性的な面々が笑いと感動を振りまきます。一体どんなお話なのでしょう?あづのお気に入りナンバーワン中国シットコム、次回は「家有儿女」の特集です。お楽しみに♪
[PR]
by azu-sh | 2006-05-27 09:25 | 「あづ」の中華芸能コーナー
 幼い頃から片親家庭で育ち、筋金入りのかぎっ子だったわたし。幼稚園の頃からひとりで八時間お留守番なんて朝飯前、当時のあづにとっては“家族”より“お友達”のほうがよほど現実味があった。シチューのコマーシャルで見る円満な家庭像にあこがれつつも、当の肉親になかなか心がひらけない。顔が似ているのに一番理解できない存在。一番近くにいるのに一緒にいて一番疲れる存在。“家族”というシステムさえなければどんなに生きていくのがラクだろう、とさえ思っていた。

 あづの下宿先の大家さん、サンへーパパとサンへーママには息子が一人いる。あづが引っ越してくる三ヶ月前に結婚して家を出て行った。サンへーママは心の中で(女の子の下宿人が来たらいいな…)と思っていたという。「息子がひとりきりで女の子はいなかったから。女の子の下宿人が来たら娘ができたみたいでうれしいなと思っていたの」。この下宿先はあづの知り合いとか友人の紹介ではなく、ふらりと入った不動産屋で見つけた物件にすぎない。けれど国籍も言語も違うあづがやってきて以来「娘ができた」と言っては喜んでくれる。家にはいつも誰かがいて、「いってらっしゃい」と見送り「おかえり、あづ」と迎えてくれる。「家族の待つ家に帰る」、そんな自然なことがわたしには最高に新鮮だった。
 あづがサンへー家族の仲間入りをして最初の三ヶ月、息子夫婦は毎日のように実家に寄って夕飯を食べていた。二人ともフルタイムで働いているから帰宅してから家事をする余裕がない。ひと足先に定年退職したサンへーパパが家族のために夕飯を用意し、みんなの帰りを待つ。あづが帰ってくると、向こうの部屋から四人のにぎやかな話し声が聞こえてくることがよくあった。
 しかし最近、食事どきになってもやけに静かだ。あづが早く帰宅してもなかなかサンへー息子とジエジエは現れない。「ねぇママ、最近あの二人来ないよね」食器を洗っていたサンヘーママにそう言うと、ママは何か意味ありげに笑って指でおなかを指して見せた。「えっっっ、もしかして息子さん夫婦に赤ちゃんができたのぉ??」思わず小学生のような声を上げてしまったあづ。「そうよ、だからバイクで毎晩ここに来るのも危ないし、自炊したほうがいいって言うのよ」…ジエジエに赤ちゃんが生まれたら、サンヘーパパとサンヘーママにとって初孫である。「わぁ、よかったね~」と言うとサンヘーママは首を振り、「アイヤ~」とうれしそうなため息をついた。
 その頃から、サンヘーパパとサンヘーママはことあるごとに「男がいい」「女がいい」だの「誰が面倒を見る」だのと言い合うようになった。もっとニコニコ喜べばいいのに、どことなく二人とも不安気で落ち着きがない。嫁の初めての出産というのは、うれしさよりも心配が先に立つものなのかもしれない。

 上海のホームステイ先での初孫誕生は、あづがそれまで知らなかった“家族の存在意義”を教えてくれる貴重な思い出となった。わたしが日本でどうしても克服できなかった“家族”への苦手意識がまさか上海の下宿先で取り払われるとは。既に一年以上前のことになるけれど、自分自身の記録として当時を思い出しながら記してみたいと思う。
[PR]
by azu-sh | 2006-05-24 17:03 | 「あづ」の中国ホームステイ
 「ねぇ~ほんとのほんとに日本人?!じゃあ何か日本語しゃべってみてよ~」
 いたずらっぽい目でわたしをからかってきたのは媛媛(ユエンユエン)、小学校三年生。そう、またまたあづの小学生友達の一人である。あれはあづが、元小学校教諭だったという楊(ヤン)おばさんの家にお邪魔した時のこと。「あづ、本を読んであげたら?」と楊おばさんに言われ、中国語の絵本を楊おばさんに借りて媛媛と一緒に読むことにした。題は「ノアの箱舟」、聖書中の物語である。昔々、人間社会が悪にまみれている様子をご覧になった神様が、地球規模の洪水を起こして人類を滅ぼした。神様を信じる敬虔なノアとその家族合計八人だけが箱舟に乗って洪水を生き延びるのだ。「船」という漢字は分解すると「舟」「八」「口」、つまり「八人家族が船に乗っている」という由来があるという話もしてあげた。
…下雨之后再次有阳光,天空时常会有彩虹出现。彩虹有很多美丽的颜色。上帝说:“我答应永不再用洪水毁灭所有人类和动物。我把彩虹放在云里。每逢彩虹出现,我看见就会记起我所作的这个应许。”
 (雨があがって陽がさすと、空に虹が現れることがあります。虹はいろんな美しい色をしています。神様はこう言われました。「わたしは二度と再び、洪水で人類と動物を滅ぼすことをしない。そのしるしとして雲の間に虹をかけよう。そして虹を見るたびにわたしはこの約束を思い出そう。」…)

 お話を読み終わると「ねぇクイズ出して!」とせがまれた。そこで物語や挿絵からちょっとひねったクイズをいろいろ出してみる。媛媛はクイズが簡単だとご機嫌斜めになるが、すぐに答えが出ないものだと目をキラキラさせて答えてくれる。あづも楽しかったけれど、媛媛の頭の回転の速さにはまいった。クイズに答えるより問題を出すほうが実はよっぽど難しいのである。
 媛媛とこのお話を読んで思い出したことがある。
 あづも幼い頃、母に毎晩絵本を読んでもらっていた。きっとその絵本の挿絵で虹を見たことがあったのだろう、あづは虹が空にかかる七色の橋でごくたまにしか見られないということを知っていた。
 そしてそれを初めて目にしたのが二歳の夏。あの日はとても暑く、母が庭にビニールプールを出してくれた。あづも水着を着てビーチサンダルを履いて、近所の友達と一緒に「キャーキャー」大騒ぎ。その瞬間である。ふと頭上を見上げたあづは驚きのあまり、体が固まってしまった。雲と雲との隙間に、短いけれどくっきりとした七色の虹が見えたのだ。絵本で見た虹、でもこれは絵じゃなくて本物だった。ちっちゃなあづの目にそれはあまりに高く、あまりに不思議で、表現しようのないくらい美しかった。母や友達に「見て!」と言うのも忘れ、あづは一人ぽかんと空を見上げて立ち尽くしていたのを覚えている。
 大きくなってこの出来事を思い出すたび、(いくらなんでも二歳で虹見て感動するなんて早すぎるよなぁ~あづの思い込みかなぁ~)と不安になった。けれど三歳の夏には庭のあるあの家から引越していたので、プールを出して遊んでいたのは間違いなく二歳の夏のはずなのだ。

 あづは「一番古い記憶って何?」とか「今まで見た一番美しい光景って何?」と聞かれると、迷わず「はじめての虹」と答えている。もちろんその後、両端の根元まではっきり見える大きな虹を何度も見たことがある。けれどあづがこの世で最初に見た、あの短くて神々しい虹ほど美しいものはなかった。そして(生まれて最初の記憶が美しい虹だなんてロマンチックだよなぁ~ふふふ…)と一人酔いしれているのである。
b0074017_1113587.jpg

[PR]
by azu-sh | 2006-05-22 11:05 | 「あづ」の保存版上海日記
 わたしは仕事柄、インターネットで中国語サイトを見ることがよくあります。最近はかなりの数の会社が自らのホームページに英語訳と日本語訳をつけるようになってきました。たまーにこの「日本語訳」を開いてみると…思わずぷぷぷっ。
 例えば室外に取り付ける温度計の販売サイト。この温度計を取り付けると一体どんなメリットがあるのでしょうか。「あなたの外出する時の服装は身につけているように提案して、気温は変化して私恐くなくて、風邪を引くことを免れる」んだそうな。提案されなくても服は身につけてますから!でも「風邪を引くことを免れる」温度計なんて興味深いですよね。
 …なんだか買いたくなっちゃった?では同サイトの「製品Q&Aコーナー」に行ってみましょう。「一枚貼るだけで本当に室外の温度が計れるのか?」という質問に対する答えはコレ。「そうなんです。このようにする簡単さ。ガラスをこすってみてそれを貼りつけて、インストールはだれでもできる。あなたはひとつ買って帰ってやってみて…私を信じて…このように簡単だよ」
 “…私を信じて…”という妖艶なフレーズの魔力に注目。うっかり心が動かされちゃったそこのあなた、落ち着いて。温度計って普通インストールするものでしたっけ?仕事中あづの肩が小刻みに震えていたら、たぶんそんなおもしろサイトに乗り上げちゃったのです。(時々、別のデスクの日本人もお茶を吹き出したりしてますが。)
 しかしいかにも“翻訳ソフトにかけただけ”という日本語でも、たまには詩的な響きを持っていたりしてこれがまた新鮮。例えばコレ。チャイナドレスの販売サイトです。日中翻訳ソフトの産物だとは思いますが、一瞬「近未来派詩人」による詩かと思いました。

 垂直は飾る 完全な塵を
 まだ満たすためにある贅沢な夢を……乾燥しなさい

  
 ミヒャエル・エンデ作「はてしない物語」の中に、アルファベットをランダムにならべ続ける廃人たちが登場したような…。あらゆる書物は文字の羅列である、ゆえに一つ一つの文字をランダムにならべていく作業をひたすらやっていると、ふとした瞬間に偶然「意味を持つ単語」が出来上がったりする。これを永遠に繰り返していれば書き記されるべきすべての書物がいつしか出来上がるはずだという…。文字通り果てしのない話です。
 上のサイトを見た時、(まるでその作業から編み出されたようなフレーズだなぁ)と思い、しばし我を忘れて何度も読み返してしまったあづでした。
 まったく何してるんでしょうね、仕事中に。…ん?仕事中…?

 いけないっ!こんなコラムを書いてる場合じゃない。早く仕事に戻らなきゃ!
実は今も仕事中のあづでした…。(本日は自宅勤務なり…!)
[PR]
by azu-sh | 2006-05-17 14:59 | 「あづ」の保存版上海日記
 最近あづが乗り物に乗っている時、なぜか周りでおもしろいことが起こります。それもわたしの気分がふさいでいる時に限って。
 例えば朝の出勤時、片足でしか立てないくらいの超満員地下鉄の中で大喧嘩してたオバさん三人。怒鳴り声の音量もすごいけど、その内容がまた聞けたもんじゃない。(朝からこんな車両に乗っちゃって、ツイてないなぁ…)とあづがうんざりしていると、ついに業を煮やした一人の男性が「おっかねぇなぁ~!」と大声で抗議。それまで緊張の糸が張り詰めていた満員車両が突然爆笑に包まれました。ぎゅうぎゅう詰めの地下鉄で、同じ車両の人たちが一斉に吹き出すシーン、想像できますか?身動きの取れない状態で笑いの種になってしまったヒステリーオバさん、さすがに口をつぐんでしまいました。

 これは夕方のバスの中で。やはり満席で、あづは隣りの人に押されながらも手すりにつかまり、かろうじてバランスを保っていました。頭上では車内テレビが今日のローカルニュースを流している時間。耳だけそちらに向けて聞いていると「本日、上海動物園で老人がトラに咬まれました」という恐ろしいニュースが。おしゃべりをしていた人たちも思わず口を止めて乗客が全員息を飲んでテレビ画面に注目。テレビでは“トラに咬まれて負傷したおじいさん”がインタビューを受けていたのですが、とぼけた表情で「いやーあいつとは仲良しで気心が知れてたんだがねぇ~今日は安全柵を乗り越えたら噛み付いてきてね~」。他人事ながらホッとしました。満員バスの乗客がはじかれたように笑い出したのも無理はないかも?

 そしてこれはタクシーでの話。
 その日の午後、用事があったのにあづの体調は最悪。加えて気分があまりに落ち込んでいてどうしても出かける気になれなかったため、直前までグズグズしているうちにバスに乗り遅れてしまいました。仕方なくタクシーに乗ったんですが…この運ちゃんがまた傑作!年は四十代くらいでしょうか、目に入った看板やら標識を次々と即興の歌にしてしまうのです。「信号守って~ルールを守って~そんなの知るか~♪」とか「前方工事中ゥ~車両は迂回ィ~♪」とかね(←もちろん中国語ですよ)。ラジオのCMでペキンダッグの店の宣伝が流れると、そこから約二分間ずっと「ぐわっぐわっ…ぐわーっ」とアヒルの鳴きまね
 赤信号で他社のタクシーが横に止まると「あいつ、新人だぜ」と言いながらボタン操作で助手席の窓を開け、「ヒュ~ヒュ~!」と口笛でからかう始末。前方で白バイに乗った警察が取り締まりをしているのに気づいて、約0.5秒でシートベルトをつけた運ちゃん。車をわざとゆっくり走らせて、他人が警察に捕まっているのをおもしろそうに眺めている…かと思ったら再びボタン操作で助手席の窓を開け、大声で「おーい、罰金いくらだった?」。(な、何聞いてんねん!)と後部座席で目を丸くしていたあづ。警察に捕まっていたドライバーは怒ったような表情で「二百元だとよ!」…運ちゃんはニヤリと笑って窓を閉めるとあづに向かって一言、「おい、警察っていい商売だよな、え?」
 こんなアホな運ちゃんに付き合っていたら、さっきまでのブルーな気持ちはどこへやら。目的地に着いた頃には自然と笑顔になっていたあづでした。

 わたしは日本にいると人目を気にしてしまい、なかなか感情を外に出せません。バスでも地下鉄でも、言いたい文句は飲み込んで、おもしろいことがあっても笑いをかみ殺す。それなのに、ここサンへーでは感情の向くままストレートな行動に出る人の多いこと…。(ムカッ)とくることが多いのは否めませんが、最近は大いに笑わせてもらっています。あははは~!
[PR]
by azu-sh | 2006-05-15 22:14 | 「あづ」の保存版上海日記
*「あづ」の(ちょっとディープな)上海観光局*
 このカテゴリでは、ガイドブックとは全く違う角度から上海を楽しめるあづのとっておきスポットをご紹介したいと思っています。第一回目はベルギー生まれの世界的人気漫画「タンタンの冒険旅行シリーズ」の「青い蓮」よりヒントを得、タンタンゆかりの街を歩いてみたいと思います!

*タンタンの歩いた通りを探してみよう*
b0074017_234193.gif
 「青い蓮」の中に登場する通りの名前は、その多くが架空の名称です。でも中には上海にお住まいの方ならきっとピンと来る地名もあるはず!タンタンの歩いた通りとは…。
・静安路 悪役の日本人“ミツヒラト”(中国語版では平野松成)が住んでいたのがここ。上海に住んでいる人なら(あれ?どこかで聞いたような?)と思うはず。そう、地下鉄二号線沿いに「静安寺」がありますよね。「静安路」という通りは実在しませんが、なんとなく(静安寺付近だろうな)と思ってしまいますね。
・南京路 上海の定番観光コース、この名前は有名ですね。ネオンで有名な南京東路は、タンタンが上海を訪れた租界時代からの繁華街です。
・太平路 これも一応実在します。黄浦江沿いにあり、国際フェリー乗り場の近くです。しかし本のイメージとはだいぶ違うけどなぁ?
・紫金山路 架空の名前なのですが、あづには思い当たる所が……。豫園の近くに一字違いの「紫金路」があり、そこなら何度も通ったことがあるんです。
・広賢路 方世英教授の家があった通り。同名の通りが地下鉄一号線莘庄駅近くにあります。でも市中心地からかなり離れているので、きっと単なる偶然でしょうね。(笑)
・沿江路 この名前も実在します。浦東地区の盧浦大橋よりもさらに南に下った黄浦江沿いの道。でもこの辺りは租界ではなかったのでストーリーと矛盾?!
・大吉路 こんなおみくじのような通りも実際にあります。老西門や孔子廟(文廟)の近くです。
・その他、浦濱路 小花園路は実在しませんが、本に登場してきます。
 こう見ると、本に登場する地名が実在していたとしてもそれは偶然であって意図した結果ではなさそう……。(ちなみに中国語版「蓝莲花」から地名を拾ったため、日本語版「青い蓮」では見つからない可能性も大いにあり。また翻訳の関係で多少表記が異なるかもしれません、あしからず。)この地名を本の中で全部見つけられたら、かなり観察力の鋭い方ではないかと思います。ぜひお試しあれ!挿絵とセリフをよーく見ると、どこかに隠れていますよ。

*チャンが遺した芸術作品の数々*
b0074017_2412923.jpg
そしてタンタンファンなら足を伸ばしてみたい本命スポットはここ!タンタンの親友“チャン”のモデルとなった故・張充仁さんの記念館です。1935年にベルギー留学から帰国した彼は、その後上海を拠点に彫刻家・画家として活躍しました。力強く躍動感あふれる彫刻は見る者の心をゆさぶり、優しいタッチの水彩画は素朴で親切な“チャン”の面影を感じさせてくれます。上海市内では歩道のオブジェとして彼の彫刻作品が飾られている所もあるらしい。タンタンに見せてあげたいな!
張充仁記念館
住所:上海闵行七宝镇蒲溪广场75号    TEL:021-54866011
[PR]
by azu-sh | 2006-05-14 02:48 | 「あづ」の上海観光局
*ブックデータ*                
書名:蓝莲花(日本語の題名は「青い蓮」)
著者:埃尔热(エルジェ)
発行:原版の刊行は1936年
出版:中国少年儿童出版社(日本語版は福音館書店)
価格:10元
対象:(エルジェいわく) 7歳~77歳の全ての若者
b0074017_9581199.jpg

*どんなお話?*
 本を読んだことはなくても、誰もが一度は目にしたことがあるのではないでしょうか。ニッカーボッカーをはき、白い犬を連れた少年記者。そう!我らがタンタンです。タンタンの中国語名は“丁丁”(ディンディン)といいます。
 世界を飛び回り難問を解決していく大人気の「タンタンの冒険旅行シリーズ」、中でも「青い蓮」「タンタン チベットをゆく」の二巻は中国を舞台にした名作です。「青い蓮」の舞台は1930年代の“魔都”上海。日本軍による鉄道爆破、よからぬことを企む国際犯罪組織、そのアジトとなるアヘン窟……。犯罪の温床となっていた租界時代の上海で、タンタンは身の危険を冒しながらも正義のために闘います。タンタンの武器はその機転と善良な友人たち。ユニークな発想で軽々と難関を切り抜けるタンタンの知恵には、さすがの上海も脱帽です。
 時代背景ゆえにこの作品での悪役は「日本人」なのですが、すべての作品に共通しているようにエルジェの描き方からはあらゆる民族・文化への敬意と人類愛が感じられるため、さわやかで痛快な読み心地となっています。

*著者について*
 タンタンの生みの親、エルジェ(1907-1983)はベルギー・ブリュッセル生まれの有名な漫画家で「ヨーロッパコミックの父」とも呼ばれています。1929年から実に数十年かけて製作されたタンタンシリーズの登場人物は、そのほぼすべてが彼による創作。けれど、タンタンと交友を深める仲間の中にただ一人だけ実在の人物がいるというのはファンの間で有名なトリビア。それが中国人の張充仁(日本語版ではチャンと訳されている)です。張充仁(1907-1998)は上海・徐家匯出身の芸術家で、彫刻家また画家として世界的な成功を収めました。エルジェとは1934年にベルギーで知り合い、その作風と技巧はエルジェ自身にも大きな影響を与えたといわれています。世界で最も有名な記者タンタンと上海少年の厚い友情のドラマ。漫画の背景にあったこの実話を知ると、タンタンそして作者エルジェにとって上海がいかに特別な町であったかがよくわかります。(ちなみにあづは張充仁さんの水彩画が大好き♪タンタンの親友である彼についてはいずれ詳しくご紹介したいと思います。)

*あづのコメント*
 あづにとって永遠のスーパーヒーロー、タンタン。子供の頃から大好きで、日本語訳が出たらいつも欠かさず読んでいました。原宿までタンタングッズを買いに行ったり、中国でもタンタンTシャツを手に入れたり。上海に引っ越してきてから最初の数ヶ月で中国語版タンタンを全巻揃えてしまったほどの大ファンです。ここ上海で「青い蓮」を読み直した時に覚えた感慨は忘れることができません。わたしが今いるこの町をタンタンも歩いたんだと思うと胸がワクワクし、最後のページで上海・黄浦江から帰国するタンタンを見送るシーンでは自分もチャンと一緒に波戸場に立っているような気分になりました。
 わたしが1997年にハルピンで購入した「中国語版・タンタン」は紙質が悪くて印刷も荒く、絵はすべて白黒でした。でも現在中国の書店で売られている中国語正規版はオールカラーで、以前よりはるかに読みやすい翻訳になっています。なんといっても漫画ですから、緻密なイラストを眺めているだけでも楽しいし、多少中国語がわからなくてもストーリーについていけてしまうのがいいですね。
 あづにとって中国の絵本は帰国みやげの定番。中でも「タンタンシリーズ」は日本にも根強いファンが多いうえに薄くて軽く、一冊わずか10元というお手軽さ。タンタンファンの中には各国の訳本をコレクションにしている人も多いので、あづもおみやげに活用しています。中国語訳は既に20巻以上出ていますが、せっかくの上海みやげならぜひ“蓝莲花”(「青い蓮」)をセレクトしてね!
b0074017_9593169.jpg

[PR]
by azu-sh | 2006-05-11 10:05 | 「あづ」のプチ図書館
 ある晩のことである。その日の仕事を終えたあづは上海駅で地下鉄を降り、市内バスに乗り換えた。テレビもエアコンもついていない、今にも壊れそうなガタガタの“一元”バス。客が乗り降りする時でさえ照明はつかず、車内は暗いまま。普段なら一律二元のエアコン付きバスに乗るわたしだが、その日は疲れていて早く家に着きたかったので、目の前に停まっていた一元のバスに飛び乗った。
 あづの“指定席”である一番後ろの窓側の席に落ち着いたつもりだったが、すぐに後悔した。そうだった、古いバスでは後部座席に乗ってはいけないのだ。耳元でものすごいエンジン音が鳴り響き、ガソリンくさい空気が充満しているからだ。でもバスが動き出してから座席を移るのも気がひけた。仕方ない、家に着くまでのガマンだ!

 あづがぼんやりと薄暗い車内を見ていると、一つ目の停留所で一人の男の子がバスに乗り込んできた。もう夜十時近い。あんな小さな子がこんな時間にバスに乗るなんて珍しい。ちなみに日本では「12歳以上は大人運賃」となっているが、中国では年齢ではなく身長を基準とする。身長120センチを超えたら、年齢に関係なく大人と同額の運賃を要求されるのだ。しかしその男の子はどう見ても120センチに達していなかった。
 他の乗客に混じってバスに乗り込んだ彼は、運賃を払わずにまっすぐ後部座席にやってきて、あづの隣りに腰かけた。どうやら同伴の大人はいないらしい。保護者らしい人が見当たらない。少し不審に感じたあづがチラッと横を向くと、ウッと鼻をつくにおいがした。においのもとは……どうやらこの子だ。もしかしてストリートチルドレン?それとも話に聞く子供のスリ集団か?
 思わず手元のバッグをぐいと寄せ、顔を背けながら(あーあ、やっぱり席を移っておけばよかった……)と考えていると、不意に子供の声がした。
「ねぇ、どこまで行くの?」
 突然声をかけられてびっくりしたが、「××路だよ。きみはどこまで?」と答えてみる。すると男の子は遠くを見つめるような表情で「うーんと……えーと、終点!」と言った。わたしは何も返事をしなかったが、その子はかまわずわたしに話しかけてきた。
「あのさ、上海に空港ってある?どこにあるか知ってる?」
「空港は二つあるよ。ひとつは虹橋、もうひとつは浦東。でもどうして?」
 男の子はそれには答えず、続けて質問する。
「ねぇ、その空港に行ったことある?どうやって行けばいいの?」
 あづは、彼が何のためにそれを聞こうとしているのかがよくわからなかった。
「空港に行ってどうするの?」と聞くと、「飛行機に乗りたいんだ」という答えが返ってきた。

 男の子の話では、四日前に湖南省から列車に乗って上海にやってきたらしい。家はとても貧しくて、着るものも食べるものも満足にないという。年は十歳だと言ったが、背格好は六、七歳くらいにしか見えなかったし当然学校には行っていない。上海は大都会だから、子供だけでも上海に行かせれば少なくとも何かにありつけるだろう。大人たちはそう判断したのかもしれない。彼は同じふるさとの別の子供たちと一緒に、列車に乗って上海にたどり着いたという。背が小さいから、切符を買わずに列車に乗り込めたらしい。
「ぼく、父さんと母さんに会いたい。早く家に帰りたい。今日は上海駅で一日物乞いをしたけど、運が良くてもやっと二元か三元もらえる程度なの。ほんとに何にも食べてないんだ。ねぇ、小銭持ってない?」
 家が恋しいという彼の目は悲しげで、顔は薄汚く、表情はあまりにうつろだった。言うとおり、何も食べていないのだろう。わたしはその前にひとつ聞きたいことがあった。
「きみ、飛行機に乗る…ってどうして?」
 彼の瞳に一瞬、生気が戻った。
「もちろん家に帰るんだよ!来る時は列車だったから、帰りは飛行機がいいんだ。知ってる?飛行機ってね、空を飛ぶんだよ。すごくかっこよくて、すごく速いんだよ!ぼく絶対に飛行機に乗るんだ!子供だからどうせタダだもん!」
 そう言った時の彼の顔には、あどけない微笑が浮かんでいた。初めて子供らしい表情を見せたような気がした。でもあづときたら、いとも普通にこう反応してしまったのだ。
「えっ、飛行機は子供でもタダじゃないよ。飛行機乗るのってすごく高いんだよ」
 少年の顔がみるみる曇った。しまった、と思った。たとえウソでも、どうしてうなずいてあげなかったんだろう。あづは突然、強い罪悪感に襲われた。

 こんなにボロボロの服を着て、こんなに小さな体をして。
 バスを終点で降りたって家族は待っていないのだ。遠い道のりをたどって無事両親のもとに帰れたとしても、そこに平穏な日々はない。上海や日本の小学生たちはゲーム機や携帯電話を片手に友達と連れ立って歩き、放課後や週末は両親に送り迎えしてもらって習い事に通う。けれどこの子はこれまで田舎でどんな生活をしてきたのか。中国の農村を知らないあづには皆目見当もつかない。今日物乞いをしながらどんなひもじさに耐えていたのか、あづには想像すらできない。でもきっと、自分のはるか頭上を飛行機が通り過ぎるたびに、それが見えなくなるまで見つめていたに違いない。あんなところを飛んでみたい、と胸をかすかに高鳴らせながら。
 話をしているうちに、あづの降りるバス停が近づいた。次の角を曲がれば、わたしはホストファミリーのいる暖かい団地に着く。あづは隣りの少年にそっと小銭を握らせた。
「さよなら、わたしここで降りるから」
 男の子は何も言わなかった。あづも振り返らなかった。

 あまりにも出来過ぎた話、と思われるかもしれない。でも決して作り話ではなく、一字一句本当にあった話である。
 その晩、あづはなかなか寝付けなかった。ベッドの中で何度も寝返りを打っているうちに、涙がほんの少しほおをつたった。わかっている、現実は変えられない。でも、でも……。

 今後、飛行機から雲海を見下ろすたびにあの子のことを思い出そう。
[PR]
by azu-sh | 2006-05-09 09:19 | 「あづ」の保存版上海日記
 中国の「黄金周」、ゴールデンウィークが終った。上海のGW、あづにとっては「試練の一週間」である。なぜかというと、ただでさえ人があふれているこの大都市に国内外各地からの旅行客がどっと押し寄せ、市内が大変な混雑に見舞われることになるからだ。地下鉄では普段以上に揉みくちゃにされ、何を買うにも長い行列に並ばなければならず、観光地に行っても人の頭しか見えない。この時期ばかりはさすがのわたしも「出かけよう」という気になれない。
 そこで今年のGWは友達とゆっくり語り合うために時間を使うことにした。中でもぜひ紹介したい人がいる。あづが上海で知り合った“小学生友達”の一人で、名前は「陽陽(ヤンヤン)」とでもしておこう。陽陽は12歳の女の子。「あづさん、GW空いてますか?」というメールが来たのは連休に入る直前のこと。「もし時間があったら一緒に遊びたいなと思って」。四月に初めて知り合って以来、会うのは二回目だった。

 わたしよりも背の高い陽陽は、初夏らしい白スカートをはいてやってきた。先月知り合った時は、初対面だというのに三時間くらい立て続けにしゃべった。どこか、あづとフィーリングが似ているのだ。まるで12歳の頃の自分と話しているような錯覚に陥る。あづの好きな話題で思いきり語れる、稀有な小学生である。彼女はわたしに聞きたいことがたくさんあったらしく、ケンタッキーに入っても地下鉄に乗ってもほとんど休まずに話し続けた。
 「あづさん、わたし最近考えていることがあるの。オトナはいろんな“正論”をわたしの前に置いて、『これが正しいんだよ』と言って受け入れさせようとする。でもその後で今度は別のオトナがやっぱり同じように『これこそ真実だよ』と言ってさっきとは全然違う“正解”をわたしの前に置くの。わたしは一体どうやってその中の本物を見分けたらいいの?」
 陽陽のジレンマはあづにもよく理解できた。たぶん彼女の今の年齢と同じ頃、あづ自身「真理」について考え始めたからだ。「12年しか生きていない子供の分際で大人の意見を疑う気か。子供に何が判断できる?」と言われそうだが、わたしは善悪真偽の交じり合った情報社会の中で「本物」を見分ける力がほしかっただけなのだ。きっと陽陽もそうに違いない。
 「この間わたしがバスに乗っている時、ホームレスの人が乗ってこようとしたの。運転手さんはすごい剣幕でその人を怒鳴りつけて、乗せようとしなかったんだ。罵倒し続ける運転手さんの言葉があまりにひどくて、わたしは聞いていられなかった。どんな立場の人にだって自尊心あるのに。あなたにそこまで言う権利はない、と抗議したかったんだけど勇気がなくて結局何も言えなかったの。ねぇあづさん、わたしはどうすればよかったんだと思う?」

 彼女は上海の中心地からバスで一時間ほどかかる郊外に住んでいる。そのバス停まで送っていった。先発のバスは既に満席だったので、後続のバスに乗ることにした。
 「あづさん、子供の頃の夢って何でしたか?今、それが叶っていますか?」
 陽陽はバスに乗る前、振り返ってわたしにそう聞いた。とても一言で答えられる質問ではなかった。この町にも「真理」を模索している小さな女の子がいる。あづの親愛なる友・陽陽には、ぜひ広い世界を見て確かな判断力を養い、自分の夢を叶えてほしい。バスに乗り込む彼女に手を振って見送りながら、あづは久しぶりに空を見上げたくなった。

 五月の上海は、思いのほか陽がまぶしい。
[PR]
by azu-sh | 2006-05-08 14:29 | 「あづ」の保存版上海日記