★2012年8月、およそ6年ぶりに中国上海に帰ってきました!このブログは「AZU」が綴る、上海(サンヘー)滞在記録。ワクワクの上海生活、まるごとお届けします。ほらね、生きてるってこんなに可笑しい★


by azu-sh
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 前回に引き続き、あづのお気に入りスポットをもうひとつご紹介します。
 2010年の大イベントといえば?そう、上海万博!昨年の愛知万博からバトンを受け取った上海は、目下急ピッチで都市整備を進めています。一年、いや半年留守にしただけでも町ががらっと表情を変えているといわれるほど上海の変化は速く、その驚くべき成長ぶりは世界の注目の的となっています。北京のような悠久の歴史はないけれど、未来に向かって貪欲に背伸びをしているのは常に上海。わたしは万博に向けた上海の都市計画に非常に興味を持っているのですが、この町の未来像を垣間見せてくれる、そんなおもしろい展示館があるのです。早速一緒にのぞいてみましょう。

◆上海都市計画展示館(上海城市规划展示馆)に行ってみよう◆
 上海で最も賑やかな人民広場。ショッピングやレストラン巡りも楽しいけれど、不思議なデザインのビルが林立するこの界隈にこんな観光スポットがあるってご存知でしたか?国家AAAA級の観光地としても知られている「上海都市計画展示館」です。「都市・人・環境・発展」をテーマに掲げ2000年にオープンしたこの展示館、展示面積だけでも7000㎡を誇る見どころ満載の資料館なのです。
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 二階は上海の歴史を学べるスペースです。古き良き時代の上海、そして上海が見た激動の20世紀。上海がたどってきた波乱万丈な道のりを興味深い映像や貴重なパネル、模型などの展示物を通して知ることができます。四階は現代の上海都市計画を公共施設・交通・運輸・緑化といった角度から考察している学習フロア。特に「深水港」の建設計画は必見ですよ。船やF1の体験型アトラクションもあり、子供たちに人気です。
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 数ある展示物の中でなんといっても圧巻は、三階にある世界最大規模の上海市街地模型。初めて見た人はきっと歓声を上げてしまうはず。ひとつひとつの建物がそっくり緻密に作られており、まるでヘリコプターに乗って上空から見下ろしているような気分!現在建設中の高さ世界一のビルも模型に含まれています。夢中でシャッターを切っている人たちに混じって、あづは自分の家を探したんですが…市中心地からちょっと外れているせいかあづの家は模型の中にありませんでした。うーん、残念!

◆360度スクリーンで2010年の上海を訪問◆
 模型を一周ぐるりと見たら、同じ階にある球形の部屋に入るのをお忘れなく!これこそ噂の“タイムマシン”なんですよ。中に入るとそこは360度スクリーンのミニ映画館。上海のあらゆる都市景観を一度に楽しむことができる、ハイテク擬似体験スペースです。見慣れた古北、虹橋地区からスタートし、延安高架を飛ばして人民広場へ。映像があまりにリアルでスピードがあり、思わず手すりにしがみついてしまうほどの迫力です。美しい外灘に出て観光トンネルをくぐり、近未来的な浦東に出たら次は浦東空港へ。楊浦大橋から南浦大橋まで、黄浦江クルーズだって体験できちゃいます。感動のラストは花火の上がる2010年の万博会場。(やるなぁ…上海)とうならずにいられない、すばらしい映像です。
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 あづはこれを見たいがためにすっかりリピーターになってしまいました。お客さんを案内する観光スポットとしてもおすすめ。ここなら天候や旅行日程に関わらず、短時間で上海の有名な都市景観を一望できます。先日日本から遊びに来た友人をここに連れてきたら、「なんだか…上海で見るべきものを全部見ちゃった気がする…」と言っておりました(笑)。子供たちも上海博物館よりこちらの展示館のほうが喜ぶんじゃないかな?ゆっくり見ても所要時間は二時間ほど。一階にはおみやげ売り場もあります。

◆上海都市計画展示館へのアクセス◆
b0074017_752148.jpg 地下鉄一号線、もしくは二号線に乗って「人民広場駅」で降りればOK。地下鉄の二番出口を探せば、直接展示館前に出られますよ。展示館は人民大道と西蔵南路の角に建っています。
 

 ひときわ個性的な外観だから、きっとすぐ見つけられるでしょう。上海市政府(市役所)の東隣、来福士広場(Raffles City)というデパートの西隣です。
 入場料は大人一人30元。子供、学生、年配者には割り引きがあります。入場券はオールド上海の絵はがき。何種類かあるそうですから、コレクションにしてみるのもいいかも!
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by azu-sh | 2006-06-29 08:00 | 「あづ」の上海観光局
 わたしのブログは上海発信の“サンヘーブログ”なのに、肝心の上海情報がちっとも出てこない…ということに最近気がつきました。上海の旬なスポット、穴場のレストラン、話題の観光地も…はて、一度でも登場したことあったかなぁ(笑)。上海での生活がすっかり「日常」になってしまい、地図を見ることもカメラを向けることもほとんどしなくなってしまった今日この頃。でもせっかく上海にいるのだから、上海という町の素顔をもっともっと取り上げていきたいなと思っています。今日はまず、最近あづの主要な生息地となりつつある公園をご紹介しましょう。

◆大寧霊石公園(大宁灵石公园)ってどんなとこ?◆
 ここはあづが最も頻繁に遊びに行く公園です。仲間と連れ立っていく場所というよりは自分だけのとっておき息抜きスポットかな。緑が恋しくなった時、水に触れたくなった時、現実と距離を置きたくなった時…あづの足は自然とこの公園に向かっています。近くの魯迅公園閘北公園とは違い、この公園では合唱や太極拳、ダンスや書道を楽しむ老人はほとんど見かけません。ここで目にするのは芝生の上でお弁当を広げピクニックをしている親子連れや、カメラを手にした若い恋人たち。中国のローカルな雰囲気からかけ離れた、ちょっとしたリゾート空間なのです。歴史的ないわれがあるわけでもないし中国らしい建築物があるわけでもない。ここにあるのは花と緑と水と砂浜、そして日常から切り取られた“自分の時間”。海外からの旅行客には少し物足りないかもしれませんが、上海在住者にとっては心のゆとりを取り戻すのにもってこいの場所なんですよ。
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 大寧霊石公園は68万平方メートルもの広さを誇る、浦西地区最大級の公園。のんびり歩くと一周するのに一時間はかかります。まるで日曜日のヨーロッパに迷い込んだかのような落ち着いた風景は、自然をありのままに配置するイギリス式庭園ならでは。どことなく浦東の世紀公園とイメージが重なってしまうのは、このコンセプトが同じだからなのかもしれません。
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 こ~んなに大きな人造湖もあります。貸し出しボートは手漕ぎ、足漕ぎ、電動の三種類。料金は少し高めですが、せっかくですから電動に乗りましょう。なんとこのボート、日本では二級船舶免許が必要なタイプなんですよ。でもここでなら免許なんて関係なし。小さな子供でも自由に運転できます。お子さん連れの場合は特に電動がおすすめ。湖の面積が広いので足漕ぎタイプだとすぐにバテてしまうようです。
b0074017_951673.jpg あづのお気に入りはヤシの木の揺れる白い砂浜。海の近くで育ったわたしは時々無性に砂浜が恋しくなります。そんな時にはここに来て波打ち際でひと休み。人工の小さな砂浜だけど、子供たちにも大人気。ここで撮った写真を友達に見せたら「これ海南島?」って言われましたよ♪

 …しかし「大寧霊石公園」って日本語で書くと、なんとなく墓地を連想してしまうのはわたしだけ?(笑)いやいや、誤解しないでくださいね。地図を見ればわかるとおり、すぐ付近に「大宁路」「灵石路」がありますから、これはあくまで地元の地名なんですよ。(ちなみにサンヘー息子&ジエジエ夫妻の結婚写真はこの公園で撮影したそうです。まるでハワイで撮ったみたい!!)

◆大寧霊石公園へのアクセス◆
 上海雑技団の妙技が楽しめる「上海馬戯城」をご存知でしょうか。実は馬戯城のすぐ裏に広がっているのがこの「大寧霊石公園」なのです。地下鉄一号線に乗って「上海馬戯城駅」で下り、三番出口から地上に出ると入口はすぐ。昼間は公園でたっぷり遊んで、陽がかげったら早めの夕食を取り、晩はリッチに雑技鑑賞なんてコースはいかが?このあたりはもともと気の利いたレストランが少なかったのですが、馬戯城の南側に建設中の国際商業広場があともう少しでオープン予定。人気の外資系パン屋さんやファーストフード店、スタバも入るとのこと。あづの公園タイムが一層充実しそうで今からワクワクしています♪
 地下鉄で訪れた場合、共和新路側の門から入ることになると思いますが、入口は他にも何ヶ所かあります。广中西路沿いにも大きな門がありますし、运城路×广中西路または宜川路×万荣路の交差点付近にもそれぞれ出入口があります。入場料は一人2元。入る際に窓口で人数を言ってチケットを購入しましょう。ちなみに電動ボートは一時間40元。保証金として別途100元を預けることになっていますがボートの返却時に戻ってきます。
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by azu-sh | 2006-06-27 10:06 | 「あづ」の上海観光局
 最近、どうしてもロシア民謡を聞きたくなって三枚組のCDを買ってきました。いつも同世代の人に珍しがられるのですが、わたしはロシア民謡が大好き。物悲しくしっとりとしたメロディー、哀愁の漂う歌詞、決してウキウキするような音楽ではないけれど不思議と心が落ち着きます。トロイカ、カチューシャ、ポーリュシカポーレ…日本でも古くから親しまれている曲がいっぱい。
 あづがロシア民謡で一番好きなのは中国でも有名な「モスクワ郊外の夕べ」という曲です。1955年に作曲され、1957年にはモスクワ青年フェスティバルのテーマ曲となった歌。後にジャズっぽく編曲され、世界的にヒットしました。今のところわたしがロシア語で歌える唯一の歌(笑)。歌詞はこんな感じです。

Подмосковные вечера

Не слышны в саду даже шорохи,
Всё здесь замерло до утра.
Eсли б знали вы, как мне дороги
Подмосковные вечера.

モスクワ郊外の夕べ

庭の木々もそよがず
ものみな静まる
宵やみを二人ゆく
モスクワ郊外の道  日本語詞:関 鑑子
(日本語訳詞は何種類もあるそうです。)

 中国に住む中年以上の人たちは、みなロシア音楽やロシア映画に特別な思い入れがあるといいます。もちろん当時の政治的背景が関係しているのですが、人が青春時代に親しんだ芸術というのはいつまでも心の中で生き続けるものなのでしょうね。そういえばあづも上海で知り合ったある年配の大学教授と一緒に「モスクワ郊外の夕べ」を歌ったことがありましたっけ…。なぜか皆さんロシア語で歌えるんですねー。
 あづが今回買ったCDの中にも、当時の時代背景をしのばせる政治的な歌がいくつも入っていました。日本で出回っているロシア民謡のCDにはたぶん絶対入っていないであろうレアな曲たち。そのうちのひとつが「Москва-Пекин」(モスクワ-ペキン)という曲です。ロシア語で歌われる中国人民への友好歌で、ロシア語歌詞には“毛主席”まで登場します。
 1950年代後期から60年代初めにかけて、中国の中央人民広播電台(ラジオ局)では毎日午後五時からソ連モスクワ国家ラジオ局による中国語番組を放送していたそうです。この番組のいわゆる“オープニングテーマ”だったのが、この「モスクワ-ペキン」という歌でした。毎日五時になると、勇ましく高らかに歌い上げたこの行進曲が町中に流れていたとか。しかし中ソ情勢の変化に伴い、この番組もそしてこの歌自体も時代の中に置き忘れられてしまいました。
 日本人のわたしが当時の複雑な国際事情について理解できることはあまりに限られています。でも日本では「懐メロ」くらいにしか思っていなかったロシア民謡を中国で聴くと、やはり半世紀前の両国の歴史に思いをはせずにはいられないのです。
 しかし…あづが買ったこの民謡CD、露店ではなくちゃんとしたCDショップで買った正規版ですよ。ああそれなのに、ロシア語民謡に混じってなぜか日本語の“浜辺の歌”が収録されているではありませんか。「あし~た~は~まべ~を~さ~ま~よえば~♪」…やってくれますね。毎度ながらのおとぼけ商品。ロマンチックな夕暮れ時のモスクワに飛んでいたあづの心が、一瞬にして日本の浜辺に引き戻されてしまいました。(笑)

b0074017_16254075.jpgЗдравствуйте.меня зовут “Адзу”.Я живу в Шанхае. Сейчас я изучаю русский язык и китайский язык.Русский язык сложнее Китайского.Я ещё плохо говорю по-русски.

(訳:こんにちは。わたしの名前は「あづ」、上海に住んでいます。今ロシア語と中国語を勉強しています。ロシア語は中国語より難しくて、まだうまく話せません。)

うーん、あづのロシア語…この二年というものちっとも進歩なし。早くこの続きが書けるようがんばります…!(^^;)
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by azu-sh | 2006-06-24 16:28 | 「あづ」のロシアな時間
When I loved myself enough
I learned to meet my own needs
and not call it selfish.

( 自分をちゃんと愛してみたら
  自分自身の要求を満たしてやることだって
  たいせつなんだとわかった。
  そしてそれを わがままとは呼ばないことも。)

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*ブックデータ*
書名:もっと自分を愛してごらん
著者:キム・マクミラン
訳者:河野万里子
発行:2002年
出版:文藝春秋


*著者について*
 この本を書いたキム・マクミランさんはアメリカの女性。この本を書いた数ヵ月後の1994年9月に52歳で亡くなりました。母親が書きためた手書きの詩を自費出版したのが娘さんのアリソン。それがニューヨーク五番街にある出版社の目にとまり、アメリカで新たに刊行されて次第に読者を増やし、後に翻訳されて世界中で愛されるようになりました。わかりやすい英語で書かれた短いフレーズには、著者自身がずっと探していた真の安らぎがいっぱい詰まっています。日本語訳の質の高さもすばらしいと思います。

*あづのコメント*
 久しぶりの<プチ図書館コーナー>ですが、今日は中国の本ではありません。あづが中国に引っ越してくる時、数ある愛読書の中から厳選して持参した本をご紹介します。
 一時期、日本でいわゆる「いやし系の本」が流行ったことがありました。わたしはホッとするような詩やセンスのよい文章を読むのが大好きなんですが、書店にずらっと並んだ「いやし本」はなかなか好きになれませんでした。本の体裁も添えられたイラストも確かに美しい、でも書いてある言葉が薄っぺらに思えるものが多かったからです。まるで見知らぬ著者から一方的に(わたしがあなたをラクにしてあげますよ)と言われているような感じがして違和感がありました。わたしの場合、「ラクになれた」と感じるのは「理解してもらった」時です。単に賢いアドバイスをきれいな言葉で語られても、そこに「読み手への理解」がないので心まで届いてこないのです。
 でもそんなひねくれ者がついに買ってしまった「いやし本」がこの本です。キム・マクミランさんのこの本はすべての詩が「When I loved myself enough」という言葉で始まっています。シンプルながら問題の核心をついている出だしです。自分を十分に愛すること。誤解されやすいフレーズですが、決してナルシスト的感情や自己中心的な意識を指しているのではありません。自分の存在を肯定し、自分の価値を認め、自分自身をいたわること。自ら自分自身の一番の味方、一番の理解者となること。
 キム・マクミランの詩は、長い時間をかけやっとの思いで“自尊心”を持てるようになった彼女の、自分自身へのいたわりの言葉です。「自分をありのままに愛してみたら 他人の救済者になろうなどとは 思わなくなった」と書いているくらいだから、“あなたを助けてあげましょう”という重い親切をみじんも感じさせません。だからあづの琴線に触れたのかな。前書きの部分で著者はこうも言っています。「ここに書きとめたのは、わたしが見つけた手がかりやヒントです。だからあなたには、ピンとこないものもあるにちがいありません。でも分かちあえるものも、きっとあるはず。」
 幸い、わたしには彼女と分かちあえるものがたくさんありました。読むたびに心の重石が取り除かれる気がします。今後もあづが引っ越すたびに持ち歩きそうな予感がする、大好きな一冊です。いい本との出合い、大切にしたいですね。

When I loved myself enough  もっと自分を愛してごらん
I no longer needed         すると「これで自分は安全」と思えるような
things or people           物とか 人とかを
to make me feel safe.       必要としなくなる。

When I loved myself enough  自分をちゃんと愛してごらん
I quit ignoring or            すると 自分の痛みを無視したり
tolerating my pain.          がまんしつづけたりはしなくなる。

When I loved myself enough  自分をありのままに愛してみたら
I could be at ease with the    批判も 絶望も
comings and goings of       来るときは来る
judgment and              去るときは去る それがわかって
despair.                   肩の力を抜いていられるようになった。
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by azu-sh | 2006-06-22 11:51 | 「あづ」のプチ図書館
 幼馴染の友達がお父さんに口ぞえしてくれたおかげで、「中古の日産マーチを二万五千円で買いませんか」という話が飛び込んできた。マニュアルの普通車を探していたあづには願ってもない話。しかしあづはまず二万五千円を工面しなければならなかった。
 ここまで読んで(どうしてそんなにビンボーなの?)と思ってくださった方もいると思う。決して働かずに遊んでいたわけではないし、借金に追われていたのでも浪費癖があるわけでもない。ただ当時、わたしは実家の家計をほぼひとりで担っていたのだ。ビンボーをみじめだと感じたことは一度もないので、ちっとも苦ではない。でも、同世代の多くの女の子のようにブランド品を持ったりランチを食べに行ったりするお金はなかった。

 しかし車がないと仕事にも行けないし、生活にも困る。車はもはや「ぜいたく品」ではなく「生活必需品」の域である。あづはなんとしても今の車“キョウくん”が健在なうちに次の車を手に入れたかった。二万五千円…。とても家計の中からひねり出せる金額ではない。もちろんペットボトルを売って稼げる金額でもない。
 (困ったなぁ、誰か友達に相談してしまうときっとその人が気を利かせて貸してくれるだろう。でもそんな見え透いたことしたくない…やっぱり誰にも相談できないなぁ)そんなことを悶々と考えながら、わたしはキョウくんを運転して仕事のミーティングに行った。車を駐車場に停め、二時間ばかりのミーティングに参加。会合が終わって仲間と談笑していた時のことである。ついさっき「じゃあ先に帰るね」と言って出て行ったばかりの友達が血相を変えて部屋に舞い戻ってきた。かなり慌てた顔をしている。
「ごめん、todayに乗ってきた人誰?」
 居合わせたみんなで顔を見合わせた。「あづじゃない?」「うん、他にはいないよね」そう、どうやらわたしのようである。「どうかしたの?」と聞くと、その友達はわたしのところに駆け寄ってきて謝り始めた。
「ごめんなさい!今駐車場から自分の車を出そうと思ったらあづの車にぶつけちゃったの!ほんっと、ごめん!ちょっと見に来てくれる?」

 駐車場に降りていくと、あづの「キョウくん」の車体がべっこり凹んでいるのが見えた。でも運転席のドアの部分だから運転には影響がない。ドアの開閉もしっかりできる。あづは笑って言った。「全然平気だよ、このくらい。ほら、ちゃんと開閉できるし。気にしないで。そのままでいいよ~」けれど友達はこちらがかわいそうになるくらい恐縮していた。
「あづ、保険使っていいからちゃんと直して。全額こちらで保証するから。こんなに大きく凹ませちゃったんだから、修理しないわけにはいかないでしょう?」
 あづは首を振った。
「いいのいいの。あのね、ココだけの話、このtodayはもうすぐ廃車に出すの。だから長く乗ってもあと一ヶ月。お金出して直すつもりはぜんぜんないから。ね、もう忘れて!」
 これがまったく見知らぬ人だったら交渉は場合にもよるが、今回の相手はこれまで何度もお世話になってきた数年来の友人だった。お金を出してもらうほどの状況ではない。
「ごめんね、ごめんね…」友達は何度も謝りながら帰っていった。

 数日後。その友人があづに封筒を渡しに来た。どうしても気になったのだろう、家でだんな様と話し合った結果「保険を使って修理する必要がないというのなら、せめて現金で何かの足しにしてもらおう」ということになったのだという。
 今度はあづが恐縮する番だった。「そんなことしなくていい。忘れてねって言ったでしょう?わたしちっとも気にしてないよ。ほんとにお金はいいから」…断るあづを押し切るように、友達はあづに封筒を握らせた。
「じゃあ、あづが次の車を買う時の足しにでもして。たいした額じゃないから」
 彼女が立ち去った後で封筒を開けてみた。二万五千円、入っていた。

 その週末、マーチが我が家にやってきた。マニュアルの普通車で、色はあづの好きな赤♪丸々したデザインが可愛くて、すっかり気に入ってしまった。ちょっとしたハプニングはあったけど、結局またタダで車を手に入れてしまったのだ。そしてキョウくんもそんなわたしを見て安心したのだろう。新しい車がやってきた一週間後に任期を全うし、廃車することになった。車の使えない日がないように、新しい車が来る時まで粘ってくれた。思い出のつまったキョウくんの運転席に、花を一輪残してきた。

 小さな親切、小さな気遣い、小さな奇跡があづの生活を支えてくれている。ほらね、ビンボーでもあづの暮らしはこ~んなに豊か。ビンボー万歳!

※ビンボーネタなら実はいくらでもあるのですが、そういうカテゴリができてしまったらさすがに恐いのでここらでストップします…読んでくれてありがとう!(^-^)
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by azu-sh | 2006-06-19 14:12 | 「あづ」の一筆コラム
 友人たちの寛大な親切のおかげで、翌週あづは無事車を手に入れることができた。ホンダのtodayという車で、小回りの利く便利な車だった。みんなの親切が心に染みた。切実に必要としていたものだけに、感謝の気持ちでいっぱいだった。わたしは早速その車に「強(キョウ)くん」というニックネームをつけた。その名前の由来は…
一、既に年季の入った中古車だけど、力強く働いてもらいたいから。
二、“today”は英語で「今日(キョウ)」という意味だから。
三、“祈れば必ず叶う”という「教訓(キョウくん)」を忘れないため。

 あづのキョウくんはわたしの足となり、本当によく働いてくれた。軽の貨物だったから税金は安いし、保険も安い。オートマというのも渋滞の多い都会生活にはぴったりだし、車体が小さいから駐車場所にも苦労しない。ビンボーあづにとってまさに理想の車だった。これが無料で手に入ったなど申し訳ないくらい。ビンボーゆえのステキな「奇跡」に感謝しつつ、あづは毎日キョウくんに乗って忙しい生活を送っていた。

 それから約二年が過ぎた。さすがのキョウくんにもガタが見られるようになってきた。それもそのはず、あづが車を運転する量はハンパじゃないし、第一キョウくんはもともと廃車を免れてあづの元にやってきたほどの中古車なのである。さらにその頃、あづのライフスタイルにも変化があり、キョウくんでは少し手狭になってきた。ビンボーあづの心の中に、またこんな祈りがむくむくと浮かんだ。
「今あづがほしいもの。新しい車。条件は以下のとおり。
 1、普通車がいい。(人を乗せることが多くなったから)
 2、マニュアル車がいい。(燃費がいいから)
 3、今持っているお金だけで買える車がいい。
   (ローンも借金もしたくないから)
 4、キョウくんが使えるうちに次の車を見つけたい。
   (一日でも車が使えないと仕事ができなくなるから)」

 前回に比べたらかなり遠慮がちな条件にしたつもりだった。条件の数も控えめに4つにしたし(でもたった1つ減らしただけ^^;)。願望だけは立派だけど相変わらず財布がカラ状態のあづは、もう一度ありったけのビンボー根性を奮い起こすことにした。当時キョウくんがあちこち一度に故障してしまい、新しい車を探すことは急務だったのだ。大丈夫、「祈れば叶う」ってキョウくんが教えてくれたじゃないか、ビンボー者には「奇跡」が起こる!

 翌週。電話がなった。あづの幼馴染の友達のお父さんからだった。
『もしもしあづちゃん?久しぶり。実はね、会社の同僚の娘さんが車のもらい手を探しているんだよ。なんでも新車を買うために下取りに出そうと思ったら査定で「二万円です」って言われたらしいんだよね。そんなに安く買われちゃうくらいなら、車の必要な知り合いに直接譲ったほうがましだって言うんだ。それで誰か心当たりはいないかと聞かれたんだけど、ふとあづちゃんのことが浮かんでね』
 なぜそのお父さんがわたしのことを知っていたかというと、その少し前にわたしが友達に「車がほしい」と話していたからなのだ。彼女は家に帰ってそれを自分の父親に話したのだろう、そこへタイミングよくお父さんの会社で車のもらい手探しの話題が出たのだ。
「ええ、ちょうど今車を探しているとこなんです。でも…どんな車なんですか?」
 友達のお父さんの答えはこうだった。
五人乗りの普通車で、車種は確か日産マーチだったかな。女の子が乗っていたから車内はきれいに使ってあると思うよ。あ、でもマニュアル車なんだって。あづちゃんもしかしてオートマ限定免許?』
 思わず興奮して胸が高鳴る。ひゃ~、あづの条件にぴったりじゃないか!
「いいえ、大丈夫です。実はマニュアルの普通車を探していたんです!…えと、お幾らで譲ってもらえるんでしょうか?」
『向こうは二万五千円で売りたいらしいんだけど。あづちゃん、どうする?』

 (に、にまん、ごせんえん…)
たいていの人の財布には入っている金額なのかもしれない。しかしあづは天然記念物モノのビンボーなのだ。一年のうち大半を用なしで過ごしているあづの財布にとって、二万五千円は大金だった。でもこんなオイシイ話はそうそうあるものではない。あづは一瞬にして自分の持っている全通帳の残高を足してみた。しかし、四ケタが精一杯。全然ダメだ…どうしよう。あづはとりあえずこう言った。
「あの…その話、キープしておいてもらえますか?来週には返事しますから、それまで他の人に譲らずに待っていてほしいんです」
 友達のお父さんは笑って言った。
『わかったよ、じゃあそう伝えておくね。でも必要だったら早めに連絡頼むよ』
 今回は「タダでどうぞ」というわけにはいかなかった。しかし中古マーチが二万五千円とはあり得ないほどラッキーな話である。逃すわけにはいかない。来週までに絶対にお金を工面しよう、あづはそう心に誓った。

 ビンボーあづの奮闘記、次回につづく…。
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by azu-sh | 2006-06-18 10:58 | 「あづ」の一筆コラム
 ビンボーな話題はさすがにちょっと恥ずかしいのだが、実はうれしい事件があったので調子に乗ってパートⅡを書くことにした。先日、友達が遊びに来てくれたのでおいしいスイーツでもテイクアウトしようと思って財布をのぞいた。予想してはいたけど(笑)財布はカラだった。「ごめーん、ちょっと待っててくれる?」友達に謝っておいてから、わたしはこそこそとATMの列に並んだ。今日使うだけだから、とりあえず100元引き出そう。しかししかししかーし!
ATM 『…オトリヒキ デキマセン』
AZU 『なんでよ?』
ATM 『…残金ガ アリマセ~ン』
 中国語でからかわれてしまった。機械のくせに…。いや、機械のせいではない。あづのせいだ。見ると、あづのキャッシュカードの残金は「35元」となっていた。確かに、ピンクの毛沢東さんが出てくるわけがない。さよならスイーツ…。
 しかし、数日後。何を思ったか、あづはまたATMにカードを入れた。すると…「えっ、なんで?」残金が増えている。「135元?」…何度見てもやっぱり135元。一体どこからやってきたのか、この100元。たぶん、ずっと前に日本で突然配られた“地域振興券”みたいなもんかもしれない(←古い?!)。減っていたらとことん追求するが、増えている分には理由は何でもいい。ああ、幸せ♪ビンボーっていいなぁ♪

 ビンボーっていいなぁ♪と言うのは決して負け惜しみではない。あづはビンボーだったゆえにこれまで何度もステキな「奇跡」を体験しているのだ。ATMの100元事件もそうだし、サンヘー家族との出会いもそのひとつ。もしあづがお金持ちだったら、上海人の家で下宿なんかするわけないのである。
 でもビンボーゆえの「奇跡」といったらあの話をしないわけにはいかない。今から数年前、あづが実家を出て暮らし始めた時のことだ。

 あづはその頃、どうしても車が必要だった。新しく引っ越してきた町は都心から離れたベッドタウンのようなところで、車はいわゆる“生活必需品”。新しい職場へ行くにも公共の交通手段はなかった。しかし前にも書いたとおり、あづは三万円ぽっきりで引っ越してきた身だから車を買うお金などどこにもないのである。いや、車どころか自転車だってあやしい。
 しかし悲しいかな、あづの持っている「お金」と「度胸」は反比例している。お金が底をつけばつくほど、あづの度胸がむくむく力を盛り返す。どんな作用か知らないけれど、お金がないとあづは怖いもの知らずになってしまう。こうなったらもう誰にも止められない。絶好調のあづは紙と鉛筆を持ってきて、今ほしいものを書き出してみることにした。
「あづのほしいもの。車。条件は以下のとおり。
 1、軽自動車がいい。(税金が安いから)
 2、オートマ車がいい。(ここは渋滞が多いから)
 3、燃費が良くてタフな車がいい。(修理代なんて払えないから)
 4、次の車検まで一年以上残っている中古車がいい。
   (今は車検代払えないから)
 5、今持っているお金だけで買える車がいい。
   (ローンも借金もしたくないから)」
   あづ「よし、書けた~!」
 身の程も知らず、よくこんな条件が書けたものである。第一、5番目の条件なんてほとんど「無料の車」と言ってるのと同じじゃないか。アテもなければ先立つものもないというのに、度胸だけは一人前なのである。

 ところが昔話にもあるように、心の正しいビンボー者には福がやってくるものなのだ(笑)。数日後、家の電話がなった。引っ越し先で知り合ったばかりの、新しい友達からだった。
「あの、あづさん車持ってなかったですよね?もしかして今探してます?実はちょうど今、ぼくの昔からの友人が車のもらい手を探してるんですよ」
 あづの心の中で電球がぽーん、とともった。
「探してますっ!どんな車ですか?」
「あ、ぼくは詳しいこと知らないんです。よかったら電話番号教えますから直接連絡とってみてもらえませんか?ぼくからそう伝えておきますから」
 教えてもらった電話番号にかけると、やさしそうな男性が応対に出た。話を聞くと、手放そうと思っている車は奥さまが独身時代に使っていて、お嫁に来る時持ってきたものらしい。でも結婚して新しい車を買い、今は必要なくなったので処分に困っていたのだという。
「軽自動車のオートマチックです。もともと貨物ですからタフだしけっこう馬力もありますよ。車検はちょうど一年先です」
 ぽーんぽーんぽーんぽーん、あづの電球が四つくらい一気にともった。でももうひとつ気になる問題が…。あづはおそるおそる切り出した。
「あの、失礼ですけどお幾らくらいで譲っていただけるんですか?」
 そのやさしそうなだんな様は言った。
「お金はいいですよ。差し上げますからどうぞ使ってください。そのほうが家内も喜びます」
 キラキラ…五つの電球が全部ともってしまった。会ったこともない人なのに。ビンボーあづの願いを叶えてくれた!友達の親切に、どんなに感謝したことか。
 
 実はこの話には続きがある。ビンボーシリーズ、まだまだ続きます。(^ ^;)
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by azu-sh | 2006-06-16 16:33 | 「あづ」の一筆コラム
 突然だが、あづはビンボーである。(でも衣食住に事欠いているわけではないので、あえて「貧乏」とは書かない。あくまで生活費とか小遣いのレベルである。)…どのくらいビンボーかというと、以前ある友人との「ビンボーバトル」に参加していたくらいである。
 「ビンボーバトル」とは「自分がいかに“悲惨な”ビンボーを乗り切ったか、身の上話のビンボー度を競う」というロクでもない対決である。「あづ、オレは今日一円でも安いガソリンスタンドに行こうとして途中でガス欠してしまってね、でも根性で歩いてその店まで行って、数リッターだけ売ってもらったんだぜ!」…はっきり言って自慢話どころか情けない話である。でもそれを自慢しあって笑い飛ばすのが「ビンボーバトル」。
 ビンボー同士なんとなく連帯感があって、物は分け合うのが常だった。「ねぇ、実家からスイカが送られてきたの。半分こしない?」とか「牛肉があるよー、早く取りにおいで!」とか。例のガス欠君もたまにはわたしの好きなチョコレートケーキを持って慰問(?)に来てくれた。こんな独身仲間がいたから、ビンボーな一人暮らしはとても楽しかった。財布に千円しかない時でも、友達のピンチを助けるためなら急行していた。

 しかし上海に来て三ヵ月後、あづは史上最悪のビンボー沼に落ちた。(T T)
 千円どころの手持ち金ではなかった。なんとなんと六角(十円弱)があづの全財産だった。一週間後には少しまとまったお金が手に入る。でもあと…七日もある。ひとりしかいない部屋の中でわたしは思わず笑い出してしまった。「たぶん上海にいる日本人であづが一番ビンボーだ~日本のみんなに自慢しちゃお!」(←こういうのを中国語で「无可救药」といいます。^∇^笑)何度数えても一角玉が六枚きり。これ以上財布を開けてもしょうがない、冷蔵庫を開けてみよう。いや、冷蔵庫にへそくりが隠してあるわけではない。とりあえず一週間食いつなぐだけのものがあるかを確認したのである。大丈夫、食料品ならストックがある。
 ホッとしたのもつかの間、大変なことに気づいた。しまった、飲み水がない!そう、ここ中国では水道水を飲むなど言語道断。どんなにグラグラ沸かしても、どんなに茶葉を放り込んでも…やっぱりにおう。あの黄浦江と同じにおい。ここはどうあっても水を買わないわけにはいかない。四リットル入りのボトルは安くても三元五角はする。困った。三元足りない。あづは家の中を見回した。何かいい案ないかな…。
 目に留まったのはカラになったペットボトル。無造作にビニールに突っ込んである。そうだ!上海ではペットボトルを持って道を歩いていると時々「それをくれ」と頼まれることがある。たぶんクズ屋に売ってせめてもの生活の足しにするのだろう。今、あづの家にはペットボトルならたくさんある。よし、これを売りに行ってみよう。
 あづはビンボーになると突然サバイバル魂がむくむくと沸き起こり、なぜか元気いっぱいになる。以前、ある友達と話していたら彼女は「貯金の額がゼロになると不安で不安で落ち着かなくなる」と言っていたのであづは(えらいなぁ)と感心したものだった。あづの場合、不安どころかおもしろくなってしまうのだ。これは長所でもあり致命的な欠点でもある…。

 ペットボトルを集めるだけ集めて背負ってみた。大きな袋が二つ、パンパンになっている。そうっと玄関から出てクズ屋に直行。「ひとーつ、ふたーつ…」と数えてもらって換金できたのはちょうど三元。やったー成功!これで水が買える!あづは三元と六角を握りしめてスーパーに行き、無事飲み水ゲット!あーあ、こんなことで達成感を感じているようじゃあづの人生、一生うだつが上がらない気がする。でも、お小遣いがない時って誰でもたまにはあるでしょう、みじめな思いで境遇を卑下するよりは知恵を絞ってサバイバル戦に挑んでみるのも悪くない。お金は生活の基盤だけど、自尊心の材料ではないからね!
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by azu-sh | 2006-06-15 09:15 | 「あづ」の一筆コラム
 中国にいると、お隣の国なのに日本とはまったく異なる風景や人情に出会うことがある。そのたびに、世界を創った神様がいるとしたら頭がとっても柔軟な芸術家に違いないと思う。もしも神様が独創性に乏しい、自分の型にはまった製作者だったら世界はとてもこうはならなかった。世界が美しいのは「多様性」に満ちているから。そしていっそう多様になっていく可能性を秘めているから。
 外国に住むと、自分の生まれた国を見つめ直すようになるという。それまでさほど興味のなかった風景が突然いとおしく感じられたりする。先日杭州のある店に入った時、ふと日本の写真集を見つけた。それが売り物だったのか、単なるインテリアだったのかはわからない。思わず手に取ってページをめくると、日本の美しい四季の写真が目に飛び込んできた。散りゆく桜、初夏の新緑、梅雨に濡れたあじさい…。
 心に涼やかな風を感じた。二つの国の美しさ。“たとしへなきもの”のように、比べようがない。

たとしへなきもの。夏と冬と。夜と昼と。
雨降ると照ると。若きと老いたると。
人の笑ふと腹立つと。黒と白と。
思ふとにくむと。藍と きはだと。雨と霧と。
同じ人ながらも 心ざし失せぬるは
まことにあらぬ人とぞ おぼゆるかし。
                          「枕草子」清少納言


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(比べようがないもの。夏と冬と。夜と昼と。
 雨降ると照ると。若者と年寄りと。
 人が笑うのと怒っているのと。黒と白と。
 愛するのと憎むのと。藍と黄と。雨と霧と。
 同じ人でも自分に対して愛情のなくなった人は
 本当に別人のように感じられる。)


 心ざし失せぬる人は、そばにある美しさに気づかない。自分の内にある美しさにも気づかない。比べようのないひとりだからこそ、わたしがここにいることには十分な意味がある。わたしがいなくなったら世界が不完全になる。…せめて今だけ、一瞬だけでもそう思っていたい。
 雨の日の思考はとりとめがない。

 たとしへなきもの。かの国とこの国と。あなたとあの子と。あの子とわたしと。
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by azu-sh | 2006-06-14 13:57 | 「あづ」の保存版上海日記
 Angelちゃん誕生の話を書いていたら、同じように予定より二ヶ月早く生まれた別の友達を思い出した。友達、といっても人間ではない。あづの大事な遊び友達だった、小さな小さな子牛の思い出。

 あづは人間の出産に立ち会ったことはないけれど、実は牛の子供なら何度も取り上げたことがある。あれは数年前、あづが日本のとある牧場で一年間アルバイトしていた時のこと。
 初めて牛のお産を目にした時はさすがにショッキングでおろおろするばかりだったが、二回目からは慣れたもの。「あっ破水してる。急いで準備しなきゃ」という感じで、まるで助産婦さんのように度胸が据わってしまった。もともと大の動物好きだったから、牧場での仕事はそのすべてがとても新鮮だった。牛の胎児の足にロープを結わえ、力いっぱい引っ張ってお産を助ける。けれど赤ちゃんとはいえ体の大きい牛のこと、女の子ひとりの力ではとても無理。牧場のスタッフ三人くらいで綱引きのようにロープを引っ張る。子牛の頭が見えた!それ、もう一息!
 生まれたばかりの子牛は、全身ぬるぬる。湯気の立つ子牛をわたしが全身で受け止め、わらで丁寧に拭いていく。母牛から搾ったばかりのバターのような黄色い初乳をペットボトルにうつし、子牛の口をこじあけて飲ませるのもあづの役目。生まれてはじめてのミルクだからうまく飲み込めず、ほとんどが口のわきからこぼれてしまう。立ち上がろうともがく子牛と格闘しているから、この頃にはあづも全身ぐちょぐちょ。
 「これは一生の免疫になるんだからね。がんばって飲まなきゃだめだよ~!」と講釈を垂れながら無理やり飲ませるわたし。生まれたばかりの子牛の目は水ようかんみたいに黒く淡く透き通っている。そのピュアな瞳を見つめながら語りかける瞬間が、とても好きだった。
 出産ピークの季節になると牛舎が小さな子牛でいっぱいになり、まるで幼稚園。八十頭ほどの牛たちの搾乳を終えると、子牛たちのミルクの時間。一日の仕事の中であづが一番楽しみな時間。一頭一頭体をなで、首筋を掻いてやりながら順番にミルクを飲ませていく。横の子が飲んでいる間にちょっかいを出してバケツをひっくり返す子牛、呼んでも蹴っても昼寝から起きない子牛、つながれていた紐がゆるんだ隙に逃げ出してしまう子牛…あづは幼稚園の先生になった気分でいたずらっ子たちを連れ戻す。
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 一度、ちょっとした事故で二ヶ月早く生まれてしまった子牛がいた。出産には立ち会えず、わたしが出勤した時にはもう生まれていたのだが、あまりに体が小さかったので一瞬隣りの犬が迷い込んだのかと思ったほど。白地に黒ぶちだから…犬で言うと、そう、まるでダルメシアン。誕生直後の子牛は普通おとなのヤギほどの大きさがあるのに、その子はせいぜい中型犬くらいの大きさしかなかった。駆けつけた獣医さんも「生まれるのが早すぎましたね。かわいそうだけど死ぬのに任せるしかないです」と言って帰ってしまった。
 けれど、わたしは上着の中にすっぽり入ってしまいそうなサイズのその子牛がたちまち気に入ってしまった。うちに連れて帰れたらいいのに!犬のふりして街を散歩させたら楽しそう!あづは仕事の合間にちょっとでも時間が空くと、その子牛のところに行って一緒に遊んだ。牧場のご主人に見つからないように、牧草を乗せるカートに子牛を乗せてスケボーもした。毎日必ずまっさきに頭をなでに行き、ミルクも他の子より余分に飲ませていた。
 生後二ヶ月たって、その子はやっとヤギくらいの大きさになった。病気も障害もなく、健康そのもの。無事、他の子牛たちと一緒に“幼稚園牛舎”にデビューすることになった。獣医さんからも見放され牧場のスタッフもあきらめていたのに、あづの小さな子牛は並外れた生命力でみんなを見返してくれた。あづはなんだかとても誇らしかった。
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 牧場で一番美しい時間は夕暮れ時。燃えるような夕陽が山に落ちていく瞬間、まるで計算されたかのように牛舎の通路をまっすぐ照らし出す。通路に背を向けて並ぶ牛たちの尾が、金色に輝き出す。あまりに荘厳な一瞬で、あづは思わず息を飲む。ミルクを搾る搾乳機の音だけが聞こえ、金色の瞬間が過ぎていく。

b0074017_20421340.jpg 夕陽に照らされた黄金色の牧場。そこで織り成される命の営み。今もこうして目を閉じると…数年前に見たあの金色がよみがえってくるようだ。
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by azu-sh | 2006-06-10 20:50 | 「あづ」の一筆コラム