★2012年8月、およそ6年ぶりに中国上海に帰ってきました!このブログは「AZU」が綴る、上海(サンヘー)滞在記録。ワクワクの上海生活、まるごとお届けします。ほらね、生きてるってこんなに可笑しい★


by azu-sh
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 二月が始まる時、わたしはすごく憂鬱でした。できもしないフルタイムの仕事を引き受けようとしたり、無理をして友達に付き合ったりして。退屈だった一月、同じような日々がまたもうひと月も続くと思うと無性に悲しくなりました。爆竹の鳴り響く春節には上海に戻っている予定だったのに。
 でもあっというまに一ヶ月が過ぎてしまいました。二月はその名の通り逃げてしまいました。明日から三月。少し気分を入れ替えたいところです。早起きして本を読む習慣をつけようかな。毎日外に出て深呼吸しようかな…。日本の我が家近辺は、空気が穏やかでとても静かで、息をひそめていると鳥の声と風の声だけが聞こえます。クラクションと大声の飛び交う上海とは大違い。だからかな、少し感傷的になってしまうのは。

 思えば去年の九月にうつ病を再発させ二ヶ月入院してから、ちょうど半年が経ちました。いろんな人にお世話になり、迷惑をかけ、不安がらせました。でも少しずつ過去のことになりつつあります。あの暗闇の日々をどうにかこうにか生きてかいくぐってこられたのも、わたしを取り巻く友人たちのおかげ。そしてAZUのサンヘーブログに遊びに来てくださった皆さんのおかげ。今後は「ありがとう」を掲げながら生きていかなくてはね。今生きていられること、本当の本当に感謝しているから。
 もう絶対に再発させない。今はそういう心構えでいます。もちろん統計でいえば再発率の高い病気です。でも去年入院先の病院で、わたしは生きていくことを固く決意しました。命があることをまるごと受け入れられるようになりました。自分を傷つけることは友人を傷つけることなのだと知りました。去年の秋までとは心の態度が違います。「再発したけりゃすればいい、死ぬ時は死ぬんだ」と考えて予防の薬も飲まなかったこれまでのわたし。でも今のわたしは再発を、いや自死を防ぐためにあらゆる努力をするつもりです。ここにもう一度誓います。わたし、あづはこれからも生きていくと。

 きっと三月もあっというまに過ぎてしまうでしょう。三月は去る、ですからね。わたしが上海に戻るまであとひと月です。上海に戻ったら活動的な日々が待っています。今のうち。今のうち心の準備体操をしておきます。笑顔で生きていけるように、ね。
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by azu-sh | 2007-02-28 12:48 | 「あづ」の一筆コラム

涙のあと <コラム>

すごく泣きたかった。
絶対泣くもんか、と虚勢張ってみたけど。泣いちゃった。
長い文章が書けない。
立派な内容が書けない。
楽しいコメントが書けない。

どうしてこんなに不安なのだろう。
どうしてこんなに幼いんだろう。

自分に聞きたい。わたしは一体どうしたいのだろう。
二ヵ月後、わたしはどこで何をしているんだろう。
誰か言って。
お前はひとりぼっちではないと。
誰か信じさせて。
お前はこれからも生きてゆけると。
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by azu-sh | 2007-02-26 18:19 | 「あづ」の一筆コラム

帰りたい街 <コラム>

 今日病院に行ってきました。
「日本でも上海でも、楽しく生きられる場所にいるのが一番いいと思いますね。
上海に戻るのなら英語で紹介状書きますからね。」と言われました。
 上海でやっていきたい。やっていけるかな。
 まだ、あきらめていない今日のわたし。
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by azu-sh | 2007-02-23 15:11 | 「あづ」の一筆コラム
 大好きだった街、上海と別れる日が近づいてきました。
 本帰国することになったのです。寂しくて、とてもつらいです。

 もう少し自分が健康だったら…
 せめて再発さえしなかったら…
 
 …だったらよかったのに、ということばかり考えてしまう。

 胸が張り裂けそうで今は何も考えられないけれど、
 上海とのお別れは一時的なものにしたい。
 いつか、いつか…戻ってくるから。

 それまでわたしのこと待っていて。上海。
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by azu-sh | 2007-02-18 11:28 | 「あづ」の一筆コラム

一日。<コラム>

 今日心の中が曇っていても、
一晩ぐっすり寝て心を休めれば明日には違う気分で目が覚める。
一日。一日時間を置いてみよう。
一日過ぎると状況や見方は確実に変化する。
多分、良い方向に変わっている。
それでだめならもう一日置けばいい。
体を休めると心にいい。
心にいいことはしたほうがいい。
上手にやり過ごす技を、もう一日待つ技を、今のうちに身につけよう。
今は心に栄養をたくわえる時。体にゆとりを取り戻す時。
ダメな日は泣いて、黙って、ふてくされて、ボーッとしてやり過ごせばいい。
一日置けば何か変わるから。
もう一日置けばもっと何か変わるから。

 (昨日の日記をそのまま載せてみました。)
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by azu-sh | 2007-02-13 19:10 | 「あづ」の一筆コラム

さようならプリン

 今朝7:25、うちの猫プリンが息を引き取りました。ヒマラヤンのプリンちゃん、可愛い思い出をたくさん作ってくれました。最初は慣れなくて手をかじられたりもしたけど、そのうちいい友達になったよね。わたしが帰国してからの付き合いだから短い間だったけど、フカフカのきみにいっぱい癒してもらったよ。ありがとう。
永遠に夢を見続けてね。さようなら。
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by azu-sh | 2007-02-11 08:38 | 「あづ」の一筆コラム
 日本から友人が上海に遊びに来ると必ず連れて行くところ、それは豫園。三年前の秋、青森からやってきた友達を案内した時も豫園商城を訪れた。茶器を扱うお店に入った時、従業員のひとりがとても親しげに声をかけてくれた。馬さんという女の子で、日本語を勉強中だった。職場が近かったこととお互いに語学を勉強中であることから話がはずみ、これをきっかけにわたしと馬さんは仲の良い友達になった。

 お互いの職場を行き来して話し込んだり、彼女の住むアパートに行って日本語を教えたり。春節も一緒に過ごした。赤い爆竹の降る中をキャーキャー言いながら路地を走りぬけ、四畳半ほどしかない彼女の小さなアパートに泊まりこんでいろんな話をした。日本の話、仕事の話、恋の話…。自分の悩み事を泣きながら語り合ったこともある。彼女はわたしのことを“精神的な話のできる唯一の友達”だと言ってくれた。わたしにとっても彼女は中国語で深い話のできる数少ない友人のひとりだった。
 日本語の文法も二人で額をつき合わせ、教科書をもとによく討論した。動詞を「て形」に変化させる時の規則が一番てこずった。食べる→食べ(て)、行く→行(って)、飲む→飲(んで)、泳ぐ→泳(いで)…日本人のわたしには考えたこともないフクザツな変化形。一緒にルールを確認しながら教科書の問題を解いていくのは楽しかった。

 オフの日は一緒にカラオケに行ったり、博物館に行ったり、火鍋を食べに行ったり。そういえばわたしが助けを必要とした時駆けつけてくれるのもいつも馬さんだった。インフルエンザで40度の熱が五日間続いた時も一番心配してくれたのは彼女だった。わたしがうつ病で上海の精神科病院に入院した時も、どこからかそのことを聞きつけてお見舞いに来てくれた。わたしを見て何も言えず、ただはらはらと涙を流していた馬さん。心が締め付けられるくらい気遣いを感じた。
 今回帰国してから、二度手紙をくれた。「あなたはわたしの“世界でひとつだけの花”だよ」と書かれていた。同じせりふを馬さんにも言いたい。わたしが上海で出会った親友、馬さん。わたしの喜びを一緒に喜び、わたしの痛みに涙を流してくれる人。これからもずーっと友達でいようね。上海に戻ったら真っ先にあなたに電話するね。
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by azu-sh | 2007-02-09 09:20 | 「あづ」の一筆コラム
 皆さんは子供の頃どんないたずらをしましたか?
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 わたしはなかなか気合の入ったいたずらっ子でした。小学生の頃は仕事から帰ってくる母を“喜ばせたい”一心で、家中の本を使って六畳間に巨大なドミノ倒しを制作しました。それも毎日。途中、音の鳴るものをいろいろ仕込んでおくのでガラガラガッシャン、すさまじい音を立ててドミノ倒しが倒れていきます。楽しかったなぁ。

 教室の外にトトロがいる、という遊びを考えたこともあります。クラスメイトたちに耳打ちして、“外の電線にトトロがいてこっちを見ているということにしよう!”と。子供には見えるのに先生にだけそれが見えないというわけです。これが、みんなが乗ってくれたおかげで大成功。みんなが口々に「トトロがいる!」「先生、あそこにトトロが!」と言うので担任の先生が目を白黒させていたのを思い出します。
 理科の授業中にアルコールランプとビーカーでお湯を沸かして即席みそ汁を作って飲んじゃったことも。友達の作文を全部わたしが書いたり、反対にわたしの作品を友達に作ってもらったりしてましたね。こうなるといたずらというより世渡りの知恵、ですかね。(笑)
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 上海・南京路の噴水で。どこにでもいるいたずらっ子。
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by azu-sh | 2007-02-05 14:32 | 「あづ」の一筆コラム
 今から何年も前、学校を卒業したばかりの冬にわたしは中国・ハルピンにホームステイをしに行った。ステイ先は高校生の頃から文通をしてきたある中国人の家。わたしと同世代の女の子と小学生の息子がいる、素朴な一家だった。
 一月のハルピンはマイナス二十度、三十度の極寒世界。小麦粉のようにさらさらな粉雪が風に舞う。街を流れる大きな川・松花江はがちがちに凍りつき、トラックでさえ上を通れるようになる。わたしはここで乗馬をした。冷たい氷の上を、風を切って駆け足する白い馬。わたしが口から発した言葉でさえ、声にならずに凍りついていく。頼りなさげな手綱を必死に握り締めて、振り落とされないよう気持ちを集中した。うっかり落馬したら氷の上にたたきつけられる。このスピードにこの気温。かすり傷ではすまされない。死にそうな思いをした氷の上での乗馬。翌日は腰が痛くて歩けなかった。

 ハルピンの冬の風物詩、氷祭り。b0074017_12414227.jpgこれを見たくてわざわざ冬のハルピンを訪れたのだ。松花江の氷を切り出して大規模な作品が作られていく。壮観だった。しかし氷祭りの帰り道、わたしはひとり迷子になってしまった。ホストファミリーの人と一緒にバスに乗ったのに、ぎゅうぎゅう詰めのバスの乗り口からわたしひとりこぼれ落ちてしまったのだ。さぁ、困った。当時、中国語は簡単な文章を書ける程度でコミュニケーション能力はちっともなかった。でも帰らなければならない。わたしは道路に飛び出してタクシーを捕まえ、生まれて初めてひとりでタクシーに乗った。二言三言で行き先を伝えると、運転手さんのおしゃべりに時々それらしく相づちを打ちつつ、震えるひざを抑えながらステイ先の家に向かった。ホストファミリーはみんな真っ青な顔で警察に届けようかと相談をしているところだった。無事に帰ってきたわたしを見て全員でかわるがわる抱きしめてくれた。

 中国語を話せるようになりたい、そう心に決めた晩だった。
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by azu-sh | 2007-02-02 12:52 | 「あづ」の一筆コラム