★2012年8月、およそ6年ぶりに中国上海に帰ってきました!このブログは「AZU」が綴る、上海(サンヘー)滞在記録。ワクワクの上海生活、まるごとお届けします。ほらね、生きてるってこんなに可笑しい★


by azu-sh
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

<   2007年 03月 ( 10 )   > この月の画像一覧

足元に思いやりを。
b0074017_1520867.jpg

プーンと香るドリアン。
b0074017_15224798.jpg

香港の街角で。
b0074017_15261640.jpg

[PR]
by azu-sh | 2007-03-29 15:27 | 「あづ」の一筆コラム
 懐かしいものが出てきました。わたしが高校生だった頃の作文です。中国人の先生に指導してもらいながら書いた、卒業前のスピーチ。高校一年生から中国語を学び始めたのですがなかなか文章が作れなくて苦労したものです。懐かしいですねー。高校生活の最大の思い出、講演会で手話通訳をした時のことと夏休みに中国に語学留学に行ったことを綴っています。あれから何年たったでしょうね~(笑)

  我是高中生。现在我是高中4年级的学生。大概你们觉得奇怪“为什么高中四年级?”因为我的学校是学分制高中,学制很独特。学生们可以根据自己的兴趣自主地选择学科。大多数的同学读完三年,就毕业了。但是因为我除了对学科的感兴趣外,还对其他的事情感兴趣。所以我选择了四年的高中生活。我在高中生活中遇到了很多有意义的事。

  其中,最有意义事就是哑语(手语)。我高中的入学考试非常特别,要求每个人要表现自己的个性。于是,我用初中时学过的哑语讲话。哑语是聋哑人的语言。用哑语说话我是头一次,我觉得非常愉快。因此我想更好地深造哑语技术。在高中一年级的时候,在有关方面安排下我当了演讲会的翻译。哑语翻译很难,我常常感到灰心丧气。但是有的聋哑人对我说:“你长进了,你的翻译比以前好。”有人说:“我喜欢你的哑语,加油!”我听了,觉得很受鼓励。以前我听过这样的话:“学习哑语的人应该站在聋哑人一方。”通过两年的哑语翻译和学习,我领悟到学习哑语的人应充分体会别人的想法,不应该以自我为中心。哑语的学习,使我自己的高中生活充满了温馨柔和的气息。

  在高中生活中另一件有意义的事情就是汉语。我的学校是静冈县最早教汉语的高中。因为我很喜欢学习外语,就选择了汉语课。可是汉语课很难。最初我犯了很多错误。比如,用英文的方式朗读拼音,无法区别中国的简体字和日本的汉字。能不能坚持下来?我常常感到不安。但是,我被中国强大的魅力吸引住了。我开始感到只在学校里学习是不够的,要去外边的学习单位学习汉语。我学汉语学了三年了,今年暑假我终于去了中国。在中国也遇到了很多有意义的事。中国的大学生笑着对我说:“日本对中国的战争虽然是一段不好的历史,可是我们还是好朋友!”我觉得很高兴。当我买糖果时自由市场的妇女对我说:“欢迎日本朋友─”我又觉得非常高兴。中国人非常热情大方、中国地大物博。耳闻目睹,我对中国更加喜欢了。汉语让我的思想国际化,又使我对将来充满了梦想。

  “我是高中生。”只剩下几个月还可以这样说了。我马上就要毕业了。我的高中生活比其他的同学多一年,可是我比他们收获更大。现在日本大多数的高中好象是为了考中大学的补习班。而我们的高中目标是“锻炼个性,向时代挑战。”这也是我的人生目标。我的高中生活是在遇到很多有意义的事的基础上渡过的。我感到其乐无穷。我永远怀念这四年有意义的高中生活。
[PR]
by azu-sh | 2007-03-27 15:29 | 「あづ」の中国語ティータイム
 ぽかぽか陽気に誘われて、ひとりでお散歩中。
b0074017_16114489.jpg

 わぁ、アヒルやカモが集まってきた!
b0074017_16132748.jpg

b0074017_16235721.jpg

 川沿いに四キロほどの道を歩きながら、春を探しました。
 ええっと…、
 せり ききょう…  あ、違った
 せり なずな ごぎょう はこべら おみなえし…  あ、また違った
 …ごぎょう はこべら とちあづま… なわけないか(笑)
 せり なずな ごぎょう はこべら ほとけのざ
 すずな すずしろ?
 あれ、つくしがない?!
b0074017_16221581.jpg
 
 見つけた!今日の収穫、今年初のつくし。
b0074017_16223167.jpg

[PR]
by azu-sh | 2007-03-23 16:29 | 「あづ」の一筆コラム
 あづの行きつけ、上海の「来福士広場」の地下にやってきました。
キティちゃんの形のお店がありまーす。かわいいものがいっぱい。
b0074017_1823760.jpg

 ずらっと行列ができているフレッシュジュース屋さん。ここでスイカジュースを頼んだのだけど、なんとひとり前の人が頼んでいたのはキュウリジュース。ミキサーを洗わずにスイカを放り込んでいたのでキュウリの味がばっちり残っていた…スイカ色のキュウリ味。かなしー。
b0074017_1825944.jpg

 ここの地下にはおいしいエッグタルトやクッキー、クレープ、チョコレート、シュークリームなど甘いアイテムがいっぱい。地下鉄の人民広場駅とつながっています。四月にはまた行くからねー。ここのCDショップが好きなんだ♪
[PR]
by azu-sh | 2007-03-20 18:30 | 「あづ」の上海観光局

愛について <コラム>

壁に二つの影が映っている
子と母の二つの影が映っている
二人は自転車をこいで 今、家へ帰るところ
子は母に話しながら 母は子にうなずきながら

子に父はいなく 母に夫はいない
父も夫もいない夜道を
二人はゴムまりのようにはずんでいく
ぼくには愛が二つの
ゴムまりになったように見える

(中略)

道ばたである日
星のように遠いはずの男とすれ違う
愛のことを考えながら
子は母と、男は道ばたですれ違う
星のように遠い場所から
その夜、男は子と母に電話をかける

愛のことを考えながら 子と母は生きていく
愛のことを考えながら 男もまた生きていく
遠く離れた場所にいて 
どちらも愛について考えている

(作詞・作曲 友部正人)

 この曲を聴くと、幼かった頃を思い出す。夫のいない母とゴムまりのように笑いながら過ごした夕暮れ時を。星のように遠い場所から電話がかかってきたあの午後を。
 わたしは間違った子供時代を過ごしたのだろうか。
    …父に言いたい。そんなことはないと。
 わたしは大人ぶった子供時代を送ったのだろうか。
    …母に言いたい。そんなことはないと。
でもわかってもらえない。
大人はみんな、愛について討論し反論し推測するだけ。
肝心なところで想像力が途絶える。
わたしが愛について考え続けているのはそのためだ。

 お願い、誰をも責めないで。
 わたしは愛を持って生まれてきたのだから。
[PR]
by azu-sh | 2007-03-18 22:11 | 「あづ」の一筆コラム

今天没回家 <コラム>

 今日のタイトルはデビッド・タオの曲のタイトルから取りました。この曲、最初と途中に上海語でせりふが入るんです。侬啥时光回来啊?ってね。だから好き。
 中国語には方言がたくさんありますね。北京語、上海語、福建語、広東語…山ひとつ川ひとつ越えたら違う発音が聞こえてくる、言語のるつぼ。二年半上海にいるうちに上海語の簡単なやり取りなら聞き取れるようになりました。「上海語しゃべれる?」と聞かれたら「讲不来」(話せない)と上海語で答えます。標準語の発音なら「ジャンプライ」ですが、上海語だと「ガンバレー」。おもしろいですね。日本語にそっくりです。
 日本に住むようになったら中国語が衰えそうで心配です。友人と電話していたら「あづちゃんは日本語忘れても中国語忘れないと思うよ!」と心強いことを言ってくれましたが。実際には努力しないとだめでしょうね。やっぱり衰えていくものなのです。
 中国語を使った仕事をしたいと思っても求人はやはり首都圏に集中していて、わたしの住んでいる地域ではなかなか見つかりません。あーあ、中国で就職したいなぁ。おっと、つい本音がぽろっと…(笑)。いずれそれを叶えるために、今日も休養と治療に励みます。
b0074017_14444621.jpg

[PR]
by azu-sh | 2007-03-15 14:45 | 「あづ」の一筆コラム
 四月に二週間だけ上海に帰ります。そのあとはたぶん日本で暮らすことになりそうです。いよいよ上海とお別れ。でも皆さんからのコメントで言ってもらったように、「どこにいるか」よりも「何をするか」を第一にして生きていかなければ、と思っています。

 先週、少し具合が悪くなりました。久しぶりに死ぬことが魅力的に感じられてしまいました。病院で不安時に飲むよう処方された薬もむなしく、わたしの頭の中は(死んでしまいたい)という気持ちでいっぱいでした。
 最高に調子が悪かった昨年九月から十月の間にわたしは十数回の自殺未遂をしました。ほんのもう少しで「日本人女性、上海のホテルから転落死」なんてニュースの見出しになりそうなことをしていました。わたしはその時の記憶が全くありませんが、あとから聞いた話によるとたまたま人が取り押さえてくれたとのことで、自殺が成功しなかったのが奇跡のようです。入院中も監視の目をくぐって何度も自殺を試したので、ついには看護婦さんが「わたしの受け持ちの患者さんが死んだらわたしに罰点がつくのよ、やめて!」と泣きついてきたほど。動けないよう、ベッドに両手両足縛り付けられたりもしました。わたしは上海にたくさんのいい友人たちがいます。彼らが必死になって、時には夜中に一睡もせずわたしと取っ組み合ってくれたから、わたしは今も生きています。
 あんな事件を起こしてしまった上海に、もう一度戻って生活をやり直しても、わたしの友人たちはヒヤヒヤしながら見守ることになるでしょう。ホームステイやルームシェアなど上海に留まれる手段をいろいろ考えましたが、実を言うとわたしも自信がありません。どんなに好きな街だったとしても、仕事でストレスを感じた時にひとりでふらっと高い所に上ってしまったら…今度こそ最期だと思います。上海は警備の甘い高層ビルがいくらでもありますから。わたしが上海で死んでしまったら、離れている家族や上海の友人たちをどれほど悔やませることになるでしょう。だから、日本にいることに決めました。

 でも日本にいても希望がなければ同じこと。弱音を言うと、病気は今も続いているし働きに出るのはまだ少し怖いです。
 手の届く距離にある希望。それは病気が良くなって元気な状態でもう一度海外に出て行くことだったり、貯金を作って日本で新生活をスタートさせることだったり。何かしら目標を決めて、生きていくことに対して貪欲にならなくてはと思います。そのためにブログも続けたいと思います。もう“サンヘーブログ”ではなくなってしまうけど…。
 生きていくのって複雑で難しい。自然に死ぬまで生きていることって時にはとてもしんどく感じます。けれど、このつらさをひとりで負わなくてもいいんだとしたらやっていける。ひとりきりで闘うのでなければ、途中で気力を失わずに済む。一緒に生き延びるのであれば、生はそれほど残酷じゃない。
 そう思える出会いに、ありがとう。
b0074017_1431672.jpg

[PR]
by azu-sh | 2007-03-12 14:03 | 「あづ」の一筆コラム
 変なタイトルだ、とお思いでしょう。理解してもらわない努力、だなんて。でも無理やり理解してもらうより、いっそ理解してもらうのをあきらめたほうが楽なこともあるのです。うつは気力で治るんだとか、再発したのは失敗だとか、強靭な精神は強靭な肉体に宿るのだとか。うつ病の症状は頭痛であるとか、挫折のたびに毎回うつを出していたらきりがないとか。病院で頓服薬をもらうのは一種の後退だとか、わたしの病気の原因は誰々にあるだとか、自分だってうつを切り抜けてきた一人だとか。……
 もういい。気の持ちようでなんとかなる病気だったらこんなに苦労しない。何を言っても無駄なのなら、理解してもらわないほうがずっと楽だ。
 ごめんなさい、ちょっと愚痴ってしまいました。

 図書館でチェブラーシカの本を借りてきました。しばし浸りました。わたしのベッドの上にチェブのぬいぐるみがかけてあります。
 チェブ、一緒に上海に帰りたいね。こんなところに長居したくないね。みんな親切なのに。親切なのに理解がないって苦しいね。
b0074017_16561899.jpg

[PR]
by azu-sh | 2007-03-10 16:56 | 「あづ」の「うつ」
梅を見に行きました。青空によく映えていました。携帯でカシャ!
b0074017_16542938.jpg

具合が悪いの吹き飛ばせ。うつなんか春風に溶かしてしまえ。
b0074017_16544747.jpg

ピンクの頬に優しいキスを。明日への恐怖を感じなくなるまで。
b0074017_1655258.jpg

[PR]
by azu-sh | 2007-03-07 17:02 | 「あづ」の一筆コラム
 上海に住む日本人の友達が初めての帰省で帰国しています。わたしがうつ病の一番ひどかった時期を目の当たりにした友人です。日本国内なので電話をかけてみました。久しぶりに声を聞いてひとまず「お疲れ様」。
 わたしが上海復帰を内心迷っている最中であることも話しました。そう、わたしは上海に戻りたいと思っているんですが、姉をはじめとした周りが納得してくれません。その反応もうなずけるんです、例えばもし自分にうつ病の妹がいて数ヶ月前に自殺未遂を繰り返していたら、たとえその後の治療で比較的回復したとしても外国に戻って行くのを「さぁ行ってらっしゃい」と言えるでしょうか。さすがのわたしももろ手を降っては送り出せません。だから気持ちはわかります。
 でも自分の生活の基盤が今や上海にあり、上海が大好きで、そこにいることを自分が本当に強く願っているのも事実です。父はそれを知っているのでわたしの上海帰還を応援してくれています。病院の先生も上海復帰は可能と言って下さり、自分がいたいと願う町にいるのがいいと理解を示してくれました。

 病気は半年前の騒ぎがうそであるかのように姿を隠しています。気分も落ち着いているし、体力はすっかり回復したし、おかしな衝動など全く起きないし…そろそろ社会復帰をする時期にきたのではないかと感じています。わたしの考えは甘すぎるのでしょうか。
 友達は「一旦上海に戻ればおのずと答えが見えてくるよ」と言ってくれました。わたしもそう思います。今急いで結論を出さなくても、上海が教えてくれる。そんな思いでいます。日本にいれば安全かもしれない。でも医療なら上海でも受けられるし、何より夢をあきらめたくない。これは単なるわがままでしょうか。

 上海を離れると思うとすごく寂しいし、胸がつぶれるほど悲しいです。でも上海で社会復帰を果たすと思うとやはり一抹の不安が残ります。日本で社会復帰するとしても不安には変わりないのですが…。うつ病体験者はストレスに弱くなっているので、ちょっとしたストレスでもうつの再発を招きかねません。わたしはもう二度と自死を選ばないと決意したのでみすみす再発を招くようなことは絶対にしたくありません。それが起きるとも起きないとも保証はないのです。だから迷っています。
 試しに三ヶ月だけ、戻ってみようか。就職も簡単なものから始めてみて、ダメになりそうだったらためらわずに辞めてもいいんじゃないか。そう考えたりもします。三ヶ月行ってみて、まだ不安定だと感じたら上海行きは一年延ばす。それなら納得いくかなと思ったり。どうあっても中国との関わりを持ち続けたいし、うつとも果敢に闘い続けたい。
 四月に一度上海に行く用があるので、その時に答えが見えてくるといいのですが。あとひと月、あづの迷いは続きます。(笑)
b0074017_16432999.jpg

[PR]
by azu-sh | 2007-03-03 16:43 | 「あづ」の一筆コラム