★2012年8月、およそ6年ぶりに中国上海に帰ってきました!このブログは「AZU」が綴る、上海(サンヘー)滞在記録。ワクワクの上海生活、まるごとお届けします。ほらね、生きてるってこんなに可笑しい★


by azu-sh
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  じゃーん、あづは小学生以来、人生で再び眼鏡をかけることになりました。
 うちのリラックマにかけてみたら…あら?ちょっと頭良さそうじゃない?(笑)
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 何しろ急に視力が…、、、
★ 右 1.5 → 0.5の「近視」
★ 左 0.3 → 0.05の「遠視」
にまで落ちたんですもん(涙)先日、友達の結婚式で和歌山に行った時、夜の高速を運転していて心臓が飛び出しそうなくらいバクバクしました。何せ、「中央分離帯がどこにあるか見えない!!」「前の車のテールランプを追っていかないとまっすぐ走れない!!」…もし、こんなドライバーが事故を起こしたら、こっちの責任。旅行から帰って数日後、「いよいよ眼鏡を作ろう」と決心して眼鏡屋さんに行ったのでした。

 「あの…今まで裸眼だったんですか?視力、すごく悪いですよ。眼鏡を作る前に眼科に行かれたほうが良いのでは…」と店員さんに言われましたが、「とりあえず、今すぐに困っているので眼鏡作ってもらえますか」と押し切って遠近両用、ならぬ「右・近視用、左・遠視用」の分厚い眼鏡を作ってもらいました。

 わたしは小学校時代、眼鏡が原因でとてもみじめな思いをしたので、眼鏡が大嫌いでした。でも最近の眼鏡ってデザインも性能も多種多様で進んでいるんですね。今回作った眼鏡は実用性だけでなくファッションアイテムとしても使えて、とっても気に入りました。職場でも「似合うよ」「すごくかわいい!」と大評判。ミャンマー人の同僚からは「眼鏡を取ると、物足りない顔ですね」と…ほめてんのか、けなしてんのかわからないコメントをいただきました。(笑)

 もう夜の高速も怖くないよ!!(リラックマ、運転中)
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by azu-sh | 2010-11-28 12:56 | 「あづ」の一筆コラム
 「あなたは自分の病気についてよく調べるほうですか?じゃあ、インターネットで氾濫している情報ではなく、ぜひこの本を読んでみてください。ここに書名と著者名を書いておきます。」
と、主治医の先生が言ったので早速取り寄せてみたのが、「精神科医からのメッセージ うつ病新時代 双極Ⅱ型障害という病」(内海健著 勉誠出版)という本でした。
 内容は非常に専門的で、書評にもあったように「これは“精神科医からのメッセージ”というよりは“精神科医へのメッセージ”ではないのか」と思ったほど。専門家ならともかく、一介の患者に過ぎないわたしには理解できない部分が多く、興味深いけれども熟読できるほどではありませんでした。でも考えさせられた点や心当たりのある点には付箋を貼りながら読みました。

 「高い活動性や心気妄想的なエピソード」を持つ男性。抑うつのさなかに退職を決断し、そればかりでなく、転職まで図っている。普通なら、現状に不満を抱きつつも仕事を替えるまでのエネルギーがない健康人がほとんどなのに、うつ状態にあって病院に通っている人が転職・再就職を決めてしまう。こういう例は枚挙にいとまがないようで、例えば本に書かれていたのが、あるうつ病患者さんが「“気晴らしに”山登りに出かけた」と言った、話を聞いてみるとなんと3000メートル級の冬山だったとか。わたしがどきっとしたのは、「双極Ⅱ型の患者が抑うつで療養中にアジア諸国への海外旅行の計画を立てるくらいは茶飯事」と書いてあって、(ああ~、むっちゃ心当たりがある~)と思ったのでした。わたしはひどい抑うつになってから四ヶ月後、(まだ強い薬を飲んでいて抑うつ状態が続いていたにも関わらず)、手作りの履歴書を持ってある起業家を訪ね、「雇ってください」と言った覚えが…。しかもその二ヵ月後には北京に行き、一旦帰国して翌週には上海に飛び、仕事と家を決めて翌月海を越えて引っ越してしまった。
 当時のわたしに「双極性うつ」という診断が下っていれば、あるいは当時からそのための薬が処方されていたり、自分自身にそういう知識があったなら、その後の対応も生き方も変わったかもしれない。今まで国内・海外で少なくとも9人ほどの医師に診てもらったけれど、今年四月の初診でわたしが「双極性うつ」だと断定した主治医の先生はなんて鋭いんだろう、と驚いてしまう。

 うつ病の人は「対他配慮」に富む、とよく言われるが、双極性の人にも他者配慮性が見られる、と本に書いてあった。本をそのまま引用すると、つまり…「大づかみに言うと、他者配慮性は、次の二つのフレーズに集約されることが多い。それは“いい子でいようとした”と“期待に応えようとがんばってきた”である。あるいは“親の顔色をいつもうかがっていた”と表現されるかもしれない。そして程なく、甘えることをどこかで断念し、甘えさせることで代償してきたことに気づかれる。」
 これも心当たりがあって、字を追う目が止まった。わたしは三歳から母一人子一人の片親家庭で育ち、いつも特別いい子でいよう、一番出来のいい子になろう、としていた。その動機は、治療を始めたばかりの頃に言葉にしたことがある。「“わたしは夫もいなくてお金もなかったけど、子育てには成功しました”と母に自信を持ってもらいたかった」からである。母には甘えられなかったから、甘えることを断念してきた。保育園でも学校でも職場でも、好き嫌いを言わず誰とでも仲良くし、嫌われている人や内気な人には自分から近づいて優しく接し、平和で親切な空気を作るタイプだった。それ自体は悪いことではない。でも、その代償を払ってきたことに気づくまでこんなにかかってしまった…。

 まだこの本は読み途中ですが、英語や専門用語、略語や図表が多く、なかなか読み込めません。この本のすべてが自分に当てはまるわけではないし、自己憐憫の材料にもしたくないと思っています。でも今後の治療に役立つ情報が得られたことは収穫です。
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by azu-sh | 2010-11-17 17:51 | 「あづ」の「うつ」
 もう何年も前の話になりますが、このブログ、そもそも…が、エンジェルちゃんなんです。わたしに上海家族ができたのも、サンへーブログを始めたのも、そもそもエンジェル(Angel=中国語では安琪儿)がきっかけなんです。
 これがそのエンジェル、安琪ちゃん。生後六ヶ月頃。
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 あの広くて大きな上海という宇宙で、言葉の違う家族と一緒に暮らすことになったあづ。不動産屋さんの紹介で出会った、質素で素朴で控えめで愛情だけはたっぷりのサンへーパパとサンへーママ。それに息子さんとお嫁さんのジエジエ、その夫婦に生まれた天使が「安琪(アンチー)」ちゃん。
 中国で外国人がホームステイできるというのは比較的珍しい経験らしい。それも十ヶ月という長期に渡ってわたしを受け入れてくれたサンへー家族とは、思い出がありすぎて切ない。
 
 「秋」 中秋の名月の日に家族全員で中国の伝統的な食卓を囲んだ。上海語で鴨子(あひる)のことを「あづ」と言う。サンへーパパは「そうか、そうか、あづって変な名前だと思ってたけど、あひるっていう意味だったのか」と納得。…だから違うって!
 「冬」 わたしは40度の高熱を五日間出し、サンへーママに連れられて地元の病院に行った。上海語しか通じないような病院で、サンへーママは「この子は親戚の子よ、今のどが腫れてしゃべれないだけなの!」と言ってくれた。…うれしいウソでした!
 「春」 妊娠中に転んで入院になったジエジエに会いに、家族みんなで産婦人科病棟に行った。日本人のわたしを見て妊婦さんたちが口々に「サヨナラ~」と挨拶してくる。ジエジエが得意げにわたしのことを妹だと紹介する。わたしにとってもジエジエは最高の姉だよ。
 「夏」 安琪が生まれて部屋が必要になったのでわたしが引っ越す日になった。サンへーパパ、一言だけ言わせて。敷金はチャラかい?(笑)あの家を出る時、わたしがどれほど悲しかったか、知ってる?新しいアパートに引っ越してから、わたしはブログを始めたの。サンへー家族との思い出を残すために。

 この間の日曜日、久しぶりに上海の「実家」に電話をかけた。第一声目は、
ジエジエ 「もしもし~?きゃ~あづ、赤ちゃんできたの??」
 次にサンへーママにも受話器が渡る。
サンへーママ 「もしもし、あづ?子供は生まれた?」
 どうして中国人の頭にはそれしかないのだ?
 うれしかったのは初めて安琪が電話に出てくれたことだった。
安琪 「あたしは小安琪(シャオアンチー)だよ、まいにちドラえもんみてるよ。らいねん、しょうがっこういちねんせいになるよ。上海にきたらあたしのおうちにあそびにきてね」
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 なんだかとってもうれしくて、みんなの声を聴いてると泣きたくなるよ。いつまでも忘れない。あづの上海の父、母、兄、姉、そしてすっかりおしゃべりも上手になった賢い姪っ子、エンジェル。この家族に出会えて本当によかった。今は海を隔てているけれど、いつもみんなのことを想っているよ…。
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by azu-sh | 2010-11-10 02:24 | 「あづ」の中国ホームステイ
 今、わたしの住む街ではユニークなお祭りの真っ最中。毎年この時期になると思い出すのですが、わたしはイベント会場で単発のバイトをしたことが何回かあります。そういえば日本でも上海でも…。
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 それは上海在住中のこと。運転免許の更新のために日本に一時帰国をしなければならなかったわたしは「せっかく日本に帰るんだからバイトしたいな」と考えていました。でも何しろわたしの実家は小さな地方都市、何か盛大なイベントでも重ならない限り、短期バイトの募集なんてありません。そこでわたしは街でお祭りをやっている時期に合わせて帰国することにしました。実家に着くとすぐに求人誌で仕事を探し、お祭り会場での五日間のバイトに応募しました。わたしがありついたのは的屋(てきや)でのバイト。もしかしてそっち系のヒトがやってるのかな…と一瞬思いましたが、上海暮らしで度胸が据わっていたわたしは何の不安もなく、お祭り会場に行きました。最初はお面やおもちゃを売る出店の店番をしていたのですが、これが全然おもしろくない。「焼き鳥のほうやらせてください」と、初日から焼き鳥屋に移動しました。
 「らっしゃい、らっしゃい、おいしい焼き鳥どう?」大きな声を張り上げて、行き交う人を呼びとめ、売り込みをしていたら、「ねえちゃん!日本語上手だねぇ!どこから来た?」とお客さん。「上海です!」とわたし。「そうかい、いやぁ、日本語上手いねぇ!がんばれよ!」「はい!ありがとうございます!」
 しばらくしてから気づきました。確かにわたしは上海から来たけど、この街で生まれた日本人じゃないのか?何を勘違いしてしまったんだ?いや、その前になんで「日本語が上手」ってほめられたんだ、わたし?
 すごく楽しいバイトだったけど、だいぶ中国人化してる自分に気づいて複雑になったあづでした。


 そして上海でやった単発のバイトとは…。上海・南京西路の角に大きなビルが建ち、そのオープン記念のイベントでのこと。中国人グラフィックデザイナー、高(ガオ)さんから電話がありました。 
 「あづにお願いがあるんだけど、今度南京路で若者をターゲットにしたイベントをやるの。集まった人たちに真っ白いスニーカーを渡して、自由にペインティングしてもらうのね。優秀作品を表彰するんだけどその審査員をやってほしいの。」
 美術方面は疎いんですけど…と断ろうとしたら、「あづは日系の広告デザイン会社で働いてるじゃない。大丈夫、実際に審査をするのはうちのイベントスタッフだし、あづはハクをつけるために呼んだ来賓みたいなものだから何にもしなくていいのよ」
 そして当日。南京路の一角がストリート系の若者や美大生?たちで埋め尽くされ、イベントが始まりました。いろんなプログラムがあったらしいのですが、何も聞かされていないわたしはロックのリズムに乗ってはしゃぎまわる中国の若者たちをきょろきょろ観察するので精一杯。よく見ると、スニーカーに一生懸命色を塗っている人たちも。出来上がった作品から一斉に展示され、審査が始まったようです。わたしは自分が何をしたらよいのかわからず、ステージの隅でぼーっと立っていました。すると突然のアナウンス。
 「スニーカーアートの受賞者が決まりました!第三位はエントリーナンバーXX番、○○さん!…」
 審査員やってくれって呼ばれたのに、いつのまにか順位決まってるじゃん。わたしがむくれていたその時!
 「この栄えある受賞者に賞状と記念品を渡してくださるのが、なんとこのためにわざわざ日本からお越しいただいたデザイナーのあづ先生です!どうぞ皆さん盛大な拍手を!」
 (ナニィ?!) 頭が真っ白になったハッタリデザイナーのあづは、集まった群衆の熱いまなざしと拍手の中、おずおずとステージの中央へ進み出、一位から三位までの人たちに無言で賞状を渡したのでした。
 イベントが終了すると、高さんがのんきな顔でやってきて「あづ、いい感じだったわ。はい、コレ今日の出演料ね~」手渡されたのは200元(約2500円)でした。日本からわざわざやって来たのに?!(笑)

 以上、秋になると思い出すお祭りバイトの思い出でした。
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by azu-sh | 2010-11-05 01:44 | 「あづ」の中国アルバイト