★2012年8月、およそ6年ぶりに中国上海に帰ってきました!このブログは「AZU」が綴る、上海(サンヘー)滞在記録。ワクワクの上海生活、まるごとお届けします。ほらね、生きてるってこんなに可笑しい★


by azu-sh
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 それは、わたしが上海のデザイン会社で雑用係をやっていた時のこと。社内の日本人はみんな中国語が片言だったため、面倒な手続きや通訳は全部わたしにくる。一度、ものすごく熾烈なけんかの通訳をした。

 先攻・日本人の女社長…「家賃を払ってる間はこの事務所はうちのものよ、期限が来たからってどきませんからね!」
 後攻・上海人の不動産屋…「一ヶ月単位で部屋を借りることはできません、退去期限が来たのだから出て行ってください!」
 日本人の女社長はとても勝気な人で、しかもこの時精神状態がおかしかった。ヒステリックで強引で、筋の通らないことを早口の日本語でまくしたてる。「ほら、あづさん、今わたしが言ったこと彼に伝えてよ」
 でも「そのまま」通訳したら、相手は怒り出すに決まってる。わたしは少し抑え目に通訳した。すると、中国語が少しわかる彼女は満足しない。「あづさん。ちゃんと言ってないでしょ、わたしの言ったまま通訳してよ!」
 上海人の不動産屋は四、五人体制で臨んできた。「いいですか、この契約書を見てください。今日で契約日が満了です。どうしてまだここに住んでいるんですか?うちは実力行使もできるんですよ!」
 わたしは間に割って入って丁寧な中国語で言った。「不動産屋さん、契約書は確かにそう書いてあります。でも家賃をその分お払いするからもう少し待ってほしいんです、引っ越し先もまだ見つかっていませんし引っ越しも一日や二日では終わりません」すると、女社長はわたしに電話の子機を渡してきた。「不動産屋じゃラチあかない、頭固くてケチなんだから。大家さんと直接交渉して」
 大家さんは台湾人で、台北にいた。わたしは会ったこともない人に国際電話をかけた。当然のことながら、大家さんの言い分は「不動産屋が正しい。わたしはすべてを不動産屋に一任してある」…女社長はヒステリックに「大家さんがいいというまで電話かけ続けなさい!」とわたしに命令した。わたしは仕方なく二回、三回…と電話をかけ続けた。三回目、着信拒否された。
 女社長は「出て行ってください」と繰り返す不動産屋に猛烈に腹を立て、「警察呼ぶわよ!」と叫んだ。不動産会社はしめたもの。「あぁ、どうぞ呼んでください」そこで女社長はわたしに警察を呼ばせようとした。わたしは彼女の神経を逆なでしないように、小さい声で言った。「今、警察を呼べば日本人のわたしたちが圧倒的に不利です。たとえこちらに非がなくても、警察は上海人の肩を持ちます。警察を呼んだらおしまいです」
 逆上した彼女は不動産屋の大柄な男性を力ずくでベランダに押し出し、内側から鍵をかけようとした。「あんたなんか、外にいなさいよ!入ってこないで!」わたしは反射的に(まずい!)と思い、走って彼女の手を押さえ、鍵をかけるのを阻止して彼が入ってこられるようにベランダの戸を大きく開けた。「あづさん、何するの!」と言われたが、これは絶対にいけない。日本人の女なんかに、大勢の見ている前でベランダに締め出されるなんてメンツ丸つぶれもいいところ。中国人はメンツを何より大切にする、そしてそれを潰された時は…執念深い。
 そんなことも知らない女社長は言い訳にもならない理由を並べ立てて、「家賃は払ってある。まだうちのものだ!」と言い張り、わたしに通訳させる。しかし、どう見てもこっちが劣勢なけんかに本気で通訳するのもバカらしくなってきた。だいたい、うちの女社長は常識はずれだ。わたしはもう通訳をやめて交渉に入った。
 「わかりました、引っ越しの準備が出来次第、ここを明け渡します。でもそれには少し時間が必要です。家賃を払いますからもうしばらくいさせてください」
 不動産屋はこちらが低姿勢になったのを見て満足し、少し態度を和らげた。日本企業なんて上海ではよそ者、時には低姿勢に出ることも日本の中小企業が中国で生き抜くためのしたたかな知恵だ。中国で正式に商売をしていても自分たちは決して中国人と対等ではないこと、本気でけんかするとここでは逆に不利だということ。知らないと怖い目に遭う。

 わたしが台湾に何度も電話したり、ベランダの戸を押さえたり、警察呼ぶのを阻止したり、双方の言い分を言葉を選んで必死に通訳している間、うちの男性社員四人は何もせず、何も話さなかった!キミたち、なんとか言えよ!
 不動産屋が退散した後、新入社員の男の子(日本人)がひそひそ声でわたしに話しかけてきた。「さっきのあづさん、すごかったですよ、言ったことを直接通訳しないで相手を怒らせないようにしてた、何とか丸く収まったのはあづさんのおかげです。でもぼく…」

 「この会社辞めていいですか?」

 この大げんかで、この会社は新入社員と事務所を失い、残った社員の社長に対する信頼と尊敬もがた落ちになったのでした。もちろん売り上げも大幅下落。
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 信用は築くのは大変、でも崩すのは一瞬ですね。
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by azu-sh | 2011-07-31 01:51 | 「あづ」の中国アルバイト
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 「 仮に来年の春に 僕の命が尽きると判っても
  その次の春に咲く花を 明日植えるように
  生きてゆきたいと 」

 上海にいる時、日記帳に赤いペンで走り書きしたこの詞。作詞者はさだまさしさんです。なぜわたしがこの詞を好きだったのか、当時の心境はわからないけど、なんだかとっても感動し共感したんですね。

 「来年の春に命が尽きる」とわかったら、わたし何をするかなぁ?
 わたしはまだこんな若さだけど、やり残したことはないような気がするんです。こんなコト言ったら怒られそうだけど、今まで本当に一生懸命生きてきてやりたいこともやれたし、この詞にあるようにあとは「その次の春に咲く花を植える」ことくらいしか思いつかない。
 「欲」がない。
 貪欲の「欲」か、意欲の「欲」かわからないけど、わたし昔から「欲」がないんです。だからアグレッシブなアスリートのインタビューとか聞いてると、自分とは人種が違うなぁって思う。わたしは金メダルも欲しくないし、名を残したくもない。お金も欲しくないし、誰のこともうらやましくない。

 (人間、何か夢を持たなくちゃ)と自分をせき立てているから、今はテキトーな「夢」を語れます。でもその「夢」に対してもやっぱり「欲」がないんです。叶わなくても失敗してもすんなり受け入れられそうな、感じ。こんなんじゃダメかしら?もっと生きることに貪欲になったほうがいいの?がむしゃらに幸せを追求すべき?

 「 愛する人とめぐり逢えたら 抱きしめた腕をゆるめてはいけない
  時を越えて変わらないのが愛だよ」

 命はいつ尽きるかわからない。でも「人を愛すること」を知ると、命をもう一日、もう一日…と延ばしたくなる。それが、今のわたしの最大の不思議です。明日も来週も来年も生きていたいと思うなんて、ちょっと前には考えられなかった。「生きること」にすら「欲」がないって、生き物としての本能を見失ってると思うから。
 本能を目覚めさせてくれた、キミにありがとう。

 今日みたいな涼しい晩、ベランダから花火が見られたらいいのにな…。
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by azu-sh | 2011-07-24 19:50 | 「あづ」の一筆コラム

海賊版リラックマ?!

 中国で働いている友人が一時帰国して、はるばるわたしの家まで遊びに来てくれました♪彼女とは離れていても距離を感じない。わたしより年下だけど、何でも打ち明けて何でも相談できる数少ない親友です。その彼女が中国から帰ってくる前、「おみやげは何がいい?」と聞いてくれました。中国みやげだったら欲しいものいっぱいあるんですけど、今回は迷わず「リラックマの海賊版グッズ!」(笑)何でも、彼女の話では中国では赤い顔のリラックマなど、あり得ないパロディグッズが出回ってるとのことで…。
 “帰国が急に早まってしまったため、あまり選べなかった”と言いつつもツッコミどころ満載のおもしろいものを持ってきてくれました。
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 このキイロイトリが手に持っているものは一体…?(笑)顔の位置も体のバランスもなんとなく微妙だし。キミはブラシで顔をかいているのか?なんか変。
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 リラックマの口から垂れているものは何…?まるで間違って描いたかのような怪しい形のよだれ。(笑)そして顔の輪郭だけの付箋って何に使えばいいの?

 あとはこれもわたしのリクエストで、日本でなかなか売ってない色のマニキュアとか、お湯で溶くと甘い豆乳になる粉とか。あっ、忘れちゃいけない、日本の正規版のリラックマグッズもいただきました♪旅行先でアクセサリーをなくさないようにきれいにしまえるアクセサリーポーチ!ピアスとか、指輪とか、ネックレスを絡まないようにしまえるスグレモノです。

 わーいわーい!リラックマグッズをもらって超ごきげんのあづでした。でも一番うれしかったのは、気心の知れた友人を迎えて、だんなと三人で寝るのも惜しんで話し込んだこと。本当の友達とは苦難の時のために生まれた兄弟である。そんな名言を思い出しながら彼女の前途の平安を祈っています。ありがとう♪


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by azu-sh | 2011-07-19 17:49 | 「あづ」の一筆コラム
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 金曜日は職業訓練最後の授業日でした。何をやるとも知らされず学校に行ったら、「今日は自己表現の練習でスピーチをやります」とのこと。18人が全員一人ずつ、テーマありの2分間スピーチを四本、即興の1分間スピーチを一本、合計五本のスピーチをやる羽目に…。最初のテーマは「自己紹介を兼ねて自分の子供時代のエピソードを話す」、次は「自分の失敗談、そしてどう対処したかを話す」、そして「自分の得意なこと、または聞いてお得な情報を話す」、次が「先生が指名した順に先生の指定したテーマで即興の話をする」、最後は「聞いて感動する話をする」というなかなか難しいお題。

 でもあづはスピーチ大好きなので、思いきり楽しんで話しちゃいました。わたしは7歳の時から人前でスピーチする訓練課程に参加しています。声量・抑揚・発音・マイクの使い方といった基本的なことから、ジェスチャーと表情で伝える・原稿に頼らず筋書きをもとに話す・身近な例えを使って話す・視覚に訴えるものを使う・時間の配分・効果的な序論と結論…といった比較的高度な技術まで教えてくれる課程なんです。わたしはこの訓練のおかげで、高校の入学式でスピーチした時も中国語の弁論大会に出た時も全くおじけずに確信を込めて話すことができたし、仕事の面接や病院のカウンセリングなどでも大抵言葉に詰まることがないんです。

 職業訓練の同級生たちから「あなたは情報を発信する仕事が向いてるよ」と口々に言われました。話すこと・書くことが大好きなわたし。確かにそういう仕事がやりたいんですが、現実の求人事情ではやっぱり難しいかなぁ。あきらめずに自分の理想の職を求め続けるか、生活の糧を得られる仕事なら何でも妥協するか…訓練生みんなの悩みどころです。

 次の火曜日は卒業式。三ヶ月の訓練が終わり、みんなそれぞれの道に進んでゆきます。あづもとりあえず来月の生活費を得るために就活しなければ。みんなはデザイナーを目指してるみたいだけど、プライドのないわたしは(コンビニでもお総菜屋さんでもいいや)というカンジです(笑)。でも、わたしもいつか自分のやりたい職業に就ける日が来るのかなぁ?…充実していた三ヶ月、年齢も経歴も違う同級生たちと切磋琢磨し合った三ヶ月がとうとう終わります。
 がんばりましたッ◎ 次は就活!!


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by azu-sh | 2011-07-17 13:44 | 「あづ」の一筆コラム
 1997年 早く来て そうしたら私、香港に行けるわ
 1997年 早く来て ヤオハンの服ってどんなのかしら
 1997年 早く来て 私に香港コロシアムで歌わせて
 1997年 早く来て 出国の赤いスタンプをちょうだい…

 そう無邪気に歌ったのは、当時20代だった中国・瀋陽出身の歌手・艾敬(アイ・ジン)。わたしは彼女の美しい発音の中国語曲が大好きで、CDもたくさん持ってました。「1997年」といえば、中国人にとって特別な年。そう、香港がイギリスの統治下から中国に返還された歴史的な年です。1969年生まれのアイ・ジンは、香港に強い憧れを感じ、1992年にこの歌を発表しました。日本でも発売されたこのCD、わたしが買った時もまだ香港返還前でしたから、わたしも相当な中国語学習歴…(笑)
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 1997年7月1日深夜、わたしは布団の中でラジオにかじりついて、香港返還式典の中継を聞いていました。(いつの時代の話?…笑)その三週間後、生まれて初めて中国を訪れました。その感動を残したくて、アイ・ジンの真似をしてみようと思い立ち…。「私の1997」という詩を書きました(笑)これがその詩です。


   「私の1997」     by AZU

まだ食堂も開いてないのに
着替えも済んだし髪もきっちりしばった
Tシャツを乾かしながら窓から外を見る
だれかしら、一人でバスケ
ボールをつく音が心に響くわ
ああ ここは中国 風の味が違うもの
空気の成分は 日本と同じはずなのに でも でも
やっぱり 初めて知る味ね
だってほら どこからか 焼いたニンニクのいい香り
指に透明なマニキュア 塗ってから朝ご飯にしましょう

1997 1997 1997 1997
一国二制度香港回帰 南京条約はもう無効よ
ポスター見たでしょ 女の子と飛び立つ鳩の

(中略)

1997 1997 1997 1997
成田の皆さん 出国の青いスタンプありがとう
艾敬のマネしちゃうけど これが私の1997

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 アイ・ジンが香港返還10年後の2007年に作った歌を聞いて、わたしはすごくうれしかったです。わたしの中国への憧れの扉を開いてくれたアイ・ジンが、戻ってきた…。そして香港で、こんなに気持ち良さそうに歌ってる。皆さんもぜひ聞いてみてくださいね。

 ↓ 青字をクリックすると聞けるよ!
アイ・ジン(艾敬) 我的1997和2007
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by azu-sh | 2011-07-09 19:05 | 「あづ」の香港観光局
 わたしが上海で日本語を教えていたある日系企業は、ウェディングプランナーでした。日本語の授業のためにその会社を訪れると、様々なデザインのウェディングドレスがずらりと並び、ブーケやベールもいっぱい。わたし自身も結婚式の着付けに呼ばれたり、蘇州へドレスの仕入れに行ったり、ウェディング関係の仕事をしていました。しかし、その頃は結婚願望ゼロだったなぁ…(あっはっは)
 ドレスといえば、わたしは中世のヨーロッパのようなデザインが好きで、金糸や深紅で飾られたパゴダスリーブのドレスが着てみたかったですね。(←単に二の腕を隠したいから?)いや、今でも一度着てみたいものです。でも、パゴダスリーブってウェディングドレスの世界じゃ時代遅れなんですよね…。(でもわたしが着たいのは白じゃないからいいや!)次回中国に行ったら、今度こそ変身写真館で中世のお姫様になってみたい!
 女の子なら誰でも、一度は変身してみたいよね!あこがれのドレスを着て、夢のような写真を撮ってみたい♪

 ↓ これは前回、変身写真館で着た白いドレス。(というかブーケ)
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by azu-sh | 2011-07-04 19:26 | 「あづ」の一筆コラム
 わたしの撮った香港の写真たちに一手間加えて、加工。
 こんなのもいいよね?
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 ビクトリアピークからの夜景もきれいだし。
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 これは気に入っている一枚。おしゃれな街角の絵。
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 この子は香港にいるお友達です。
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by azu-sh | 2011-07-02 11:25 | 「あづ」の香港観光局