★2012年8月、およそ6年ぶりに中国上海に帰ってきました!このブログは「AZU」が綴る、上海(サンヘー)滞在記録。ワクワクの上海生活、まるごとお届けします。ほらね、生きてるってこんなに可笑しい★


by azu-sh
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31
 初めて行った精神科「クリニック」の診察室で、あづの心は焦り始めていた。先生がわたしの言ったことをどんどん書き留めていく、わたし自身のわたしに対するこれまでの評価が、先生の一言で根底から揺さぶられていく。わたしに対する最初の診断はこの一言だった。
 「よく今日まで生きていましたねぇ」……「あなたはこれまで二十年間、うつ病でした。演技し続けて生きてきたんです。今までもずっと、破裂寸前だったんですよ」。
 わたしは明るくて自信たっぷりなお調子者ではなかったと言う、これまで一度も。演技してるのは認める、確かに。でもそれは最低限の自己プロデュースだよ?自分が自分を演じてるって?みんなそうじゃないの?先生は言った、他の人はそうじゃないって。そんなの他の人になったことないからわかるわけないじゃん!じゃあ他の人はそんなに自然体で本音のまま生きてるってこと?周りこそ虚構に見えるよ!どんな説明されたって、医者が言えば本物っぽいよ!
 心の中は既に落ち着きを失っていたが、わたしは「そうなんでしょうかねぇ」と苦笑いを見せていた。医師はすかさず言う、「ほら、ここに来てなお笑顔でいられる」。それも症状ってこと?クライ顔して泣きじゃくって、弱音を吐き出せば病人らしいってこと?だって人前では笑顔でいるよう、物心ついた時からそうしていたんだもの、崩したら心が崩れてく。

 体の異変を感じてから今日まで、かろうじてかすかに保ち続けていた「あづ」という存在を、ついに真っ向から否定された気がした。少なくともこの時は、そうとしかとらえられなかった。だってこの時のあづはたぶん無意識のうちに、過去の自分が成し遂げたこと、楽しんだこと、評価されたことを古い記憶から引っ張り出して自尊心の代わりにしていたのだ。それが全部「演技だった」と言われたのだから、それはつまりわたしが持てるすべてを否定された、ということなのだ。心の中に、途方もない無力感とかすかな反発心が芽生えた。

 「イラクに駐留しているアメリカ兵は、夜自分の宿舎に帰ってきたからといって心底くつろいでいるでしょうか。いいえ、彼らはどんな一瞬だって安心していられる隙はない。二十四時間戦闘態勢なんです。言うなれば、あなたもまさにその状態なんです」。
 さすが専門家だと思った。見事にポイント突いてくる。興味深いこともいろいろ聞いたが、こうも短時間でわたしの心を鉄アレイのような重さにしてくれるとは。

 軽い抗うつ剤と抗不安剤が処方されること、二週間程度で効果が現れてくることを説明され、次回の予約を入れるとわたしは放心状態で病院を出た。
 その日の帰り道のことはよく覚えている。世界がこれまでとまったく違って見えた。自分は異星人で、透明の体で知らない町を歩いているような気分だった。外見は「あづ」のままなのに、中身に「あづ」は残っていないんだ。……待合室を照らしていた太陽は既に山の向こうに落ちていた。もう永遠に太陽を見ることはないような、そんな気持ちで初めての精神科を後にした。
[PR]
# by azu-sh | 2006-04-09 01:35 | 「あづ」の「うつ」
 その日の「病死」が未遂に終わったのは、あづの友達のせいだった。……とあづは思っている。友達は祈りの人だ。そしてその祈りは、悔しいくらいよく効く。
 あづはその祈りを断ち切れると思っていた。わたしのことを心配してくれる人すべてがおせっかいでウザいと思った。仮にも友達なら、「休む」こと薦めてくれたっていいじゃないか。ぶつけようのない腹立ちと嫌悪感で錯乱したわたしは、何かを破壊したい、掻きむしってやりたいという強い衝動に駆られ、自分で自分を傷つけ続けた。
 しかし電話口であづは友にこう言ってしまった。
 「心配しないで。明日、自分で病院行ってくるから……」

 「クリニック」なんていうハイカラな看板を掲げた病院が、わたしの知っている唯一の「精神科」病院だった。「精神科」なんて……きっとマニアックでクラい雰囲気の所に違いない。歯科検診を受けに来たかのような素振りでカウンターに進み、他人事のように「初診です」と言う。ちらっと横目で待合室を見た。緑がいっぱいで陽が射している。これじゃまるで喫茶店の店内だ。ざっくばらんに置かれた椅子に座り、無表情のまま雑誌を読む人たち。静かに目をつむっている人もいる。こんなたくさん椅子があるのにほとんど満席。
 けっこう繁盛してんじゃん、というのが最初の印象だった。この人たちがみんな「うつ病」とやら?なんだか場違いなところに来てしまった。やっぱり来るんじゃなかったかも。なんで「明るくて外交的で友達もいっぱいいる」あづが、こんな病院に来てんのよ?自分が患者として来ているくせに、この時でさえ心のどこかに小さな偏見があったのだろう。仮に「うつ病」だったとして、死ぬも生きるもそんなの医者になんとかできるもんじゃないだろ?こんな喫茶店みたいな病院に呼んで、コーヒーでも飲めっていうの?やっぱり昨日死んでおけばよかったんだ!あまりに慣れない状況に置かれ、あづの頭は混乱していた。

 名前を呼ばれ、まず家族構成を聞かれた。仕事の面接に行った時の要領で、はきはきと的確に答えた。体力も思考力もすっかり減退してるけれど、残りの神経を総動員させれば十分「普通に」答えられるはずだ。頭が混乱している様子なんて、見せる必要はない。待合室にはまだあんなに順番待ちしてる人がいるんだから。何を聞かれたって、いつもどおりフレンドリーに、スムーズにコミュニケーションしてみせる。
 最近の体の様子と感情の起伏について、たまに笑顔など見せながら理路整然と話すわたしを見て、医師は少し怪訝な表情を見せた。「あなたは自分でこの病院に来たのではありませんね。自分の考えできたのではない、そうでしょう」……なんでこの人こんなこと言うんだろう。「いいえ、自分の意思で来ました」。医師は首を振りながら少し苦笑いを見せた。ムカついた。わたしの口から出てきた言葉を一字一句紙に録音していくかのように、すごい速さでメモを取っている。あづは戸惑い、突然ふつふつと怒りを感じた。

 病院に行く、そのことが本当の意味で苦しみの闘いの火蓋を切る合図だったとは思いもしなかった。
[PR]
# by azu-sh | 2006-04-09 01:24 | 「あづ」の「うつ」
 月が変わり、あづの生活はますます加速していった。いや、生活が速くなっていたんじゃない。あづの速度のほうがみるみる落ちていた。走っても走っても前に進まない夢のように、わたしは何かに足をとられていた。まるで海で溺れて力尽きた子供のようだと思った。今はかろうじて頭が水面に出てるけど、次の大波が来たらもう抵抗のしようがない。
 夜の高速道路で車を走らせながら、涙がとめどなくあふれてきた。肩と背の不快感に身をよじらせながら、運転席にじっと座っていられないほどに痛む腰の後ろに腕を置いてかばいつつ、ぼんやりと一点だけを見つめながら運転していた。対向車のヘッドライトが目に刺さり、顔がまぶしく照らされるたびに吐き気が襲って気が狂いそうになる。呼吸が乱れ、続けて二度吸ってしまってはそのたびに咳き込む。頭に何度も激痛が走る。ただ涙だけが、壊れた蛇口のように流れ続ける。苦しい、お願い助けて。苦しい、苦しい……
 今どこを走っているのか、今何時なのか、もう何も目に入らない。前を行く車のテールランプだけを見つめ、機械的にアクセルを踏み続けた。死にたい。このまま死んでしまいたい。

 翌日もまた、時間になれば仕事に出かける。バイト先ではお客さんに笑顔で挨拶し、友達の相談ごとに付き合い、次から次に勉強を教え、自分のレッスンに通い、先生のギャグにみんなと笑う。周囲の目には「元気でお調子者のあづ」は健在のはずだった。しかし車に乗り込んで一人になると、抑えていた涙がドッと噴き出す。どこからこんなに水が出てくるんだろうと思うくらい、涙は滝のようにあふれ続ける。体のどの部分も、もうわたしのものではないみたい。道行く人がみな、ろう人形のように見える。町が全部、作り物に見える。
 どの瞬間、どこにいても、誰かに冷たく追い出されているような気がした。
 「いなくなれ、ここに来るな!」「お前なんか、いるだけで目障りだ!」
 そんな声が四六時中聞こえてくる。部屋の中で寝ていても自分の布団の中から追い出されているような気がして、そのうち耐えられなくなる。たいてい夜中の二時か三時には家を飛び出し、自分の車の中に逃げ込んでいた。車だけがわたしを受け入れてくれる。バックシートに身をうずめ、息をひそめ、夜が明けるのを待つ。
 頭をからっぽにして次の一分、次の一秒をやり過ごす。次の一秒を我慢するために、「一、二、三、四、五……」無意味にカウントを続ける。
 もうこれ以上、我慢できない。一体誰のため、何のために我慢してるの?もう誰もわたしのこと救えないというのに。来るべきところまで来てしまった。もう止めたって仕方ない。あの本読んだから、自分が「うつ病」だということはもう知っている。こういう体の痛みや心の重さも全部「症状」だってわかってる。だから何なの?それが何なの?
 つまり、今死んでも、それは自殺じゃない。「病死」になるってこと。

 絶望という大波の中で、あづはついに抵抗するのをやめた。今日で全部終わる。うまくいけば今日限りで、もう苦しいのは終わる。本当に、終わる。もう少し、もう少し……。
 ごめんねみんな、これまであづと仲良くしてくれてありがとう。あづは今日までがんばったんだよ。次の一分一秒を生きているために精一杯、がんばった。でも、もう限界。
 だからもう、やめていいよね……。生きるの、休んでいいよね……。
[PR]
# by azu-sh | 2006-04-09 00:12 | 「あづ」の「うつ」
 そんなある日。図書館で一冊の本が目に留まった。表紙にあった「精神科」「うつ病」という言葉が目に飛び込んできた。その本を借りて仕事に出かけ、パーキングに停めた帰りの車の中でその本を読み始めた。集中力と記憶力が落ちていたので、一冊の本の流れを把握するのに苦労したのを覚えている。話の中で同じ登場人物がもう一度出てきても、その人が誰だったかわからなくなっている。何度も前に戻り、ゆっくり頭の中を整理し、少しずつ読み進むうちにいつしかあづは涙が止まらなくなっていた。

 わたしは昔、雑誌やテレビで「うつ病」とやらが騒がれていても何の興味も示さなかった。自分は十分楽観的で社交的だし、そんなクライ病気には今後も絶対縁がないと思っていた。だいたい生きてることがそんなにイヤな人もいるんだ、ということ自体理解しがたかった。人の気持ちも考えずに自ら命を放棄するなんてあまりに自分勝手で弱虫、というのが持論だった。
 二年前、自殺者の葬儀に参列したことがあったのだが、本人のいなくなった場で大勢の人が彼のために泣き崩れているのを見た。卑怯だ、と思った。こんなに大勢の人間を悲しませ、悔やませ、傷つけ、彼らの人生にマイナスの影響を与えてるんだよ?そして自分だけがとっとといなくなってしまうなんて。あまりに腹が立って、わたしも泣いた。
 当時わたしは「うつ」に対してあまりに無知だったのだ。興味がなかったゆえに無知で、経験がなかったゆえに無知だった。
 そして無知は時として命取りになる。

 今、「うつ病」についての本を読んでいると、書かれているひとつひとつの表現が痛いほど実感として理解できた。まるであづの現状をそのまま記録したカルテのように、その本の描写は気味が悪いほど的確だった。長期間体の調子がおかしくて、内科を転々としつつ検査を繰り返すのは「仮面うつ病」のせい。でもデータに表れる異常など見つからないのが常。身体的な病気ではないからだ。本では「希死念慮」という言葉も使われていた。初めて聞いた一見難しい専門用語だったが、今わたしの心全体を覆っている説明のつかない感情を一言で表現するのにぴったり、と思えるような単語だった。
 わたしは単なる「風邪」でも「過労」でも「自律神経失調症」でもなく、「うつ病」に違いない。そしてその診断と治療ができるのは、どうやら「内科」ではなく「精神科」という病院らしいということもわかった。これまで不透明だったわたしの行く先に、とうとう一番大きな道しるべが現れた。

 けれど、気づくのが遅すぎた。今さらジタバタして、一体何になるんだろう?
 もう疲れちゃったよ。治療なんかどうでもいい。
 これ以上疲れたくない。休みたい。
 行くべき病院がやっとわかったのに、行く気などさらさらなかった。行ったら薬が処方され、カウンセリングを受けさせられ、治療が始まるんでしょ?本を読んだからもうわかってる。悪いけど、そんな余力はどこにも残っていない。
 あづはラクになることなんかもう興味ないの。一歩、遅かったよ……。
[PR]
# by azu-sh | 2006-04-09 00:00 | 「あづ」の「うつ」
 同級生だった友人の紹介で、わたしは個人医院に行ってみることにした。病院にかかる前からわたしは自分が「過敏性腸炎」ではないかと思っていた。紹介された内科クリニックは内装のセンスがよく、とても感じのいいスタッフがそろっていた。
 症状を話すと、やはり「過敏性腸炎」の可能性があると言われ、「自律神経のバランスが悪くなっているので漢方で体質を改善しましょう」とのことだった。漢方は効果が感じられるまで多少時間がかかる。それでも根本から改善できるのなら試してみても悪くないと思った。
 粉末の漢方は思っていたほど苦くもなく飲みやすかったが、体のしんどさは一向に取れなかった。あちこちの内科で検査し、受診し、薬を処方されているのに、何も変わらない。体力が底をついてきているのに、生活のため仕事だけは続けていた。毎日車を運転し、仕事に向かう。途中、何度もパーキングに寄っては体を休め、栄養ドリンクを飲んでまた車を走らせる。

 あづは「口から先に生まれてきた」と言われるほどおしゃべり好きで、学校では「もう少しゆっくり話す練習をしなさい」と指摘されるほどの早口だった。次から次に言葉が出てきて、いくらでも話題があって、みんなにおもしろい話を聞かせるのが大好きだった。でも、最近わたしの頭も口もなぜかキレが悪い。言いたいことがまとまらないし、何を言おうとしていたのかすぐ忘れてしまう。人の話を聞いていても理解するのに時間がかかる。真剣に聞いているつもりなのに、結局最後まで意味がつかめないことも多々ある。おかしい。得意だったはずのコミュニケーションが、ちっともうまくできない。こんなの人生で初めてのことだった。

 総合病院で「過労」と言われてから仕事量を減らしていたはずなのに、現実の忙しさは変わらなかった。誰かの代わりにバイトに出る、やり手のいない仕事を引き受ける、友達の用事のために車を走らせる、頼まれても断れない性格だから仕事は結局増えていく。家事もこなしていたし、家庭教師の準備もしなければならないし、外国語のレッスンにも通っていた。
 凝り固まった完璧主義を少し崩してみれば、ラクになるかもしれない。何かの雑誌を読んでそう思った。でも手抜きの仕方がわからない。

 低血圧の体は既にぼろぼろで、熟睡することもできなくなっていた。夜眠っている時、自分の寝息が聞こえるのだ。睡眠中常にかすかに意識があり、(今何時かな)と考えている。腰が痛くて体勢を変えたいと思っても、腕を上げるだけの体力がないから寝返りが打てない。
 こんな最悪の状態の時に書いていた日記がこれである。

自分から進んで物事を行い、親身になって人に接する。
時間・体力・資金を喜んで犠牲にする。仲間のために汗を流す。
心配りができ、他の人の必要によく気がつく人になりたい。     あづ

[PR]
# by azu-sh | 2006-04-08 23:49 | 「あづ」の「うつ」
 その頃、中学校時代の部活仲間に会った。大学を出て専門職についていたはずの彼女は、聞くところかなりスローペースの生活を送っていた。
 「体がしんどくてね、一日中ベッドから起きられないの」。
 少し前まで寝たきり同然の日々を過ごしていたが、ある医院で処方された薬のおかげで持ち直しているという。「この間お医者さんに『軽いうつですね』って言われたんだ」。彼女のセリフに出てきた「うつ」という言葉が耳に引っかかった。……それって病名?「近所にあるわたしの行きつけの病院なんだけど。あづも行ってみたら?とりあえず場所、教えるね」
 薬の力を借りる。これは体の不調に苦しむあづが、先輩からもらった最初の道しるべだった。そして、今度は同級生の友人から病院を紹介してもらえた。これで少しは先が見えるかもしれない。
 ちょうどこの時期、わたしはしつこい下痢に悩まされていた。どちらかというと便秘症だったはずなのに。こんなに長期間下痢が続くなんて初めてのことである。微熱も続いていた。これは絶対何か原因があるはずだ、という確信を持ちながらも、(医者からまた「異常なし」と言われたら今度こそどうしよう)という一抹の不安もあった。老化による自然な衰えって思えばいいわけ?老化っていったって、まだ二十代前半なんだよ?

 得体の知れない症状が体だけに現れているわけではないことは、自分でもうすうす気づいていた。仕事、家族、友達、趣味、娯楽、いや生活のすべての局面が、わたしには耐え難いほど重くのしかかっていた。日常生活はかろうじてこなしていたものの、もう何も考えたくなかったし、誰とも一緒にいたくなかった。
 その頃、思いついた時にだけ書きとめている日記帳があった。

なぜ思いどおりにいかない?
なぜ簡単な願いがかなわない?
「心配してるよ」「ムリしないで」「大丈夫?」という言葉がなんにもならないって
なぜ誰も気づかない?
「こうしたらいい」って、説得力も真心もないカスカスのアドバイスと
結局何も変わらない夜明け。
ごめんね。
みんな本気で心配してて、
ムリしてほしくないって思ってて、
大丈夫であってほしいと思ってる、
思ってるんだよね?そうだよね。わかってるよ。
じゃあなぜわたしの心に届かない?
わたしの入り口が狭すぎる?
ごめんね。                   あづ

[PR]
# by azu-sh | 2006-04-08 23:41 | 「あづ」の「うつ」
 話は中国に行くしばらく前に飛ぶ。
 あづの体調はかなり前からヘンだった。鎮痛剤が必要なほどの頭痛、吐き気がするほどの激しい肩こり、どうしようもない疲労感、万年風邪をひいてしまったような倦怠感、止まらない悪寒としつこい不眠、下痢と便秘の繰り返し……。
 (これはなんかとんでもない病気かもしれない)と思い、総合病院へ検査に行った。ふらふらと広い病院を歩き回って血液検査や尿検査、はたまたレントゲンやCTまで撮ったのに、検査結果は「異常なし」。各科から届いたデータはいずれもいたって正常値だった。
 「……で、何が心配なんですか?」白衣のおやじがわたしの顔を覗き込む。
 あのねー、こんなに体がしんどくて、しんどくてたまらないから病院に来てるの!それがわからない?「治してくれ」って言ってんじゃない。ただ、なぜこうなってるのかを知りたいだけなの!
 白衣のおやじは「ふぅむ」と一瞬考えて「ま、過労ですかね」と言った。
 過労……?あづも「ふぅむ」と一瞬考えた。そっか、病名じゃないけど一因とは言えるかもしれない。わたしは体に異変が起こったその原因を知りたくて、病院に来たのだ。しかしわたしは今日、この一言を聞くためにさんざん病院の中ほっつき歩いたんか?なんか、余計ドッと疲れた。

 医者が「過労」って言ったんだから、堂々と仕事減らしてもいいんだ。なんてったって「ドクターストップ」だもんね。
 結局、あづは権威に弱いタイプなのだ。権威を持つ人から「さあ、こうしなさい」と言われたら忠犬のごとく従うし、「はい、どうぞ」と言われたら安心してそうできるのだ。白衣は医者としての権威の象徴である。白衣のおやじの口から「過労ですね」と言われるのと、つなぎを着たおやじから「過労じゃないの」と言われるのとでは雲泥の差、というわけである。
 まずわたしは仕事量を減らすことにした。バイトの出勤日を減らし、普段やっていた活動を一旦やめ、様子を見ることにした。

 しかし、変わらない。何も変わらない。やっぱりしんどい。肩が凝って息苦しい。眠れない。こんなの今までになかった。絶対、なんかの病気だ。あの医者、何か見落としたんじゃないの?

 その夏、結婚式出席のため出向いた町で、数年来の先輩と再会した。彼女はわたしがふざけて「師匠」と呼ぶこともある、聡明な年上の女性である。わたしが自分の体調について触れた際、彼女はすぐさまこう言った。「あづ、薬の力を借りなさい。必ずラクになるから」。薬って言っても何の?だって総合病院で出されたのは肩こりの緩和剤だけだよ?
 「自律神経を整えるには漢方が効くと思うよ。わたしはこれでだいぶ調子よくなったの。内科でも処方できるところがあるから探してごらん」
 薬の力を借りる。これが一つ目の道しるべだった。
[PR]
# by azu-sh | 2006-04-08 23:30 | 「あづ」の「うつ」
 「うつ」を治す。
 当時のわたしはこの表現が大嫌いだった。「うつ」を知らない人が口にする無責任な表現としか思えない。「治す」ことになんかちっとも興味なかった。
 検索キーワードに「うつ病」と入れてネットに乗れば、たいてい「克服する」とか「治す」、「闘う」というフレーズが釣れる。そういう“ご立派な”表現が目に飛び込んでくる度、「治す気がないんなら死ねば?」と言われているような気がした。
 あづが望んでいるのは「治る」ことじゃない。
 すべてをここで「終わり」にすること、そんな簡単なことなのに。

 抗うつ薬っていうのは、罪な薬だと思う。果たして人を救っているのか、苦しめているのか。病院で処方された抗うつ薬のせいで、しかもなぜかそれにちょっとした惑溺性があったせいで、わたしの症状は目に見えて変化し始めた。でも、わたしは治りたくなんかなかった。「うつ」を発生させた世界にカムバックするくらいなら、いっそフェードアウトしたかった。治っていく事実が受け入れがたかった。
 今度は絶対に未遂しない、次回こそは一度で済ませる。その頃のわたしはそう心に決めていた。たとえ今回ちょっとくらい「治った」って、遅かれ早かれきっと再発するに違いない。その時こそ、ついに「終わり」になる。もし今後再発したら、もう「治す」ために生きていなくてもいい。

 でも、動かしようのない決定的事実に気づいた。
 神様が、わたしを死なせてくれない。
 いや正確に言えば、こっちがどんなに望んでもわたしの存在を永久に抹消してはくれないのだ。神様の記憶に残ってしまう限り、たとえ死んでもそれは「終わり」にならない。「終わり」はどんなに強く望んでも、はじめからないのだ。
 これは、これまでの人生で最大の、衝撃的な発見だった。選択可能な選択肢なんて存在しなかったことに、気づいた瞬間だった。

 だから、わたしは海を渡った。そこに行って何をするか、どんな仕事をしてどんな生活をするか、そんなことはどうでもよかった。ただ不本意でも惰性でも、とりあえず生きているしかなかった。それならせめて、生きていやすい場所へ移動しようとあづは日本を離れた。

 そして。
 この大陸に来て一年がたとうとしていたある晩、わたしは三行の詩を書いた。

わたしを殺そうとしていた人が、わたしを愛そうと努力してくれている。
普通に笑える。その人の前にいて、笑顔になれる。
わたしは、その人のことを信じてみてもいいと思う。           あづ

[PR]
# by azu-sh | 2006-04-08 23:11 | 「あづ」の「うつ」

はじめまして!

AZUのサンへーブログ。にようこそ!

「今年は自分のために、なにかドカンと大きなことをしてあげたい」
そんなふとした思いつきから始まった、自由への旅。
誰かに 生きることを無理強いされてるわけじゃない、でも
あづは 死ぬために生きてるんじゃない。

あづの心が感じた暖かさを アルバムに入れておくためにブログをつくりました。
そしてできればあなたも 生きてるって可笑しいね って思えるように。
b0074017_13182135.gif


中国・上海市より発信中。コメント残してくださるとうれしいです。
[PR]
# by azu-sh | 2006-04-08 21:47 | はじめまして