「うつ病新時代」を読んで
2010年 11月 17日
「あなたは自分の病気についてよく調べるほうですか?じゃあ、インターネットで氾濫している情報ではなく、ぜひこの本を読んでみてください。ここに書名と著者名を書いておきます。」
と、主治医の先生が言ったので早速取り寄せてみたのが、「精神科医からのメッセージ うつ病新時代 双極Ⅱ型障害という病」(内海健著 勉誠出版)という本でした。
内容は非常に専門的で、書評にもあったように「これは“精神科医からのメッセージ”というよりは“精神科医へのメッセージ”ではないのか」と思ったほど。専門家ならともかく、一介の患者に過ぎないわたしには理解できない部分が多く、興味深いけれども熟読できるほどではありませんでした。でも考えさせられた点や心当たりのある点には付箋を貼りながら読みました。
「高い活動性や心気妄想的なエピソード」を持つ男性。抑うつのさなかに退職を決断し、そればかりでなく、転職まで図っている。普通なら、現状に不満を抱きつつも仕事を替えるまでのエネルギーがない健康人がほとんどなのに、うつ状態にあって病院に通っている人が転職・再就職を決めてしまう。こういう例は枚挙にいとまがないようで、例えば本に書かれていたのが、あるうつ病患者さんが「“気晴らしに”山登りに出かけた」と言った、話を聞いてみるとなんと3000メートル級の冬山だったとか。わたしがどきっとしたのは、「双極Ⅱ型の患者が抑うつで療養中にアジア諸国への海外旅行の計画を立てるくらいは茶飯事」と書いてあって、(ああ~、むっちゃ心当たりがある~)と思ったのでした。わたしはひどい抑うつになってから四ヶ月後、(まだ強い薬を飲んでいて抑うつ状態が続いていたにも関わらず)、手作りの履歴書を持ってある起業家を訪ね、「雇ってください」と言った覚えが…。しかもその二ヵ月後には北京に行き、一旦帰国して翌週には上海に飛び、仕事と家を決めて翌月海を越えて引っ越してしまった。
当時のわたしに「双極性うつ」という診断が下っていれば、あるいは当時からそのための薬が処方されていたり、自分自身にそういう知識があったなら、その後の対応も生き方も変わったかもしれない。今まで国内・海外で少なくとも9人ほどの医師に診てもらったけれど、今年四月の初診でわたしが「双極性うつ」だと断定した主治医の先生はなんて鋭いんだろう、と驚いてしまう。
うつ病の人は「対他配慮」に富む、とよく言われるが、双極性の人にも他者配慮性が見られる、と本に書いてあった。本をそのまま引用すると、つまり…「大づかみに言うと、他者配慮性は、次の二つのフレーズに集約されることが多い。それは“いい子でいようとした”と“期待に応えようとがんばってきた”である。あるいは“親の顔色をいつもうかがっていた”と表現されるかもしれない。そして程なく、甘えることをどこかで断念し、甘えさせることで代償してきたことに気づかれる。」
これも心当たりがあって、字を追う目が止まった。わたしは三歳から母一人子一人の片親家庭で育ち、いつも特別いい子でいよう、一番出来のいい子になろう、としていた。その動機は、治療を始めたばかりの頃に言葉にしたことがある。「“わたしは夫もいなくてお金もなかったけど、子育てには成功しました”と母に自信を持ってもらいたかった」からである。母には甘えられなかったから、甘えることを断念してきた。保育園でも学校でも職場でも、好き嫌いを言わず誰とでも仲良くし、嫌われている人や内気な人には自分から近づいて優しく接し、平和で親切な空気を作るタイプだった。それ自体は悪いことではない。でも、その代償を払ってきたことに気づくまでこんなにかかってしまった…。
まだこの本は読み途中ですが、英語や専門用語、略語や図表が多く、なかなか読み込めません。この本のすべてが自分に当てはまるわけではないし、自己憐憫の材料にもしたくないと思っています。でも今後の治療に役立つ情報が得られたことは収穫です。
と、主治医の先生が言ったので早速取り寄せてみたのが、「精神科医からのメッセージ うつ病新時代 双極Ⅱ型障害という病」(内海健著 勉誠出版)という本でした。
内容は非常に専門的で、書評にもあったように「これは“精神科医からのメッセージ”というよりは“精神科医へのメッセージ”ではないのか」と思ったほど。専門家ならともかく、一介の患者に過ぎないわたしには理解できない部分が多く、興味深いけれども熟読できるほどではありませんでした。でも考えさせられた点や心当たりのある点には付箋を貼りながら読みました。
「高い活動性や心気妄想的なエピソード」を持つ男性。抑うつのさなかに退職を決断し、そればかりでなく、転職まで図っている。普通なら、現状に不満を抱きつつも仕事を替えるまでのエネルギーがない健康人がほとんどなのに、うつ状態にあって病院に通っている人が転職・再就職を決めてしまう。こういう例は枚挙にいとまがないようで、例えば本に書かれていたのが、あるうつ病患者さんが「“気晴らしに”山登りに出かけた」と言った、話を聞いてみるとなんと3000メートル級の冬山だったとか。わたしがどきっとしたのは、「双極Ⅱ型の患者が抑うつで療養中にアジア諸国への海外旅行の計画を立てるくらいは茶飯事」と書いてあって、(ああ~、むっちゃ心当たりがある~)と思ったのでした。わたしはひどい抑うつになってから四ヶ月後、(まだ強い薬を飲んでいて抑うつ状態が続いていたにも関わらず)、手作りの履歴書を持ってある起業家を訪ね、「雇ってください」と言った覚えが…。しかもその二ヵ月後には北京に行き、一旦帰国して翌週には上海に飛び、仕事と家を決めて翌月海を越えて引っ越してしまった。
当時のわたしに「双極性うつ」という診断が下っていれば、あるいは当時からそのための薬が処方されていたり、自分自身にそういう知識があったなら、その後の対応も生き方も変わったかもしれない。今まで国内・海外で少なくとも9人ほどの医師に診てもらったけれど、今年四月の初診でわたしが「双極性うつ」だと断定した主治医の先生はなんて鋭いんだろう、と驚いてしまう。
うつ病の人は「対他配慮」に富む、とよく言われるが、双極性の人にも他者配慮性が見られる、と本に書いてあった。本をそのまま引用すると、つまり…「大づかみに言うと、他者配慮性は、次の二つのフレーズに集約されることが多い。それは“いい子でいようとした”と“期待に応えようとがんばってきた”である。あるいは“親の顔色をいつもうかがっていた”と表現されるかもしれない。そして程なく、甘えることをどこかで断念し、甘えさせることで代償してきたことに気づかれる。」
これも心当たりがあって、字を追う目が止まった。わたしは三歳から母一人子一人の片親家庭で育ち、いつも特別いい子でいよう、一番出来のいい子になろう、としていた。その動機は、治療を始めたばかりの頃に言葉にしたことがある。「“わたしは夫もいなくてお金もなかったけど、子育てには成功しました”と母に自信を持ってもらいたかった」からである。母には甘えられなかったから、甘えることを断念してきた。保育園でも学校でも職場でも、好き嫌いを言わず誰とでも仲良くし、嫌われている人や内気な人には自分から近づいて優しく接し、平和で親切な空気を作るタイプだった。それ自体は悪いことではない。でも、その代償を払ってきたことに気づくまでこんなにかかってしまった…。
まだこの本は読み途中ですが、英語や専門用語、略語や図表が多く、なかなか読み込めません。この本のすべてが自分に当てはまるわけではないし、自己憐憫の材料にもしたくないと思っています。でも今後の治療に役立つ情報が得られたことは収穫です。
by azu-sh
| 2010-11-17 17:51
| 「あづ」の「うつ」