たとしへなきもの <コラム>
2006年 06月 14日
中国にいると、お隣の国なのに日本とはまったく異なる風景や人情に出会うことがある。そのたびに、世界を創った神様がいるとしたら頭がとっても柔軟な芸術家に違いないと思う。もしも神様が独創性に乏しい、自分の型にはまった製作者だったら世界はとてもこうはならなかった。世界が美しいのは「多様性」に満ちているから。そしていっそう多様になっていく可能性を秘めているから。
外国に住むと、自分の生まれた国を見つめ直すようになるという。それまでさほど興味のなかった風景が突然いとおしく感じられたりする。先日杭州のある店に入った時、ふと日本の写真集を見つけた。それが売り物だったのか、単なるインテリアだったのかはわからない。思わず手に取ってページをめくると、日本の美しい四季の写真が目に飛び込んできた。散りゆく桜、初夏の新緑、梅雨に濡れたあじさい…。
心に涼やかな風を感じた。二つの国の美しさ。“たとしへなきもの”のように、比べようがない。
たとしへなきもの。夏と冬と。夜と昼と。
雨降ると照ると。若きと老いたると。
人の笑ふと腹立つと。黒と白と。
思ふとにくむと。藍と きはだと。雨と霧と。
同じ人ながらも 心ざし失せぬるは
まことにあらぬ人とぞ おぼゆるかし。
「枕草子」清少納言
(比べようがないもの。夏と冬と。夜と昼と。
雨降ると照ると。若者と年寄りと。
人が笑うのと怒っているのと。黒と白と。
愛するのと憎むのと。藍と黄と。雨と霧と。
同じ人でも自分に対して愛情のなくなった人は
本当に別人のように感じられる。)
心ざし失せぬる人は、そばにある美しさに気づかない。自分の内にある美しさにも気づかない。比べようのないひとりだからこそ、わたしがここにいることには十分な意味がある。わたしがいなくなったら世界が不完全になる。…せめて今だけ、一瞬だけでもそう思っていたい。
雨の日の思考はとりとめがない。
たとしへなきもの。かの国とこの国と。あなたとあの子と。あの子とわたしと。
外国に住むと、自分の生まれた国を見つめ直すようになるという。それまでさほど興味のなかった風景が突然いとおしく感じられたりする。先日杭州のある店に入った時、ふと日本の写真集を見つけた。それが売り物だったのか、単なるインテリアだったのかはわからない。思わず手に取ってページをめくると、日本の美しい四季の写真が目に飛び込んできた。散りゆく桜、初夏の新緑、梅雨に濡れたあじさい…。
心に涼やかな風を感じた。二つの国の美しさ。“たとしへなきもの”のように、比べようがない。
たとしへなきもの。夏と冬と。夜と昼と。
雨降ると照ると。若きと老いたると。
人の笑ふと腹立つと。黒と白と。
思ふとにくむと。藍と きはだと。雨と霧と。
同じ人ながらも 心ざし失せぬるは
まことにあらぬ人とぞ おぼゆるかし。
「枕草子」清少納言
雨降ると照ると。若者と年寄りと。
人が笑うのと怒っているのと。黒と白と。
愛するのと憎むのと。藍と黄と。雨と霧と。
同じ人でも自分に対して愛情のなくなった人は
本当に別人のように感じられる。)
心ざし失せぬる人は、そばにある美しさに気づかない。自分の内にある美しさにも気づかない。比べようのないひとりだからこそ、わたしがここにいることには十分な意味がある。わたしがいなくなったら世界が不完全になる。…せめて今だけ、一瞬だけでもそう思っていたい。
雨の日の思考はとりとめがない。
たとしへなきもの。かの国とこの国と。あなたとあの子と。あの子とわたしと。
by azu-sh
| 2006-06-14 13:57
| 「あづ」の保存版上海日記