人気ブログランキング | 話題のタグを見る

上海っ子AZUが早朝に見る夢の跡。


by azu-sh
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31

香港で考えた、自分らしさ <コラム>

 ここしばらく香港旅行の話題ばかりだけど、今日は観光地紹介ではなく香港での「人との出会い」について書きたいと思う。

 今回、わたしは香港人の友人Kちゃんの自宅にホームステイさせてもらった。彼女の両親に会うのは今回が初めて。「うちのお母さんは今“普通话”(標準中国語)を勉強してるんだよ」とKちゃん。小学校から授業で教わるせいか、香港の若い世代では標準語が急速に普及している。買い物に行ってもたいていの若い店員さんは問題なく標準語が通じるので、広東語ができなくてもコミュニケーションには困らない。でもひとつ上の世代となると話は別。標準語教育を受けてこなかった中年世代では、流暢な英語が話せても標準語はしどろもどろ…という人が少なくないのだ。
 あづの母親と同い年であるKちゃんのママもまたそのひとり。明らかに広東なまりの発音で、声調もあやふや。でも努めてゆっくりはっきり話してくれるので、わたしでも十分聞き取れる。
 ある話の折、彼女がこう言っているのを耳にした。
「…我想好好欣赏自己的生命。」(私は自分の命を高く評価したい)
 その場にいた他の友達は普通に聞き流してしまったかもしれないこの一言。けれど “命”とか“生きる”といった言葉に敏感なわたしにとっては、ある意味衝撃的な言葉だった。どうしてもこの言葉が耳について離れなかったわたしは、二人きりになったのを見計らってKちゃんのお母さんにそっと聞いてみた。
「どうしたらそう思えるんですか?」

 Kちゃんのお母さんは、以前は自分自身も自らに対する要求が高く、常に人と比較してしまい、それゆえに自分に失望しがちだったことを打ち明けてくれた。
「あづは“爱人如己”(己の如く人を愛せよ)という言葉を知っているかしら。私は長年、この言葉の“爱人”(人を愛せよ)という前半部分の意味しか考えたことがなかったの。でもある時初めて、後半部分の“如己”(己の如く)という二文字の存在に気がついたのね。“如己”というからには、『あなたが自分を愛し、いとおしむのと同じように』他の人にも親切にしなさいという意味だったのよ。つまり、人を愛する前提として自分を愛することがまず必要だということがわかったの」
 確かにそうだ。「己」を愛していない人が「己の如く」何かを愛するなんて無理な話。わたしはうつ状態になると極端に自己評価が低くなり、自分で自分を罵ったりけなすこともしばしばあった。「自分を愛する」なんて一見ナルシストみたいだけど、Kちゃんのお母さんが言いたいのはきっと「自尊心」のことだと思う。まずは自分の存在を肯定してあげること、そこからスタート。「あづも自分を大切にすることを覚えなさい」とKちゃんママ。あの「欣赏生命」というセリフは、長年の葛藤を経て彼女が「獲得した」人生観だったのだ。そう思うと、とても重みがある。

 Kちゃんのお母さんとは初対面だったけれど、この一件で一気に親しみが湧いた。いろいろな国を旅したことがあり、二十ヶ国を超える外国の人々を家に招待したことがあるという国際派一家。「日本にも何度か行ったのよ」と話してくれたので、「日本の印象はいかがでしたか」と聞いてみた。お母さんは「そうねぇ…」というようにゆっくり言葉を選びながらこう言った。
「日本はとても丁寧で美しい国だった。ただね、ひとつ気になったのは…ほら、日本で買い物するとたとえどんなに小さな物でも、買ったものをきれいにラッピングしてくれるでしょう。必要以上と思えるほど、可愛らしい小箱や包装紙やリボンで飾り立てて手渡してくれる。時にはラッピングばかり立派で中身とそぐわない時もある。それがね、日本人のイメージとよく重なるの。私から見て日本人はみんな“ラッピング”してるように思えてならないのよ。見かけは物腰が柔らかくて礼儀正しくておとなしい、でも“本来の自分”を包装紙の中の見えないところにしまっているような気がするの。その壁がとても厚く感じて、ここはなんて特殊な国だろうって思ったわ」
 …日本人はみんな“ラッピング”している。
 香港の人がそう形容するのを聞いて、わたしは思わずうなってしまった。ああ、なんだかすごくよくわかる、本当にそうかもしれない。自分がいい例だ。無意識のうちに、日本社会で一般に良しとされる振る舞いに徹している自分。本音はひたすら内輪だけにとどめ、公には当たり障りのない言葉しか話さない。コミュニケーションで最も気をつけているのは、何はともあれ角の立たないようにすること。それは決して悪いことではないけれど、自由に自分を表現することの心地よさを知っている人たちから見たら、不自然に違いない。

 香港旅行が「自分を愛すること」「自分らしくあること」について考えるチャンスになろうとは、思ってもいなかった。実はわたしは自分の今後の計画について迷っていることがあり、香港の友人に相談してヒントをもらいたいと思っていた。自分で決定を下すより、誰かに勧めてもらったものに従うほうがラクだからだ。でも香港でKちゃんのお母さんと話しているうちに突然、(やっぱり自分の計画は自分の意思で決めよう)と思えてきた。この意識の変化が、今回の旅の最大の収穫だったかもしれない。
香港で考えた、自分らしさ <コラム>_b0074017_9274347.jpg
 ありがとう、香港。ありがとう、Kちゃんママ。
by azu-sh | 2006-08-24 09:30 | 「あづ」の保存版上海日記